15.新しい婚約者(正)
「あの……。私たちの婚約はいつ解消するのですか?」
オディリアのその言葉に三人は固まった。一瞬の静寂の後に怪訝そうにカロリーナが切り出した。
「オディリア、あなたは……何を言っているの?」
カロリーナの手元にはウエディングドレスのデザイン画が山のように置かれている。さっきまでウキウキと候補を上げていた。
「……」
ディック様は無言で眉を寄せている。
「オディリア嬢。あなたは私との婚約が嫌でしたか?」
ティバルト様が眉尻を下げ切なげに見つめ問いかける。応接室の空気はオディリアの発言で凍りついてしまった。
オディリアは冷や汗をかきながら自分は何かを間違えているのだろうかと先程のやり取りを思い出してみる。
朝食後にティバルトから話をしようと一緒に応接室に来た。すでにディック様とカロリーナ様が待っていた。ちなみにイデリーナは王太子妃教育の為に王宮に行っているので不在だ。みんなで今後の話をするのだと思いオディリアは憂鬱な気持ちでソファーに座った。この人たちとの別れは辛いものになるだろう。
最初に口を開いたのはカロリーナ様だった。
「ブリューム公爵家に相応しく、そしてオディリアにとびっきり似合う素敵なウエディングドレスを仕立てましょう」
「ティバルト。式は一年後でいいな?」
「できればもう少し早めたいのですが準備を考えると一年後が妥当ですね」
三人は楽しそうに話し出した。あれ? 三人の様子にオディリアは混乱し焦った。自分は修道院に行くのでは? 婚約解消の話が全く出てこない上に、話がどんどん進んでいってしまうので思い切って聞いてみた。
それが「あの……。私たちの婚約はいつ解消するのですか?」だったのだが……。
「何か、誤解があるようですね。何故私との婚約が解消されると思っているのですか?」
「ティバルト様との婚約は私がシュミット侯爵家から出ていくための口実だったのですよね? 無事にこうして出ることが出来たのですから婚約は解消になると思っていました。そして私は修道院に行くつもりでした」
ティバルトの紅玉の瞳には呆れとも落胆とも見える感情が滲む。
「父上、母上。彼女に話をしていないのですか?」
ディック様はカロリーナ様と目を合わせると苦笑いをこぼした。
「オディリア。この婚約は正式なものだ。ウィルダ王国とローデリカ王国の国王を通して(脅して)いるので解消などありえないよ。もし君がティバルトを嫌いでも破談には出来ないよ」
「私がティバルト様を嫌いなんてことありえません!」
咄嗟に口をついて出た言葉だった。まだ会ったばかりだけど自分がティバルトを嫌っているなどと誤解されたくなくて必死だった。
「よかった。私は知らないうちにあなたに嫌われていたのかと思ってしまった。誤解が解けたなら問題ありませんね? 父上、結婚式は一年後に決定でお願いします」
ティバルトは安堵したように表情を緩めるとオディリアに微笑んだ。笑顔を向けられ自分の言葉に急に恥ずかしくなってしまった。
「オディリアには悪いことをしたわ。あなたをシュミット侯爵家から離す一番いい方法だと思ったし、私たちの本当の娘として迎えることが出来ると喜び過ぎて大事な話をせずに先走り過ぎてしまった。それに今はティバルトとオディリアの二人の時間が必要ね」
カロリーナ様はディック様の腕にポンポンと合図をしてソファーから立ち上がりデザイン画を抱えた。ディック様はその腰を抱くと扉へ向かう。部屋をでる寸前にとんでもないことを言った。
「ティバルト。まだ婚約者だ。二人きりだからと羽目を外すなよ。孫の顔を見せるのは結婚式の後にしてくれ」
「父上。そのくらい弁えてますよ」
オディリアはその意味に気付いて顔を赤くした。ニヤリと口角を上げたディック様にティバルトはきつい視線で抗議をする。二人が出て行くとティバルトは溜息を吐いた。
「ティバルト様。この度は私の為に申し訳ございせんでした。どなたか想う女性はいませんでしたか? 私がその人との仲を邪魔してしまったのでは……」
オディリアは俯き膝の上の手をぎゅっと握りしめた。解消することが前提の婚約だと思い込んでいたが正式なものだとすればティバルトに迷惑をかけている。自分を助けるためにティバルトの気持ちが無視されているのではと心配になった。もし思う人がいるならばその仲を引き裂くことになってしまう。
ティバルトは24歳だ。すでに婚約者もしくは妻帯していてもおかしくない。たまたま独身で婚約者もいなかったがオディリアのせいで望まぬ結婚をさせてしまうのではと血の気が引く思いだった。どうやってお詫びをすればいいのか途方にくれてしまう。ティバルトは握りしめているオディリアの手をその大きな手で優しく包み込んだ。
「慕う女性はいませんでした。今までは」
今までは? それなら今はいると言うことだ。そんな……どうしよう。自分は彼の恋の邪魔をしてしまったのだ。どうすればいいのか。眉を寄せオディリアは顔を上げた。ティバルトは穏やかな笑みを浮かべている。
「?」
悩むオディリアを見てくすりと笑う。
「今、私が好きなのはあなたです。オディリア。私たちは婚約者だ。これからはそう呼びます」
ティバルトの言葉の意味を理解すると顔が赤く茹で上がる。どうしよう。嬉しい。嬉しい?……。自分も彼の事を? 彼に会いたかったと思う気持ちも嫌っていると誤解されたくない気持ちも同じところからきている。彼を好きだという想いに繋がっていると自覚すれば、初めて会った日に彼の美しいルビーのような瞳に心を奪われたことに気付く。
だけどまだ会ったばかりだ。リカードには小賢しくて可愛げがないと言われた。ティバルトもオディリアのことを知っていくうちにガッカリするかもしれない。喜びの気持ちを不安が覆い臆病になる。
「……本当ですか? 私たちは会ったばかりです」
「一目見てあなたに惹かれました。あなたがいいと思いました。あなたは?」
ティバルトの言葉は真剣で信じたいと思った。オディリアに向ける紅玉の瞳には熱が籠っている。
「私は……」
まだ、今気づいたばかりの気持ちを言葉にする勇気が出なかった。
「今はあなたに嫌われていなければそれでいい。それでも私たちは一年後には結婚します。距離を縮める為にもお互いに敬語も遠慮も止めましょう。それと私の事もティバルトと呼んで下さい。普段の私はそれほど紳士ではないのでオディリアはガッカリするかもしれませんが、あなたに好きになってもらえるように努力します」
ティバルトは返事を急かさなかった。オディリアの気持ちを無理強いせずに歩み寄ってくれる優しさに心が震える。
勇気はいるがこの人の前で自分をさらけ出して、それでもティバルトが好意を寄せてくれるのなら自分の気持ちを告げる事ができるかも知れない。
「ティバルト様。ありがとうございます。私もあなたに相応しくなれるよう頑張ります」
「オディリア?」
彼は敬語と呼び捨てについて催促しているようだが……。
「すぐには無理です。お願いですから少しずつにさせて下さい」
ティバルトのことを知りたいし親しくなりたいとは思っているが急に変えるのは難しすぎる。
「分かった。オディリアのペースでいいよ。だが私は積極的にあなたの心を手に入れるつもりだ。覚悟してくれ」
ニヤリと口角を上げたティバルトは部屋を出る時のディック様の表情にそっくりでオディリアはこっそり笑ってしまった。