ゴブリン退治
次の日の朝、いつもはエミーナ邸で朝食を取っているアレックスは、自分の家でそれを終える。
しばらく離れ離れになる家族に対しての、エミーナのはからいだった。
父が家に居ないことは既に慣れていたが、まだ若い兄妹にとって別れは淋しいものである。
「お父さま!お気をつけて!」
「ご武運を!」
それぞれの言葉で、草原から父と母を見送る。
マリアはバッツを街道まで送るらしく、およそ半日程度の距離があるために母が家に戻るのは日が暮れる頃だろう。
2人とも両手が引きちぎれんばかりに大きく、強く振った。
見送られる2人は何度も振り返りながら手を振り、しばらくするとその姿は草原に溶けて消える。
「行ってしまわれた・・・」
アレックスは一人呟く。
話したいことはいっぱいあった、いつもそれを別れてから思い出す。
旅立つバッツを送るかのように、草原の風は穏やかだった。
「お兄さま、感傷に浸っている場合じゃありませんわ。そろそろお仕事に戻らないとエミーナ様に怒られます!」
「わかっているよ!ティファニーはお節介だな」
ティファニーは「まあ!」と声をあげ、心外だといわんばかりに頬を膨らませた。
「お父さまからの宿題も、ちゃんと考えておかないといけませんことよ」
「うるさいよ!」
そういってアレックスは荘園に向かい走り出し、ティファニーは後を追った。
春の日差しは暖かく、離れる家族の元にも等しく降り注ぐ。
空は青く、果てしなく高かった。
荘園の石垣を越えてエミーナ邸への道に入った時、アレックスは屋敷の前に農夫たちが集まっている姿を目にした。
小さな荘園のため、農夫の数は合わせて10人もいない。
あの様子では、おそらくすべての農夫が集まっているように見える。
アレックスは走る速度を緩めると、ティファニーが息を切らせながらその背中に追いついた。
「どうなさったのですか、お兄さま?」
ティファニーは言うと同時に、その人だかりに気づいた。
農夫たちは一様に、困惑の表情を浮かべている。
アレックスが一団に近づくと同時に、屋敷の中からエミーナとエストが現れた。
「アレックス、あなた達も一緒に話を聞いてちょうだい」
いつもの穏やかな声だが、表情からは微かな緊張が感じ取れた。
集まった農夫たちは口々に話し始めるが、エミーナとエストは好き勝手話す農夫たちの言葉を、まとめ上げながら聞いていく。
「・・・つまり、森の洞穴にゴブリンが住み着いたということですか?」
アレックスとティファニーは顔を見合わせる。
今日の朝、農作業に出た農夫が、畑の一部が荒らされているのを発見したらしい。
別の農夫は、数日前に森へ薪を拾いに行った際、小さな人影を見たという。
そして村の周りを調べた結果、小さなゴブリンらしい足跡が森の方向へ向かっているのを発見した。
洞穴の存在はアレックス達もよく知っていた。
もうしばらくそこへは行っていないが、荘園にまだ子供が多くいたころ、そこはアレックス、ティファニー、エストの遊び場だったからだ。
奥行きが3リール(メートル)もない小さな洞穴だが、妖魔が住み着くといけないので埋めてしまおうという案が出ていた矢先である。
最近は人間の生活圏で、妖魔を見ることはほとんど無かった。
街道が整備されて人と妖魔の生活圏がはっきり分かれたことと、国軍によって定期的に行われる魔物狩りの成果でもある。
アレックスも、もちろんティファニーも、農夫の中のおよそ半数はゴブリンを目にしたことが無い。
妖魔の中でゴブリンはおそらく最も名が知られており、父母の話の中、書物の中にも多く登場する。
そのため、アレックスがどの程度の脅威を持つ妖魔なのか、なんとなくは把握していた。
「大丈夫、ゴブリンはとても臆病な生き物だから、昼間に自分から荘園に入ってくるようなことはありません。森の中で遭遇したとしても、相手が一匹でしたら慌てずにゆっくりとその場を離れれば、追ってくることもありません」
実際ゴブリンによって人が怪我を負わされることは稀だった。
しかし、農作物はもちろん、被害が家畜にまで及べば放っておくことはできない。
さらに、ゴブリンが集まり徒党を組んだ場合、その危険度は大幅に跳ね上がるのだ。
「仲間が増える前にゴブリン退治をせんといけませんが・・・、どうしましょう?冒険者を雇うか、なんとか俺たちで追い払うか・・・」
(ゴブリン退治・・・?)
アレックスは自分の鼓動が1度大きく脈打つのを感じる。
(ゴブリン退治!!)
なんと心躍る言葉だろうか!
その言葉を飲み込むと、居ても立ってもいられなくなってくる。
数多くの英雄譚の多くで、最初に出てくる試練といえばゴブリン退治だったと記憶している。
それは駆け出し騎士であるアレックスに、最も適した試練なのではないだろうか?
父も母もいないこの時、荘園を守るのは自分しかいないのである。
ティファニーは兄の上気した横顔、キラキラと光る瞳に、いやな予感が止まらなかった。




