19.頼れない
それ以降、花以外にも気になることがあった。
時々、オディリアは自分に向けられるトゲトゲしい視線を感じる事がある。振り返っても誰もいないので、きっと神経質になっているだけだと自分を宥めた。
ある時、ティバルトからもらった綺麗な青い色の羽ペンがなくなっていた。
ないと思った瞬間背筋が震えた。誰かから悪意を向けられていると思うと恐怖を感じた。それを否定したくてうっかりどこかに置き忘れたに違いないと机の引き出しなどを探してたが見つからない。そんなはずはないと、どこかにあるはずだと慌てて部屋中を探し回った。
どうして見つからないの? オディリアは胸が潰れるように苦しくなる。
もしかして自分が見落としている場所があるかもしれない。祈るような気持ちでそれとなくマリーに聞いてみた。
「マリー。私、ティバルト様から頂いた羽ペンをどこかに置き忘れてしまったようなの。見かけなかったかしら?」
「いえ。お見かけしませんでした。見つからないのですか?」
「……きっと使ってそのままどこかへ仕舞って忘れてしまったのだと思うの。だからそのうち見つかると思うわ」
「そうですか。私も気に留めておきますね。他に……何か気になることがありますか? どうか遠慮なさらないでマリーにおっしゃって下さい」
マリーは心配している。オディリアの元気がないことに気付いていたのだろうが自分から言い出すのを待っていてくれたに違いない。言うべきだと知っているがそれでも言えなかった。
「マリー、ありがとう。大丈夫よ」
オディリアはそのまま我慢して過ごした。不安を胸に抱いたままなのは正直辛いがどうしても大ごとにしたくなかった。
それはオディリアの心の底にあるブリューム公爵家への引け目から来るものだ。
四年前にここでお世話になったのは完全にカロリーナ様とディック様の善意によるものだ。いくら親戚だからと言って面倒をみる義務などないのだから。
そして今回の婚約でも迷惑をかけている。自分が助けを求めたばかりにティバルトは自分と婚約することになったのだから。結果的に彼は自分に好意を持ってくれているがそうでなかったら悲しい婚約となっていた。
相談できないままでもティバルトは何も言わずに普通に過ごしてくれている。その心遣いがありがたいと同時に申し訳なくもあった。
今日は昼食後の後片付けが終わった厨房の片隅を借りている。
最近は不安で眠りが浅く寝不足気味だ。顔色は化粧で誤魔化しているがこのままではいけないと、落ちていた気持ちを立て直すために気分転換にお菓子を作ることにした。シュミット侯爵家にいる時によく焼いていた、得意のお菓子にした。ドライフルーツをたっぷりと入れたパウンドケーキを焼く。一つは甘さを控えめにすればティバルトやディック様にも食べやすいだろう。もう一つはオレンジピールを入れたアイシングをかけて甘くしたものを女性陣で食べようと思った。
みんなに喜んでほしい、ティバルトには美味しいと思ってほしくて丁寧に作った。
焼き上がりはなかなかで料理長も褒めてくれた。自分でも上手く焼けたと思う。マリーにお茶の時に出してもらうように頼んで自室に戻った。
お菓子を作るときに汚さないようにと外して部屋に置いてあった苺水晶のブレスレットをつけようとした。
腕にないと落ち着かない。いつも仕舞っているケースを見たが……そこには何もなかった。
そんな……ない……どうして。泣きそうになった。オディリアはブレスレットをお守りのように身につけ大切にしていた。絶対に置き忘れたりするはずがない。部屋を出る前にケースに仕舞ったことを覚えている。
積み重なる心労で絶望的な気持ちになる。足に力が入らない。とうとうオディリアは床にへたり込んだ。涙が頬を伝い落ちていく。
何故物がなくなるのか理由が分からない。誰が、どうして、顔も分からない相手に怯え頭が混乱する。
部屋をノックする音が聞こえたが返事をすることが出来ない。オディリアのすすり泣く声が聞こえたのかもしれない。返事を待たずに扉が開く。
「オディリア様! どうされたのですか?」
マリーが慌てて部屋に入ってきた。お茶の準備が出来たからとオディリアを呼びに来たのだが、座り込んで泣いている姿に驚いて駆け寄る。
「ないの……。ティバルト様から貰ったブレスレットがないの……ひっく……」
張り詰めていた糸が切れたように感情的になっている自覚はあるが幼子のように泣くのを止められない。胸が苦しくて息ができなくなりそうだ。もう心は限界だった。
オディリアの言葉にマリーは目を見開き一瞬険しい表情になるが、すぐに安心させるように柔らかくなった。
「大丈夫です。必ずマリーが探して見つけますよ」
慌てた足音とともにティバルトが開いている扉から部屋に入ってきた。なかなか来ないオディリアを迎えに来て様子がおかしいことに気付いたようだ。
オディリアとマリーを見て驚くもすぐにオディリアの側に寄り抱き上げてソファーに座る。
ティバルトは泣きじゃくるオディリアを自分の膝の上に座らせ大丈夫だと何度も囁いてあやす。無意識にオディリアはティバルトの首に腕を回すと縋り付くようにそこに顔をうずめ、声をあげて泣いた。彼の大きな手が震える細い肩とその背をオディリアが落ち着くまで何度も往復する。
オディリアの頭の中は滅茶苦茶でどうしてという思いがぐるぐると回る。ただ悲しくて感情のままにティバルトに縋りつく。自分はこんなことで泣くような弱い人間だっただろうか。シュミット侯爵家で同じことがあっても傷つかないだろう。大好きなブリューム公爵家での出来事だから辛いのだ。
どれほどの時間をそうしていたのだろうか。
自分を抱きしめるティバルトの体の温かさに、いつの間にかオディリアは泣き疲れてそのまま眠ってしまった。