春の夜
そして夜が更け、家族はそれぞれの床へつく。
「お父様、お母様、おやすみなさい」
「おやすみ、アレックス、ティファニー」
マリアは2人をそっと抱きしめ、ほほに軽くキスをする。
アレックスとティファニーは、同じ部屋で寝ていた。
飾りなど全くない木の枠組みに、びっしりと敷き詰められた寝藁にかけられたシーツ。
今日はマリアが干したのだろうか、それからは太陽の匂いがした。
窓からは星の明かりが降り注ぐ。
ガラスの代わりに填められる、牛の角を薄く鞣した格子は、冬が開けると同時に外されていた。
川のせせらぎと草原を走る風が作り出す波の音。それがアレックスの心を乱すことはもうないが、眠りに落ちる邪魔をする。
「ティファニー・・・、もう寝たかい?」
アレックスは見慣れた天井に目を向け、隣のベットに横たわる妹に声をかけた。
5秒ほど兄の問いに答えるか迷うが、先ほどの様子が少し気にかかる。
ティファニーはごそりと兄の方に向き直った。
「・・・どうなさいましたの?お兄さま」
アレックスは返事があったことにほっとすると同時に、起こしてしまったのではと、小さく罪悪感に責められる。
「お父様は・・・、なんでこんな田舎の荘園の守護をしているんだろう・・・。お父様は国内一の騎士、お城に仕えれば、もっといい暮らしもできるのに・・・」
「・・・お兄さまはこの荘園がお嫌いですの?」
「そんなことは決して無いけど・・・」
シーツがすれ、ティファニーが寝返りを打つ音が聞こえた。
「先ほどお兄さまが帰ってくる前に、お父さまが近衛に誘われたと言ってましたわ。本当かどうかわかりませんけど・・・」
アレックスは布団から飛び上がるように、体を起こした。
「近衛騎士に!?」
静かな家に、アレックスの声が大きく響く。
近衛騎士とは、アレックスの中で最も栄誉のある仕事だ。
国王に仕え、常に身辺を警護する近衛兵を率いる騎士のことを指す。
最上位の位を持つ騎士の一つで、近衛騎士に就任すれば一代にかぎるが、爵位を与えられることになる。
つまり、父が貴族の仲間入りをすることになるのだ。
アレックスは興奮した。
決して今の生活が嫌いではない。それは嘘ではないが、近衛騎士になれば王都での生活が待っている。
それよりも、父がそれに選ばれるという名誉がなにより嬉しかった。
そんなアレックスの興奮を感じてか、ティファニーは冷たく言い放つ。
「お父さまがそんな申し出をお受けになるはずありませんわ」
興奮に水を差されたアレックスは、妹に憤慨する。
しかし自重し、妹だけに聞こえるように小さく怒鳴った。
「なんでだよ!こんな田舎の守護なんかよりずっと名誉な仕事じゃないか!お父様が断るはずが無い!」
興奮極まり、ベッドから飛び降りる。
「当然ですわ。だってお父さまはエミーナ様の騎士ですもの」
アレックスは妹の言葉が理解できず、あっけに取られる。
名誉を重んじる父に、近衛騎士以上の名誉は無いはずだ。
「ティファニーは反対なのかい?王都に行けば、お前だって魔術の勉強ができるかもしれないんだぞ?」
ティファニーは面倒くさそうに伸びを一つすると、兄の頬にお休みのキスをした。
「もう寝て下さいませ、お兄さま。明日の仕事に差し支えますわ・・・」
そうして布団に深く潜ると、小さな寝息を立てはじまる。
アレックスは苛立ちのまま、自分のベッドを蹴りつける。
「みしっ」と何処かに罅が入るような音がするが、ただそれだけだった。
「くそっ!」
そう言いながらもどうすることも出来ず、ベッドに潜り込む。
(そんなはずは無い!お父様は近衛の誘いを受けるはずだ!)
しかし、頭の中を様々な思いが駆け巡る。
やがて日中の疲れが彼を支配し、眠気が意識を混濁させる。
まもなくしていつも通り、深い眠りについていた。