勇気と恐怖
アレックスはそれから何度となく湯を沸かし、エストの元へ運んだ。
もちろん運ぶときは細心の注意を払う。そこで余計な負傷などしたらエスト達の邪魔をすることになるから。
農夫たちが不安げに屋敷に集まってくるが、年嵩の一人を置いてとりあえず作業に戻るようにと追い払う。
1亥ほど過ぎた後、マリアが疲れ果て項垂れるアレックスの元に現れた。
「お母様!カリストさんは?何があったんですか?」
アレックスが問いかけると、マリアは厳しい表情で答えた。
「昨日の夜、隣の荘園が焼き討ちに遭ったらしい・・・。カリストの話だと、他にも襲われている荘園があるらしい」
一堂に緊張が走る。
荘園荒らしは稀に聞く話だ。生活に困った野党が荘園を襲い、食べ物や人を攫っていく。
しかし、ここしばらくは国内には大きな混乱もなく、荘園荒らしが出たという話は聞こえてくることは無かった。
襲撃者の正体は判らず、野党は一通り荘園を荒らして引き上げていったらしい。
幸い死者は出なかったが、カリストをはじめ多くの負傷者が出たらしい。
さらに食糧庫に火をかけられ、個々家に用意した食料が尽きれば、それ以降食いつなぐことは難しいらしい。
「お母さま・・・」
ティファニーが不安そうな顔でマリアに駆け寄る。
マリアはにこりと笑うと、腰をかがめて近づくティファニーを抱きしめた。
「大丈夫よ、ティファニー。お城にはもう使いが出てるし、お父様もすぐに帰ってくるわ。それに・・・、わたしやアレックスが、そんな人達に負けると思う?」
ティファニーはアレックスとマリアの顔を交互に眺め、首を振って答えた。
「負けるはずありませんわ・・・」
マリアはティファニーの頭を撫で、笑顔で頷く。
「でしょ?じゃあティファニーは出来ることをしてちょうだい。隣の荘園に食料と薬や毛布を送ってあげないと。困った時は助け合いでしょ?」
「・・・わたしは食料の準備をしますわ」
「そうね。お願いするわ、賢いティファニー」
「はい」
彼女はそう答えると、足早に家から出ていった。
次にマリアはアレックスを近くに呼ぶと、にこりと微笑む。
「アレックス、ティファニーを宜しくね」
その一言がアレックスの心に深くしみわたると、彼の瞳から涙が零れ落ちた。
「お母様!」
アレックスの頬が赤く染まっているのは、昼間なのに轟々と焚かれた竈の熱のせいではなかった。
「僕にはティファニーを護ることなんてできません・・・。剣を握るのが・・・怖いのです・・・」
アレックスは腰に下げた剣の柄を、恨めしそうに握った。
「僕には勇気が無いから・・・戦うことが怖いのです!本当は、ゴブリンは僕が倒したのではなくって、たまたまで、あの時はただ泣き叫ぶことしか出来ませんでした・・・!」
アレックスの瞳からは留まることなく涙が溢れ、悔し気に唇を噛み、肩を震わす。
彼は自分の無力さを十分理解しているが、それなのに彼が立派に護ってくれると信じて疑わないティファニー、マリア、そしてエストの瞳に耐え切れず、押しつぶされそうになっていた。
「僕は・・・騎士になりたくない・・・」
不意にアレックスを、優しいものが包んだ。
マリアが自分の胸に、アレックスを抱きしめたのである。
「アレックス、あなたもティファニーも、もう十分に強いのよ。それに、勇気があっても戦うのは怖いわ。お父様もわたしも、勇気なんて少しも持ってないの」
マリアはアレックスの前にかがむと、彼の涙を指で拭った。
「お父様が強いのは、お父様が騎士だから強いわけじゃないでしょ。わたしだって今は剣を握っていないけど、弱いわけじゃない・・・。それはわかるかしら?」
彼女の諭すような言葉に、アレックスは黙って頷く。
「だから、アレックスが臆病だったとして、剣を握ることが怖かったとしても、それは決してあなたが弱いわけじゃない」
その言葉は、アレックスには理解できなかった。
「もしあなたが、今の自分を弱いと感じているなら、それは強いということを勘違いしているだけなの」
マリアは優しくアレックスの頭を撫で、そっと頬にキスをする。
「騎士になるかどうかは、自分で考えなさい?誰も勧めないし、誰も止めないから・・・」
マリアは立ち上がると、アレックスにこのまま部屋で待つように言い残し、家を後にした。
扉を開くと同時に風が吹き込み、熱の籠った室内の空気を新鮮なものへと入れ替える。
扉の向こうには雪舞の花が、綺麗に咲き誇っていた。




