小さな嘘
「アレックス?」
返事が無いアレックスを不審に思い、エストが顔を覗き込む。
再度アレックスは慌てた。
「も、もちろんだよ!だって僕はエミーナ様の小姓だし、この荘園が大好きだから!」
アレックスの返答を聞き、エストは満足げにほほ笑んだ。
「そう、よかった!じゃあ、きっと・・・、ずっと一緒だね」
エストの笑顔に、アレックスの胸は「ちくり」と小さな痛みを感じる。
アレックスはまだ、エストに父から従士に出すという話が出たことを伝えていない。
従士になって他の騎士に仕えるということは、少なくとも数年この荘園を離れることになる。
ここの荘園に若い男女は、アレックス、ティファニー、エストの3人しかいない。
エストを荘園において出るというのは、どうしようもないこととはいえ妙な罪悪感に襲われる。
「お茶、ありがとう!また明日ね!」
アレックスはお茶の残りを一気に飲み干し、エストにカップを突き返した。
そのままエストの顔を見ず、エミーナの屋敷から外へ駆け出す。
辺りはすっかり日も落ち、ハーブのお茶で温まった体のせいか、吹く風はより一層冷たく感じられた。
聞きなれた小川のせせらぎが、妙に耳障りに感じる。
本来家まで歩いて一分もかからない距離だ。しかし、何故だか走りたい衝動に駆られ、一人日の落ちた草原へ駆け出した。
「わあああぁぁぁーーー!」
衝動を吐き出すかのように、自然と声が漏れる。
湧き上がる淋しさ、切なさ、そして理解できない心の奥のもやもやに苛立ちを感じる。
エストはこの荘園で、一生を暮らすつもりなのだろうか?
それともいずれはこの荘園を出て、外の世界で身を立てるのだろうか?
怒涛の如く噴出する感情に正しい言葉を当てはめられるほど、アレックスはまだ大人では無かった。
一頻り駆け回り胸のもやもやを追い払ったアレックスは、家族の待つ家路へついた。
開け放たれた窓からは、彼を迎えるかのような温かい光が溢れる。
アレックスの家は石造りのエミーナの館と違い、木造の質素な家だ。
建ててからの年月を物語るかのように、重い扉を開くと「ぎーっ」と、大きな音をたてる。
バッツの声と囲炉裏に燃える薪のはぜる音が、アレックスの帰りを迎えた。
「遅かったな、アレックス」
父に出迎えられるのは、4ヶ月ぶりだ。
「はい、ただいまもどりました」
食事の用意は終わっており、あとはアレックスが席に着くのを待つばかりだ。
今日の食卓には鶏肉が上がっていた。
父の帰宅に奮発したのだろう、久しぶりの肉料理に舌鼓を打つ。
いつもは広く感じるこの囲炉裏も、今日は微かに窮屈に思う。
家族が揃うということは、きっとそういうことなのだろう。
アレックスは、この家に生まれて良かったと思った。
食事は和やかに進み、バッツは城から持ち出した秘蔵の果実酒を、勿体ぶりながらも家族に振る舞う。
高級品であるため皆が酔えるほどの量ではないが、微かに全員の口を柔らかくすることは出来たようだ。
「アレックス!何度もいうが騎士の剣とは忠義の剣だ!礼に始まり礼に終わる。今日のようなことでは、まだまだ従士には出せんぞ!」
昼間の訓練の事を言っているのだろう、どうやらこの父は見かけによらず酒に弱いようだ。
思いかけず出た従士という言葉に、アレックスの脳裏をエストの姿が横切った。
「・・・そっか」
アレックスの淡白な反応を見て、一同は不審がる。
普段の彼なら、その一言をいわれて反論しないはずが無いのだ。
微かに空気が重くなる。しかし、こういう時に茶々を入れるのはティファニーの仕事だ。
「どうしましたの、お兄様?いつもの元気がありませんわ」
そういいながら、兄のコップをさっと取り上げる。
それに明るく答えてみせるのが兄の役目だが、今日はそんな気分になれない。
「何でもないよ。今日はちょっと、疲れたからさ」
アレックスは力無さ気に微笑む。
バッツとマリアが不審げに顔を見合わせるが、詮索をしようとはしなかった。
アレックスも間もなく14才、既に立派な大人である。
そんなアレックスに気遣ってか、話題は次に移っていった。
バッツの王城での武勇伝、酒のせいで大分饒舌になっていたが、城での華やかな暮らしはアレックスを魅了した。
「お父様はなぜこんな片田舎の、小さな荘園の守をしているのですか?」
つい、アレックスの口から零れそうになる。
しかし、それは自重した。
理由は分からないが、それは聞いてはいけないことのような気がしたから。