3.悲しい誕生日
思えばあの日までオディリアは両親の愛情を求めていた。
それはオディリアの9歳の誕生日のことだった。
その日は朝から使用人や料理長たちがお祝いするために張り切ってくれていた。使用人たちはオディリアに同情的で密かに優しくしてくれていた。おおっぴらに親切にするとナディアがおねえさまにだけ使用人が優しいと両親に告げ口をする。以前それで優しい侍女がクビにされてしまった。自分のせいでそんなことになりオディリアは今でも罪の意識を抱いている。
お昼を過ぎた頃、ナディアがごね始めた。昨日、お母様と公園へ散歩したときにいた令嬢が持っていたお人形が忘れられず欲しいと言い出したのだ。その人形は知っている。オディリアも欲しかったからだ。その人形は子供達に大人気で、「プリンセス・レイチェル」という子供向けのベストセラーの本の主人公をモデルに作られている。綺麗なドレスを着たレイチェル人形は予約待ちで伝手がなければ買えないと言われていたのでオディリアが諦めていた人形だった。
思ったままに欲しいと泣くナディアが羨ましいとも憎らしいとも思った。
流石に両親は無理だとナディアを諭していたが納得させることが出来ず、諦めさせるためにお店を数店舗まわると言い出した。両親は誕生日だけは勉強をお休みにして必ず一緒に一日過ごしてくれていたのに……行かないでと言いたかった。でも言えなかった。
「オディリア。ごめんね。お夕食までには帰ってくるから。その時にお祝いしましょう」
そう言って三人はオディリアを置いて出かけてしまった。見送りながら瞳が潤むのを堪えられなかった。
日が暮れ、料理長が腕を振るった夕食の美味しそうな匂いがしても三人は帰ってこなかった。オディリアはもしかして三人は事故にでもあったのではないかと不安になり落ち着かない。執事は先にお食事を召し上がってお休みになってくださいというが食べることは出来なかった。それから更に時間が経っても音沙汰すらない。不安で怖くてどうしようもなかった。夜中になると執事が何かあれば直ぐに起こすからと言われベッドに入った。布団の中でも眠れず寝返りを繰り返し、少しだけうとうとした。結局、両親と妹が帰宅したのは翌日の昼過ぎだった。
「おねえさま。ただいま。お祭りが楽しかったの!」
無邪気な笑顔を向けるナディアから目を逸らす。よかったねの言葉は喉に引っかかって出てくることはなかった。
「ごめんね。オディリア。お土産買ってきたから」
人形を探しに隣町まで行ったらたまたまお祭りをやっていてナディアが見て帰りたいと言ったらしい。遅くなったから宿に泊まって今帰ってきた。渡されたお土産は可愛らしいピンクの珊瑚の髪飾りだった。同じものがナディアの髪に飾られていた。せめてオディリアだけのお土産が欲しかったと思うのは我儘なのだろうか。目頭が熱くなる。たとえ誕生日であっても両親は自分だけの為の時間も自分だけのプレゼントも与えてはくれなかった。
「おねえさま! おそろいよ」
ナディアは珊瑚の髪飾りが気に入ったらしく鏡を覗いては喜んでいる。夕食までに帰ると言った約束を反故にしたのに悪いとも思っていないようだった。オディリアは悲しくて悔しくて、でも涙は出なかった。オディリアに贈られたその髪飾りは一度も使うことなく引き出しの奥にしまったままだ。
「今日の夕食は昨日のお祝いのやり直しをしましょう」
仕切り直そうと笑顔でお母様が使用人に指示をする。執事がよかったですねとオディリアに笑いかけたが何がよかったのだろう。三人が無事だったこと? お祝いをやり直してくれること? その通りではあるがオディリアの気持ちは晴れない。
その夜、テーブルには豪華な食事が並び、みんなが笑顔でおめでとうと言う。今日じゃないのに、本当の誕生日は昨日だったのに……。返事をしないオディリアにお父様は溜息を吐いた。
「オディリア。お姉さんなのにたった一日、誕生日の祝いが遅れたくらいで拗ねることはないだろう。みっともない」
たった一日……。そういうならその一日だけオディリアを優先してほしかった。何も言わないオディリアをそのままに三人は気を取り直して食事を始めた。
「オディリア。料理長が腕を振るってくれたのよ。とっても美味しいから食べて頂戴」
お母様が手をつけないオディリアに何事もなかったように声をかける。オディリアは仕方なくのろのろとカトラリーに手を伸ばし口に運んだ。咀嚼して飲み込んだ瞬間、胃が痙攣したように嘔吐感が込み上げる。オディリアは席を立ち食堂を出たところで吐いてしまった。執事がそこを片付けるようメイドに指示を出すとオディリアを部屋に運んだ。
結局そのまま自室で休むことにした。両親と妹はオディリアがいない方が楽しく過ごせるだろう。気遣う声も聞こえてはこなかった。もう何も考えたくない。
それ以降、オディリアは自室で一人食事をするようになった。家族で食べようとすると気持ちが悪くなってしまうようになったからだ。そして無口になって沈みがちになる。医者を呼んで診察してもらったが疲れやストレスが原因だと言っていた。日々の勉強を中断し安静にしていても良くならないことで両親は腫れもののように扱う。
「ナディアはおねえさまとお食事がしたい!」
ある日そう言ってナディアは家族の食堂へオディリアの腕を強引に引っ張っていった。
ナディアはオディリアの体調など気にせずに構ってもらいたがるがそれこそがストレスなので回復しない。結局一口食べて気分が悪くなり自室に戻って休んだ。
ある夜、お父様とお母様が部屋にやってきた。
「オディリア。お母様の従妹で隣国のローデリカ王国に嫁いだカロリーナ様を覚えている? 何年か前にあなたも一度お会いしたことがあるのだけど?」
首を振って覚えていないと伝えた。
「今、カロリーナ様は領地で暮らしているのだけどオディリア行ってみない? 自然豊かでゆっくりできるそうよ。そこで体調を回復させてほしいの」
オディリアは弱弱しく首肯した。
ここを離れられる喜びと自分は要らなくなって捨てられるという思いがあったが逃げる事を選んだ。心は限界だった。
結果的に隣国に行ったことでオディリアは回復し元気になったが、両親との溝は以前より広がってしまった。問題を解決しないまま四年離れていれば、失われた信頼関係はそのままだ。一緒に暮らしてもお互いに気まずく心から打ち解けることが出来なくなってしまった。どちらも歩み寄ろうとはしなかった。その間一人自由に過ごし愛されていたナディアはますます我儘になっていた。それでもオディリアの事が好きだと慕ってくる。適当にあしらうことを覚えたので幼少の頃ほどのストレスは感じなかった。
ナディアには決定的に欠落しているものがある。
人の気持ちを想像し慮ることだ。自分の振る舞いに相手が傷つくことを想像できない。自分が嬉しければ相手も同じだと信じている。
だから婚約解消されたオディリアが悲しむことも領地に行けと言われて傷つくことも理解できない。だが、このまま両親やナディアのいいなりになって一人寂しく領地経営をするつもりはなかった。この家を捨てる覚悟で家を出る。こんな日が来るかもしれないと密かにお金を貯めていた。
平民となって小さな商売を始めるのもいいかもしれない。きっと身につけた勉強が役に立つだろう。とりあえず、ほとぼりが冷めるまで修道院に身を寄せようと考えたが、国内だときっと連れ戻される。
オディリアはカロリーナ様を頼り隣国ローデリカ王国の修道院を紹介してもらうつもりでいた。四年過ごしたカロリーナ様の家族はオディリアにとって一番信頼できる人達で本当の家族のような存在だ。
オディリアはベッドから起き上がると早速手紙を書いた。一枚はカロリーナ様と夫であるブリューム公爵様へ。そしてもう一枚はカロリーナ様の娘イデリーナに宛てたものだ。オディリアの大切な親友であり心から信頼するイデリーナに助けを求めた。