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10.新しい婚約者(仮)

 オディリアはいつでも家を出ることができるように準備万端だった。

 そもそもここに自分の大切な物はない。イデリーナからの手紙と本、そして最低限の簡素な服を鞄に入れてある。

 ローデリカ王国にいる時にディック様から頂いたプリンセス・レイチェルの人形はブリューム公爵邸に置いてある。オディリアが持っているのを見ればナディアが欲しがるので預かってもらっているのだ。きっとイデリーナの部屋にあるレイチェル人形と一緒に並んでいるはずだ。一応手持ちの宝石など換金できそうなものは常に持ち歩いている。チャンスはきっと少ない。いつでも動けるようにしていた。両親や元婚約者からの贈り物に思い入れはない。お金になりそうな高価な物だけ入れた。


 婚約解消後、妹と元婚約者は仲睦まじく過ごしているみたいだ。関わらないようにしているがナディアがいちいち報告に来る。必要ないと言うと泣き出して面倒なのでそう、よかったわねと聞き流している。リカードと結婚できなくても悲しくはないのが救いだった。

 リカードはあの日以降、何かを言いたげにオディリアを見ていた。そしてナディアがいないときにとうとう話しかけてきた。


「オディリア……。気づいたんだ。本当に愛していたのはオディリアだと。だから婚約を元に戻してもらえるよう一緒にご両親を説得しよう」


 彼は今さら何を言っているのだろう。あれだけ蔑ろにされてきたのに愛してると言われても信じられるはずがない……。


「私はリカードを愛してないわ。それに両親はナディアを優先するから説得しても無駄よ。リカードはずっとナディアには優しかったわよね? あなたにとっても私よりナディアと結婚する方が幸せになれると思うわ」


 リカードは痛ましそうにオディリアを見る。


「そんな痩せ我慢はしなくていいんだ。オディリアは僕の幸せのために身を引くつもりなんだろう?」


 …………。私の言い方が間違っていたのかしら? オディリアがリカードを愛している前提で話していることが怖い。


「リカード。私は自分に冷たく接する男性を愛することは出来ない。もうあなたと結婚したいと思う気持ちはないのよ」


 リカードはプライドが傷ついたのか目を吊り上げて乱暴な言葉を放つ。


「せっかく、優しくしてやっているのに本当に強情な女だな。だいたいお前は僕が婿養子だと最初から見下していたな。せめて泣いて縋り付けばまだ可愛げがあるものを。僕にそんなことを言って後悔すればいい!」


 苦々し気に吐き捨てると去って行った。リカードはずっとオディリアが彼を下に見ていると思っていたのだろうか。だから優しくしてくれなかったのか? オディリアはそんなつもりはなかったが彼の言い分を聞いて、気の強い自分とリカードとは何度やり直しても上手くいかないだろうと思った。


 自分にはナディアのような可愛げがないことは知っているが、改めて真正面から言われるのは辛かった。

 両親はオディリアを領地に送るべく着々と準備をしている。領地のことはオディリアに丸投げしてナディアとゆっくり過ごすらしい。実の両親だが頭がおかしいのではないのかと思う。すでにオディリアにとって両親は他人に等しくなっていた。


 子供の頃、両親の愛情を欲していた自分に言ってやりたい。そんなものはなくても生きていける。あの頃はこの屋敷が自分の世界の全てだった。愛されなければ自分には価値がないと幸せになれないと思い込んでいた。だけど親の愛情だけが全てではなかった。オディリアにとってはブリューム公爵家の人々から与えられた愛情がある。それが理解できた瞬間、両親を恐れなくなった。あの場所が心の中にある限りオディリアは強く生きることが出来る。ブリューム公爵家に自分を送り出してくれたことだけは両親に感謝していた。


 もしかしたら自分の心を守るために親からの愛情を諦めたのかもしれないが、そのお陰で両親やナディアがどう振舞っても悲しくならない。もうこの国にいる理由も未練もなくなり心置きなくローデリカ王国の修道院へ向かうことが出来る。ブリューム公爵夫妻ならきっとオディリアに力を貸してくれるだろう。オディリアは冷静に振舞いながら手紙の返信を待ち続けた。


 オディリアが決意を胸に秘めた頃、突然王宮より使者が来た。ローデリカ王国のブリューム公爵家の嫡男ティバルト様からの婚約の打診だった。両親は慌てふためきオディリアを行かせないと反発した。オディリアにとっては良縁となるが自分たちの為に領地経営を押し付ける事を優先させた。だがこれは実質王命で拒否権はなかった。


 オディリアは王宮から用意された馬車に乗り、一度国王陛下に謁見してすぐさまローデリカ王国へ出発する事になった。誰にも文句を言われることなく堂々と国を出ることが出来る。

 オディリアはブリューム公爵夫妻とイデリーナ、そして出国の口実になってくれたティバルト様に心から感謝した。

 特にティバルト様には頭が上がらない。オディリアが修道院に行く準備が出来次第、口実の婚約を解消して彼を解放してあげなければと強く決意をした。もうじき会ってお礼を言える。再会の喜びを夢に見てオディリアは立派な馬車に揺られてローデリカ王国へ向かった。

 王都から離れるたびに心を縛る鎖が外れていく。国外へ出てローデリカ王国の王都に入るまでの10日間の旅をはやる気持ちを抑えながら静かに過ごした。



 ローデリカ王国の王都に入る検問のところで四頭立ての立派な馬車が待っているのが見える。馬車の家紋は見知ったブリューム公爵家のものだ。

 その馬車に太陽の光を背に人がもたれかかっている。逆光で顔が見えないが背が高いことは分かる。もしかして誰かが自分を迎えに来てくれたのだろうか。馬車が止まるなりオディリアは降りてその人の所へ近づく。


 あっと思った。そこにはディック・ブリューム公爵によく似た顔立ちの男性がいた。長身の彼を見上げれば燃えるような深紅の髪が印象的だ。意志の強そうな眉の下には最上のルビーを思わせる瞳が澄んで輝いている。オディリアは呼吸を忘れるほど魅入られて彼の瞳から目を離せない。彼もオディリアをじっと見つめていた。まるで時間が止まった様に長く二人見つめ合っていた気もするが実際は僅かな時間だ。先に我に返り言葉を発したのは彼だった。


「初めまして。私はティバルト・ブリュームと申します。オディリア・シュミット侯爵令嬢ですね? お迎えに上がりました。詳しい話は我が家でしましょう。どうぞ」


「オディリア・シュミットです。わざわざ来て下さりありがとうございます。こちらこそよろしくお願い致します」

 

 ティバルトは微笑みを浮かべるとスマートにオディリアに手を差し出す。

オディリアが緊張してぎこちない動作で手を預ければ、その手を優しく掴んでゆっくりとティバルトの口元まで持ち上げる。彼はオディリアの目を見つめながら指先にそっと口づけを落とした。オディリアは瞬くのも忘れ目が離せない。手を下ろし満足そうに口角を上げるティバルトに酔ってしまいそうだった。


 オディリアは全身が真っ赤に染まるほど羞恥を感じていた。胸の鼓動がドキドキと暴れている。こんなに熱い眼差しで恭しく扱われたのは初めてだった。固まるオディリアの腰をそっと支えて馬車へとスマートにエスコートをしてくれた。正直なところ、支えてもらわなければ腰がぬけていたかもしれない。


 馬車の中で対面に座る。彼にここまで来てくれたことや仮の婚約のことのお礼を言いたかったが頭が真っ白になってしまい言葉が出てこない。オディリアは今まで初対面の人間とも如才なく会話をすることが出来ていたはずなのに……。


「オディリア嬢。お疲れだと思いますがもう少し我慢してください。両親もイデリーナもあなたが来るのを心待ちにしています。私もあなたに会えて嬉しく思う」


 さっきはティバルトの美しい瞳に目が離せなかったが、彼の顔を身近で見るとその鋭利な美貌を再確認することになる。父親であるディック様とよく似ているが纏う雰囲気は真逆だ。ディック様は燃えるような深紅の髪もまるでお日様のように暖かく見せるようなホッとする笑顔を浮かべる。穏やかな口調で相手を安心させる空気を出す。対してティバルトは同じ髪色なのに鋭い瞳の印象で苛烈な燃えさかる炎を思い浮かべる。口に浮かぶ笑みは美しいが男らしく強い覇気があり緊張感をもたらす。だがそこには圧倒的な魅力があった。


「……はい。ティバルト様。この度は本当にありがとうございます。私も皆様に会えることをとても嬉しく思っています。助力を頂き心から感謝申し上げます」


 彼は目を優しく細め頷いた。

 オディリアはそわそわする心を落ち着かせようと目を閉じた。自分が彼にどう見えているか気になって仕方がない。迎えに来てもらえるとは思わず楽なワンピースを着ている。お世辞にもお洒落とはいえない。化粧も最低限の薄化粧をしているだけで手を抜いたことが悔やまれる。きちんとすればもう少しマシなんですと言い訳をしたくなってしまう。だらしがない女だと思われていないか不安になる。

 

 オディリアはさっき会ったばかりの彼に失望されたくないと感じている。そんな自分を不思議に思いながらも乗り心地のいい馬車の静かな揺れにいつのまにか眠ってしまっていた。




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