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さびしいガジュマル

作者: 下山きよ

 ある日育てていたガジュマルが唐突に葉を落とし始めた。一気に気温が下がった、十月の半ばのことだ。




 ガジュマルはその時点で私の胸の位置くらいの大きさがあった。夏の暑さのなか光の方向にぐんぐん伸び、次々と新しくぴちぴちとした葉を生み出して、それは元気だったのだ。

 しかしどうしたことか、このところ成長が止まったな、まあ寒くなったからなと思っていたら、下の方の日にあたりにくい位置の葉が、はらはらと落ちるようになった。前の年の冬は、こんなことは起こらなかったのに。


 日に日に落ちる葉は増える。そのガジュマルは室内で、植木鉢に入れて育てていたのだが、床で寝ている時頭の上に何かがぱさぱさと降ってくると思って目を覚ませば、それが葉っぱだったということが増えた。

 寒さが深まるほどガジュマルの姿は寂しいものへと成り果ててゆく。ネットで調べて水のやり方を変えたり栄養を投入したりしてみても、効果があったんだかなかったんだかわからず、葉は落ち続ける。


 藁にもすがる思いで園芸店を訪ねてみても結局原因は判明せず「そのままで大丈夫なんじゃないか」というアドバイスをいただいて、私は泣きながら帰宅した。



 このガジュマルは父が死んでから買ったものだった。

 葉を落として枯れてゆくさまが父の瘦せ衰え、死に行く日々を想起させて、私は冬の間、毎朝泣きながら土を確認してその具合によって水をやったりやらなかったりした。


 ある夜は酒を飲みながら私を置いて行かないでと木に泣いて縋った。またある夜はまだ元気そうに見える葉を見つめながら、ひたすらに「落ちるな、落ちるな」と念じていた。その葉も、ついこの間とうとう落ちてしまったのだが。



 ふと気付けば三月になって、春の兆しがそこここに見えるようになったある日。

 半分以上葉を落としたガジュマルを見て、私は心身ともにすっかりズタボロになった状態で水をやっていた。


 そうして、あらためて、死にゆくものは止められないのだなと、抗うことのできない命の流れについて考えた。父が今に死にそうな時も、そしてこのガジュマルにも、私は同じことを願った。私の命などいくらでもくれてやるから、どうかこれ以上このひとから何も奪わず、生き長らえさせて、と。

 ささやかな願いだ。このくらい叶えてくれていいだろう。私の人生の持ちものはとても少なくて、これ以上奪われてしまえばこの心も体もからからに干からびて死に絶えてしまう。


 こんなにちっぽけな存在に対して、この世はあまりに非情だ。

 新たな感動や充実した人生など、要らない。それよりもただ、このささやかなな日常を維持する力を、私にください、と、ただそれだけを願っていた。



 しかし、こうも思うのだ。

 既に懸命に生きている命に対して、どこにも行かないでと縋るのは、自分の感傷にしか目のいっていない、あまりに酷な行いなのではないか、と。今まさに自らの死に直面しているひとに対して、泣き縋る姿を見せてしまえば、そのひとは本当に悲しい時、どこに縋ればよいのだろう。

 逝くものを見送る側がするべきことは、ただ常に穏やかでいて、この先恐ろしいことはなにも無いと、ただ相手を抱きしめることだけなのではないか。


 涙が滲んだので、袖で拭う。

 そう、私は、もう縋ってはいけないのだ。死に向かうものがせめて安らかであれるように、私はなによりの心を配り、もう大丈夫だよと語りかけながら、と笑顔で送り出さねばならない。それが残されるものの役目だから。


 せめて笑顔を作ろう。決めて、せりあがる嗚咽を唇を噛むことで飲み込み、視線を上げた。


 何かが目にとまる。緑だ。


 新しい緑が、枝の先に生まれている。実に数か月ぶりに生まれた葉だった。

 それを見た時、大袈裟でなく、私は人生というものに光を見出した気持ちになった。それは間違いなく希望で、命というのはただ奪われなくしてゆくだけのものではないのだと、この瞬間だけは他者や自信の人生を心の底から寿ぐことができる気がした。朝の光が、妖精の落とした粉のように瞬きながら降っている。


 ガジュマルが冬を越えて生きてくれたことがただただ嬉しかった。生きていてくれるというそれだけでよかった。


 私は床に這いつくばって、そっと植木鉢を抱きしめた。

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