ゴブリン
ゴブリンは日向へ出ると、眩しそうに目を細めた。
緩慢な動きは、寝起きを思わせる。
醜悪な外見に一度心は縮み上がるが、気合を入れて奮い立たす。
「はあぁぁぁっ!」
ゴブリンとの距離はまだ離れているが、一歩派手に音を鳴らして踏み込んだ。
剣をブンと大きく振って、相手を威嚇する。
臆病なゴブリンは、本来これで逃げ出すはずだった。
しかし・・・、期待とは裏腹に、ゴブリンは一歩一歩アレックスに近づいてくる。それどころか、歯茎をさらに大きく開き、むき出しになった歯を見せながら小さく「グルルルル・・・」とうなり声をあげた。
ティファニーは怯まないゴブリンを見て焦るが、彼女にはどうすることも出来ない。狼狽えながらも意識を張り、魔法がいつでも使えるように精神を集中させる。
アレックスはゴブリンが一歩近づく毎に、その体が巨大になっていくような錯覚を感じた。
「臆するな!あれは下等な妖魔、ゴブリンだ!」
三度声をあげる。
その声を聴いても、ゴブリンは歩くのを止める気配が無い。
アレックスはついに攻撃を決心する。
アレックスはつま先に力を溜め、ゴブリンに向けて跳躍した。
父にも鋭さを褒められた、渾身の打ち込みをゴブリンに見舞う。
(父でも受け流すのがやっとの斬撃だ、妖魔如きにかわせるはずが無い!)
しかし、ゴブリンはそれをわずかに身を引くだけで避けた。
切っ先が空を切り、微かに地面を抉る。
(躱された?・・・いや、そんなはずは無い、間合いを読み間違えたんだ!)
アレックスの体を、奇妙な感覚が支配していく。
一歩間合いを取り、今度はゴブリンが武器を持つ手の逆側から横に払う。
(逆側からの払いなら、武器で受けることはできない!)
アレックスは勝利を確信する。
しかし、その一撃もまた空を切った。
アレックスは焦った。
ゴブリンの動きは、父のそれと比べると明らかに遅い。
なぜ剣が当たらない?
考える間もなく、ゴブリンからの打ち込みがくる。
体を大きく横に開き、隙だらけの大ぶりな横薙ぎの一閃。
アレックスはそれを難なくかわす。
(ぜんぜん遅いじゃないか!)
次いで、上からの打ち込みを剣を横にして受け止めた。
その瞬間、アレックスの全身から汗が吹き出し、冷水に飛び込んだかのように体が縮み上がるのを感じた。
剣を組んで押し合う形になる。ゴブリンの醜悪な顔が、アレックスのすぐ目の前に現れた。
「グルルルル・・・・!!」
この時アレックスは、初めてゴブリンがうなり声をあげていることに気がつく。
大きく見開かれたゴブリンの目は、真っ赤な怒りの炎を携えてアレックスを睨みつける。
「な・・・、なんなんだ!これは!」
ゴブリンの力は決して強くない。
しかしアレックスは、何かに力を吸い取られるかのような感覚に陥り、徐々にゴブリンに押され始めた。
そして、次の瞬間。
「え・・・?」
アレックスの首筋に、一筋の血の線がつけられた。
彼がそれを避けることができたのは、偶然に近い。
ゴブリンは剣の押し合いの最中急に力を抜き、当然アレックスの鋭く砥がれた剣がゴブリンに迫るが、それを気にすることもなくアレックスののどに向けて鋭い爪を生やした手を突き出してきたのだ。
アレックスは急に力が抜かれた為に体制を大きく横に崩したが、そのおかげでゴブリンの不意打ちを避けることができたのである。
力を抜かれて行き場を失ったアレックスの剣がゴブリンの顔面に当たり、頬を大きく切り裂いた。
アレックスはゴブリンの胸を強く蹴り、ゴブリンとの間合いを再度開ける。
ゴブリンの足跡を追うように、頬から流れる血が地面を汚した。
アレックスは騎士を目指して7年間、剣を握らない日は無かった。
父バッツとも、星の数ほど剣を交えて稽古を繰り返した。
その結果、彼は14才という年を考えれば、類い稀なる剣技を身につける。
その努力の結果、先日やっと尊敬する父に剣を触れさすことができたのだ。
しかしこの醜悪な妖魔の攻撃は、今まで何百、何千と受け止めてきた父の剣には無いものを持っている。
「殺気」
バッツの剣は常に優しかった。
稽古で怪我をすることは日常であったが、それでも父の剣には優しさが満ち溢れている。
アレックスはこの時初めて、自分に向けられる「殺気」を受け止めなければならなかったのだ。
(ゴブリンは僕を殺そうとしている・・・)
ゴブリンの鉈はアレックスに届くことは無かったが、精神の大部分を削り取った。そして、アレックスの攻撃が届かなかったのも、彼が無意識に生物を殺すことを躊躇い、知らずに間合いが浅くなってしまっていた結果だった。
「大丈夫だ!あと一歩、奥に踏み込むだけ!」
気合を振り絞り、再度打ち込みをかけるために強く踏み込んだその瞬間。
「グガアアァアァアアァアア!!」
ゴブリンの咆哮がアレックスを襲い、彼の筋肉を委縮させる。
剣気を失ったアレックスの剣は、ゴブリンに届いたが肩をわずかに傷つけただけにとどまった。




