11.リカードの誤算
リカードはアクス子爵家の三男である。長兄は家を継ぐためにもてはやされ、直ぐ上の兄は脳筋ゆえに騎士団でバリバリ働いている。自分にはこれと言って優れた物がなかった。勉強は中の中で努力しても伸びなかった。運動は……あまり得意ではない。きっとリカードの分の運動神経を次男が持って行ってしまったに違いない。
10歳を過ぎた頃、女の子からカッコイイと言われるようになった。それならば自分の優れた容姿を生かせばいいと思った。髪や肌の手入れに気を配り流行のファッションや話題も追いかける。令嬢の好む話題もリサーチした。
女性にモテればどこかの家の婿養子になれると判断した。自分の身一つで騎士団に入ったり商売を始めて金を稼いだりするのは効率が悪い。
通っていた学園でも跡継ぎの令嬢に近づいて交友を深めたが、思ったようにいかず友人止まりだった。リカードの努力は自分の見かけを磨くこと限定で家や領民を守るための知識には興味がなかったのだ。ゆえにそれなりの家の令嬢からは、将来ごく潰しになる可能性のある婿はいらないと判断された。
なかなかいい婿入り先が見つからず焦るリカードに両親がいい縁談を持ってきた。
アクス子爵家では事業が成功していたが更に上を目指そうと大規模な事業の入札を狙っていた。そうなると高位貴族の後押しが欲しくなる。そのときシュミット侯爵家では領地で災害がありお金を必要としていた。そこに狙いをつけた父がリカードとシュミット侯爵家の長女オディリアとの縁談を持ち掛けた。多額の援助金を渡す代わりに後ろ盾になってほしいと取引をしたのだ。彼女は隣国にいてどのような令嬢か情報がなかったが、子爵家より格上の侯爵家に婿入りできると二つ返事で受けた。父も箔がつくと満足していて珍しくリカードを認めてくれた。
正式に婚約が結ばれると隣国ローデリカ王国から帰国したオディリアと対面することになった。
オディリアはリカードと同じ13歳だったが学園にいる同級の令嬢よりも大人びて見えた。瑠璃色の髪に瑠璃色の瞳は透き通った白い肌を引き立たせ、精霊のように美しかった。
「初めまして、リカード様。オディリアと申します。これから婚約者としてよろしくお願いします」
「初めまして。リカードです。こちらこそよろしくお願いします」
リカードは一瞬見惚れてしまったが、そんな彼女なら自分の隣に相応しいと満足した。
それから率先してオディリアとデートを重ねる。彼女が隣にいれば男たちが羨ましそうにリカードを見る。植物園でオディリアは嬉しそうに花を見て回る。普段シュミット侯爵夫妻はオディリアを遊びに連れて行ったりはしていなかった。リカードは花に興味はないが令嬢は喜ぶと聞いていたので連れて来て正解だった。帰り際に豪華なバラの花束をプレゼントした。
「すごく大きな花束ですね。ありがとうございます」
目を丸くして花束を抱きしめお礼を言うオディリアはいつもより可愛らしかった。どうやらプレゼントを貰うことに慣れていないようだ。我儘な令嬢が多いが控えめなオディリアに好感を抱いた。
「喜んでもらえてよかったよ」
ある日は評判のパンケーキ屋に連れて行った。ボリュームのあるふわふわのパンにフルーツとホイップがたっぷりと乗っている。リカードも甘いものは好きなので同じものを注文した。
「リカード様はいろいろなお店に本当に詳しいですね。一緒にいると勉強になり嬉しいです」
「そう言ってもらえると調べたかいがあるよ」
その言葉にリカードも満更ではなくいい気分だった。確かにここまでは順調だったが……。
「このブルーベリーは我が国で採れる物より大きいですね。他国から輸入しているのかしら? 小麦粉も上質なものを使ってこの料金なら適切です。産地はどこかしら?」
オディリアは食べながら小難しいことを話し出した。手の空いた店員を呼んで確認している。リカードは呆気にとられた。令嬢はただ喜んで食べるのが普通だ。オディリアは自分が頭がいいとひけらかしているつもりなのか? リカードはもちろん産地など知らないので馬鹿にされたと感じた。女は出しゃばらないほうが可愛いと思っている。
シュミット侯爵家に婿入りしたら権限やお金を自由に出来ると思い込んでいるリカードにオディリアの勤勉さは不愉快なものだった。それに引き換え妹のナディアはおっとりしていて頭がいいとは言い難くリカードにとってはそれこそが理想的だった。そしてオディリアと違い笑顔でいつも話しかけてくる。
「リカード様。今日はお姉様とどちらに行ってきたのですか? 今度ナディアも一緒に連れて行ってください!」
「そうだね。今度は三人でパンケーキ屋さんに行こうか」
「楽しみです!」
萌黄色の瞳を輝かせ頬を染めながら出かける約束に嬉しそうにする姿はまさに“春の妖精”と貴族の子息の間で評判の可愛さだった。本来なら姉妹であっても婚約者との交流は遠慮するのが常識だがナディアはまったく配慮がない子だった。女の子は少しくらい馬鹿な方が扱いやすくて可愛げがある。
暫くして気付いたがナディアはリカードに興味があるわけではなくオディリアが何を購入したかをしきりに気にした。姉が好きにしては違和感があるがオディリアに向ける笑顔は純粋に姉を慕うものだった。ただ、オディリアは隠しているがナディアを苦手としていた。
だから敢えて三人で出かける頻度を増やした。小賢しいオディリアを困らせるのが楽しかったし、リカードを尊敬するナディアと過ごせることは自尊心を満たした。
ただ比例してオディリアのリカードに対する態度が固くなっていくことは誤算だったが、どうせ結婚することは覆らない。ならばオディリアの機嫌を取る必要はないと気づいた。
そうして気付けばオディリアは社交界で笑わない氷のような冷たい令嬢と言われるようになった。いつも笑顔のナディアと対比させられるのでますます表情がなくなっていく。
社交の場に出ればリカードはとにかくモテる。女性に人気のない男よりも好かれる男の方がオディリアだって鼻が高いだろう。そう思い込んだリカードは殊更、社交の場では令嬢に優しく接した。それを何度かオディリアに注意されたが些細な嫉妬だと気にも止めなかった。それに普段は無表情のオディリアが唯一リカードだけには怒りの感情を示す優越感は捨てがたかった。
事態が急変したのは17歳のときだった。結婚を一年後に控えたある日のこと、両親に馬車に乗せられシュミット侯爵家に向かう馬車の中で突然言われた。
「リカード。シュミット侯爵様が婚約者をオディリア嬢からナディア嬢に変更したいと言ってきた。断るなら縁談はなかったことにしたいと言われた。侯爵に貸した金はすでに返済が終わっているからこちらとしてはその条件を呑むしかない。お前には絶対にシュミット侯爵家に婿入りしてもらわなければ困る。分かったな」
「そ、それはナディアが侯爵家を継ぐということですか? 彼女に領地経営は無理でしょう」
リカードは自分に経営の能力が不足している自覚がある。そして客観的にナディアには絶対に無理だ。オディリアを当てにしていたのに婚約者変更などしたらリカードの負担が増えるじゃないか。
「それなら大丈夫だ。オディリア嬢は領地に滞在させて全ての経営を任せるそうだ。婚約解消すれば体裁が悪いから彼女は王都にいない方が穏便に済むだろう? 彼女の能力ならば経営は安心だろう」
リカードは自分の事を棚に上げ父親の言っていることの身勝手さに怒りを覚えた。
それではオディリアはどうなる? 結婚はさせず領地を任せるなどあまりにも憐れではないか。
これからその話をしに行くのだが、オディリアが抵抗したらリカードも一緒に加勢してなんとか婚約者の変更を思い留めさせなくてはと思っていた。
ここにきてリカードはオディリアが好きだと自覚した。後になって気付くがその想いすら自分勝手なものだった。
話し合いの場でオディリアは一瞬だけ取り乱したが結局はその話をすんなりと受け入れた。まるで侯爵家を継ぐこともリカードとの結婚ももう興味はないという態度だった。
リカードは酷くショックを受けた。隣でナディアがニコニコと喜んでいるが納得できない。ナディアは確かに可愛いが恋心など微塵もない。妹になると思ったからこそ親切にしただけだ。
「ナディア。どうして僕と婚約したいなどとご両親に頼んだの?」
「そうしたら、ずっとお姉様と一緒にいられるのよ? それにお姉様が持っているものは何でも素晴らしいものなのよ? だからリカード様との婚約もほしくなったの。お姉様のものを貰うとナディアは幸せになれるから」
心から喜んでいている、その言葉に背筋が震えた。シュミット侯爵夫妻もそれを当然のように受け入れている。
リカードはオディリアと接触してなんとか元の婚約に戻す為に協力し合おうと思っていた。彼女だって領地に押し込められるのを望んではいないだろう。
ようやく二人で話す時間を見つけたがオディリアには拒絶されてしまった。
「せっかく、優しくしてやっているのに本当に強情な女だな。だいたいお前は僕が婿養子だと最初から見下していたな。せめて泣いて縋り付けばまだ可愛げがあるものを。僕にそんなことを言って後悔すればいい!」
密かにオディリアに感じていた劣等感とこんな事態になってもまったくリカードを頼らないオディリアにガッカリしての言葉だった。
そのままどうすることもできず、オディリアはローデリカ王国の筆頭公爵家嫡男に見初められ王命による婚約で隣国へ行ってしまった。
侯爵夫妻は取り乱していた。リカードは知らなかったがすでに領地経営の半分はオディリアが行っており、その黒字で借金を返済していたのだ。彼女がいなければ再び借金をする可能性がある。だからリカードにはナディアと早く結婚して経営を任せたいと言い出した。
リカードは自分の力では無理だと知っている。だがオディリアが戻る可能性がない以上自分が学ぶしかない。そうでなければせっかく侯爵家に婿入りしても没落するだけだ。
今になってリカードは両親に頭を下げ、教えを請うた。シュミット侯爵は当てにならない以上、自分の父親に頼るしかない。父親の商才は優れていることを知っている。父親もリカードの為というよりは一蓮托生で沈んでは困るとリカードを鍛えてくれた。
そのころナディアはオディリアがいないことを嘆き、ローデリカ王国に会いに行きたいと騒いでいる。
「お姉様は酷いわ。ナディアを置いて隣国に行ってしまうなんて。お姉様がいなかったらナディアはどうしたらいいの?」
リカードは心から後悔していた。オディリアを顧みない家族の中で過ごしてきた彼女の孤独に思いを馳せた。婚約者だった自分だけが寄り添い慰めることが出来たはずなのにそれをしなかったことを……。
自分の幸せしか考えない結婚生活など不幸なだけだ。オディリアが進んで隣国の縁談を受け入れたのは当然だ。少なくともここにいるよりは幸せになれるだろう。
日々癇癪を起こすナディアは、きっとオディリアの結婚式には絶対に参列すると言い出すだろう。リカードは今から頭が痛くなった。だがこれからはリカードがシュミット侯爵家を背負わなければならない。
ナディアとも向き合い信頼関係を築く。いずれ義父上と義母上にはここを離れてもらわねばナディアに良くない影響を及ぼすだろう。
今、分かっているのはナディアが愛しているのはリカードでもオディリアでもない。いつだってナディア自身を最優先で愛しているのだ。オディリアから奪うことでしか幸せを感じられない憐れな女と、自分は結婚して暮らしていかなければならない。自分の至らなさの招いた結果とはいえこれからの事を考えるとリカードは暗然となった。