恐怖
アレックスの言葉に、エストは意外そうな顔をした。
「あら。この前までの勢いはどこへ消えたのかしら?」
そうしてクスクスと小さく笑う。そして、後ろに倒れるように温かい草の上に寝転んだ。
アレックスもそれに倣う。
「アレックスがエミーナ様の小姓についてどれくらい経つかしら?」
アレックスは辺りの草を、つまらなさそうに一握りむしり取った。
風にむしり取った風を流すが、空を舞うことは無く下に落ちる。
「7才の誕生日からだから、もうすぐ7年かな・・・」
「今朝ね、エミーナ様がそろそろ小姓から卒業させるっておっしゃってたわ・・・」
そういってエストはアレックスから視線をそらす。
(そっか・・・。だからこの仕事が僕の所にきたんだ)
アレックスはぼんやりとそう考えた。
「・・・どうしたの?もっと喜ぶと思ったのに」
思いの外淡白な反応にエストは戸惑う。
「え?ううん。なんでもないよ・・・」
「アレックス、もしかして騎士になるのやめちゃうの?ずっとしてた剣の稽古、してないよね?」
そう言いながらエストは体を起こし、アレックスの顔を上から覗き込んだ。
心臓が一つ大きく脈打つと、あわてて体を起こす。
「そんなことないよ!」
「ほんと?じゃあ今日は剣の稽古はしないの?」
エストの瞳が心配そうにアレックスを見つめる。
彼はその視線に耐え切れず、おもわず顔をそらした。
エストのいう通り、確かにあの日以来剣の稽古はしていなかった。
あの日以来、意識に空白ができると、アレックスの脳裏にゴブリンの死の映像が浮かぶ。
未だ手に残る、ゴブリンの体に短剣が突き刺さる感触、そして体に浴びせられた夥しい量の血液。
その光景が夢に現れたこともあった。そしてその夢で息絶えたのは、アレックスとティファニーだった・・・。
今腰にある剣がアレックスに与えたのは敵を打ち倒す力ではなく、それは「死」と「恐怖」の象徴でしかなかった。
アレックスは傍らの剣に手をかけてみる。
手に触れる巻き革の感触が、あの時の記憶を呼び覚まさせる。同時に背中に冷たいものが走り、全身から汗が噴き出すのを感じた。
「アレックス?」
重い沈黙が2人の間を流れる。
しばらくの後、アレックスがぽつりと口を開いた。
「騎士を目指すことを辞めたわけじゃないんだ・・・。けど、剣を持つと、力が入らなくって・・・。何の為に騎士を目指していたのか、わからなくなっちゃった」
エストは彼の告白に言葉を失った。
ただ淋しそうな後姿を、見守ることしか出来なかった。
「遅くなっちゃうからそろそろ行こう」
アレックスはそう言うと、一人馬に跨り歩き出した。
それから街道につくまでの間、2人の間に言葉が交わされることは無かった。
結局アレックス達が街道にたどり着き一組の商隊に手紙を渡せたのは、野営を覚悟し、薪を集め始めた矢先のことだった。
遅くなってしまったものの、身元のしっかりした商隊へ宅せたのは運が良かっただろう。
「遅くなっちゃったね。日が落ちてからあの林を戻るのは危険だから、今日はここで野営をして、日が昇ってから荘園に戻りましょう」
数か月に一度、ほかの町などへ足を運ぶことのあるエストにとって野営はそう珍しいことではなかった。しかし、アレックスにとっては遥か昔、父と母に連れられて王都へ向かった時以来である。
今回はエストと2人っきりで野営だ。
アレックスは緊張すると同時に、なにかそわそわするような、妙に浮足立つような感覚を覚えた。
街道付近はなだらかな地形が続いており、近くに森などは無く危険は少ない。
旅慣れたエストは、さらに街道を進み野営に適した場所まで移動した。
そこはほかの人も野営に利用しているらしく、前の人が使ったらしい炭がまだ残っていた。
馬を繋ぎ止めるための杭もある。
「いい、アレックス?まず焚き火を絶対に消さないこと!ここらへんは狼も妖魔も出ないから、火さえ消さなければ危険なことはないわ。あと、一番気をつけなければいけないのは人間よ。日が落ちてから歩いている人間なんて、だいたいろくな人じゃないから」
腰に手を当てて、人差し指をピンとのばしてエストが言う。
てきぱきと野営の準備をする彼女は、心なしか楽しそうに見える。
夕食はエストが持ってきたパンに、手紙を託した商隊から買い取ったわずかばかりのチーズをのせ、焚き火で焙ったものだ。
久しぶりに食べたチーズは、頬がとろけるのではと思うほど美味しかった。
2人は夕食を終え、パチパチとはぜる焚き火をすることもなく眺めていた。
アレックスは腰に手を回し、剣が在るのを確認する。
(今の僕に、これが何の役に立つのだろう・・・)
傍らで炎を見つめるエストに目を向けた。
エストの憂いを帯びた横顔は炎に照らされ、何かを物憂げに考えているように見えた。
(エストは何を考えてるんだろう・・・)
そんなエストの表情に微かに不安を覚えた時、彼女はぽつりと呟いた。
「チーズ美味しかったね・・・」
予想外の一言に、アレックスは思わず吹き出してしまった。
「な、なに?」
かなり長い間考え事をしていたように見えたが、その間ずっと頭の中でチーズの味を反芻していたのだろうか?
そんな彼女を見ると、心が温かくなるような何かが湧き上がるような、不思議な気分になる。




