35.願いを込めて
「殿下はイデリーナ様のそういう素直で明るい心根を愛おしく思っているのでしょうね。とても可愛らしいもの」
「はい。アルにはよくそう言われます」
ウルリカの言葉にイデリーナは当然ですとばかりに澄ました顔で肯定した。……そこは否定して謙遜するところだと思うのだが。
その返事にウルリカはふふふと笑いながら焼き菓子に手を伸ばす。メイドが慌てて新しいお茶の準備をしている。焼き菓子を食べながらウルリカの目はテーブルの上のお菓子を追っている。まだ食べるのだろうか。別にいいのだがあの小柄で細い体のどこに入っていくのか不思議でたまらない。ウルリカはメイドに4個のケーキと1個のシュークリームをサーブさせた。イデリーナも目を真ん丸にしてその様子を見ている。
「ウルリカ様。それ全部食べるの?」
イデリーナが聞いた時にはサーブされたケーキを2個食べ終えている。
「美味しくて、つい……。延期になっていたお茶会にようやく行けると思って、張り切ってしまい朝の走り込みがいつもの倍以上になってしまったせいでお腹が空いて……はしたないですね。申し訳ございません」
「…………走り込み?」
オディリアもイデリーナもなんとなくそこは追及できなかった。
ウルリカはフォークをテーブルに置くとしゅんとして俯いた。さっきまでの美味しそうにしていた笑顔が萎れている様はこちらに罪悪感を与える上に、その表情をみると可哀そうになってしまう。イデリーナは慌てて取り繕う。
「はしたなくなんてないわ。ウルリカ様はすごく細いしたくさん食べるイメージがなくて驚いただけよ。リアがウルリカ様のために張り切って用意したお菓子なんだからたくさん食べて! 私もお菓子大好きでいつもみんなに食べ過ぎって怒られるのよ」
オディリアもイデリーナの言葉に同調するように慌ててコクコクと頷く。
ウルリカは顔を上げるとぱあっと嬉しそうに笑った。その顔が可愛くてオディリアの胸がきゅんとなったのだがその後の言葉に顔が引きつった。
「ありがとうございます。ではフルーツのタルトとチョコレートケーキもおかわりしますね」
きっと料理長もシュークリーム店も本望だろうとオディリアはそっと目を閉じた。
「…………」
「…………」
幸せそうに食べるウルリカはものすごくいい食べっぷりだけど見ているだけで胸焼けしそう……。オディリアはイデリーナと顔を見合わせ頷くと自分たちにはメイドにお茶だけのおかわりを頼んだ。ウルリカはサーブしたお菓子を全部食べ終わると満足そうに口元を拭った。
「オディリア様。今回の事件に巻き込んでしまったことは本当に申し訳ないと思っています。ですが私を逃がすためにあんな危ないことをしては駄目です。先程ティバルト様とお話をしたらとても心を痛めていらっしゃったわ」
ウルリカはお茶会に出席する前にディック様とティバルトに先日の話とお詫びをしていた。事件の詳細は騎士団長からも聞いているのでお詫びの話がメインだったようだがこの件に関してウルリカが謝るような非はないと思う。
「それは反省しています。咄嗟とはいえ無謀でした。ウルリカ様にも怪我をさせてしまい申し訳ありません。でも! ウルリカ様もいくら騎士団に協力するためとはいえ危険な事をしてはいけませんわ。もし何かあればレオン様が悲しみます」
ティバルトの心配を見ていればウルリカの婚約者であるレオンだってウルリカの事を心配したはずだ。ウルリカは怒られなかったのだろうか? 疑問に思い視線を向けるとウルリカはさっと目を逸らした。
「私は少しの怪我くらいなんともないですが…………。実は囮の事はレオンには言っていません。言ったら絶対に止められるので誤魔化すために今は仕事で領地に行ってもらっています。だから王都にいないのです。もうじき戻ってくるのでアメルン侯爵家では箝口令を敷いています。なのでお二人ともこのことは胸にしまっておいてくださいね?」
ちょっとしたイタズラを黙っててねみたいな感じだが黙っていていい話ではないだろう。といってオディリアからレオンに告げ口もできない。
「ところでオディリア様。ティバルト様はオディリア様を心配するあまりに外出をなかなか許可しないそうですわね。オディリア様はそれを窮屈だと思ったことはないのですか? 頻繁にオディリア様の部屋に出向いているのでしょう? もっと自分を信用して欲しいとか自由に行動したいとか一人の時間が欲しいとかティバルト様に不満はないのかしら?」
オディリアは急な質問の内容に驚き目を丸くしてウルリカをじっと見た。何故聞かれたか分からないが満面の笑みで返す。
「ありませんわ! 私にとってティバルト様の側はこの世界で一番安心できる優しい場所です。外出できなくても不便を感じませんし、頻繁に会いに来てくれるのはむしろ私にとってご褒美です。外出しないで欲しいというのはティバルト様が私とずっと一緒にいたいと思って下さっているということでしょう? だからとても嬉しいことなんです」
「オディリア様の愛も意外と重そうですね。ティバルト様は世間一般の令嬢から見たら格好いいそうですけどオディリア様もそう思っているのかしら?」
「もちろん全てが格好いいですわ。顔も声も体も性格も仕草も全てが素敵なんです! でも私が初めて会った時から惹かれているのは、どんな宝石すらくすんで見せてしまいそうなほどのティバルト様の美しい紅い瞳なんです。一緒にいる時はついティバルト様の瞳に見とれてしまうんです。もう何時間でも見つめていたいくらい」
オディリアは勢いに任せてティバルトへの想いについて熱弁してしまった。でもこういう女の子との恋の話をするのをずっと憧れていたのだ。本人には言えないからこそ、ここで少し惚気るのは許してほしい。
そう思っていると横でイデリーナがニヤニヤしている。ウルリカはオディリアの後ろに視線を送ると口角を上げた。オディリアはなんだろうと首を傾げる。
「だそうですわ。ティバルト様。閉じ込められても嬉しいそうですから、いろいろ心配しなくても大丈夫そうですね? オディリア様、そういう言葉はぜひその美しい紅い瞳を見ながらご本人に言ってあげた方が喜ばれると思います。後はお二人でどうぞ。私はおいとまします。イデリーナ様もまたお話しましょう。いろいろと、ご・ち・そ・う・さ・ま・でした」
ウルリカは優雅に席を立つと綺麗な礼をして去って行った。
イデリーナはオディリアにウインクをするとニヤニヤしながら席を立った。
「お兄様。よかったですね。この後はお二人でど・う・ぞ」
二人の話と背後の気配に何かを察したオディリアは体を硬直させた。そして二人が去った後、後ろをゆっくりと振り返る。そこには口元を手で覆い気まずげに横を向いたティバルトが立っていた。その目元はうっすらと朱に染まっている。オディリアは一瞬でのどがカラカラになり掠れる声で聞いた。今の話が聞かれていませんようにという藁にも縋る思いだ。
「ティ……バル……トさま……いつからそこに?」
いつも自身満々な彼とは思えない程ティバルトは小さな声で答える。
「ウルリカ嬢がオディリアに外出できなくて不満はないかと聞いていたところから……」
全て最初から聞かれていた。誇らしげに自分がものすごくティバルトが好きだと言っている所を全部聞かれていた。初めてした恋の話に口が軽くなってしまった自覚はあるけど恥ずかしすぎる。
庭には沈黙が訪れ花壇の花がそよ風に揺れている。ものすごく居た堪れない。オディリアは首から上をこれ以上は無理だという程赤くして、席を立った。もう逃亡あるのみだ。
「オディリア? どこにいく?」
すぐさまティバルトに腕を掴まれ逃亡があっけなく失敗に終わる。掴まれた腕から自分の心臓の音がティバルトに届いてると思えるほどドキドキしている。
「恥ずかしいので頭を冷やしたいのです。だから手を離してください」
懇願したがティバルトは離してくれなかった。それどころかオディリアの体をそっと引いてその太い腕で抱き寄せ包み込んだ。
「行かないでくれ。…………。嬉しいよ、オディリア。私が狭量なばかりに自由を奪ってしまい悪いと思っていた。だけど……今の言葉は……私を許してくれていると思っていいのだろう?」
彼は更にオディリアを引き寄せる。彼の胸元に顔が触れるとティバルトの心臓の音がドクドクと早鐘を打っている。自分の心臓と同じくらいか、もしかしたらそれ以上に。
隙間からそっと顔を上げればティバルトの顔が赤く見える。オディリアの大好きな美しい紅い瞳が期待と不安に揺れている。ティバルトはオディリアを閉じ込めていたことを気にしていたのだ……。いつだって余裕そうに見えるティバルトが自分に対しての罪悪感を吐露したことに驚く。
「許すも何もひとつも不満なんてないわ。だからこのまま閉じ込めていてください。私……ティバルト様がすごく好きなのです……」
いつもはティバルトがオディリアを安心させてくれる。今は自分がティバルトを安心させる番だ。オディリアは勇気を振り絞り告げると自分の両手を彼の背に回した。
どうか彼に私の想いが伝わりますようにと心から願いを込めて。




