水車のある荘園
振り下ろされた剣は、放たれた矢の如く空気を切り裂いた。
それは針の穴を通すような正確さで、少年の頭部を襲う。
少年は腰を落とし地面を踏みしめると、その一撃をしっかりと剣で受け止める。
ガキンと鉄と鉄が打ち合う音が、春の草原に響き渡る。
少年の名はアレックス、この春に14才を迎える。
亜麻色の短い髪に汗が伝い、風の中に消えていく。
そして彼に剣を振り下ろした男は、彼の父バッツ。
アレックスが剣先をわずかに下げると、バッツの剣は金属が擦れ合う音を発しながら外へ流れ出す。 そのまま剣を受け流し、隙ができたはずのバッツの肩口へ向けて剣を振り下ろす。
十分に体重の乗ったその斬撃を、バッツは剣の柄で器用に受け止めると、そのままアレックスに渾身の体当たりを見舞う。
なすすべなくそれを受けたアレックスは、よたよたと数歩後ずさると、無様に尻もちをついた。
自分の耳に聞こえるかと錯覚するほど、鼓動が高まり血液が体中を駆け巡るが、父を見るその瞳は尊敬に溢れていた。
小さな国の、小さな荘園。
少年にとって、それが世界の全てだった。
荘園を囲う草原と、外れの小さな森。
荘園を貫いて流れる小川と、それに作られた小さな水車小屋。
春を迎えた日差しは日を追う毎に暖かさを増し、親子の元に降り注ぐ。
先日降った雨により空気はより一層生命の息吹を含み、アレックスはそれを胸いっぱいに吸い込んだ。
少年は1日をその小さな世界で過ごす。
朝起きて領主の給仕へ向かい、それが終わったら農園へ出て農作業に汗を流す。
そして空いた時間を使い、憧れの騎士になるために稽古に取り組むのだ。
この日彼らは荘園からわずかに離れた草原の丘で、剣技の稽古に励んでいた。
日は高く昇り、間もなく正午を迎える頃。
草原を走る風が白い波を作り、アレックスの頬に流れる一筋の汗を拭い去る。
「お父様!もう一本お願いします!」
アレックスは刃を潰してある模擬剣を正面に構える。
腰の高さで握ったその剣の切っ先を、真っ直ぐに父へ向けた。
アレックスは厳格だが優しい父が大好きだった。
そして、彼の何よりの自慢。
アレックスが生まれる前は王都に勤め、数々の武勲を上げた。
卓越した剣の腕前を持ち、かつては騎士団を率いて戦に立ったという。
領主や民からの信頼も厚いそんな父を、自慢に思わないことの方が無理というものだろう。
「アレックス!何度言ったらわかる!礼が先だといっているだろう!」
父からの叱責が飛ぶ。
アレックスの耳に父の声は届いているが、久しぶりに父と稽古がつけられるという興奮で、それどころではない。
「はい!」
アレックスは元気よく返事をしながら、腰を落として力を溜めると、一気に上段から切り込む。
父はそんな息子を見て、ため息を一つ落とす。
再び吹いた風に乗るように、鋭い打ち込みがバッツを襲う。
バッツは開始の礼を怠った戒めに一撃で打ち倒そうかと思うが、予想以上の見事な打ち込みにそれを自重する。
(アレックス・・・、大きくなった)
バッツは正面で斬撃をを受け止め強く弾くと、そのまま手を返してアレックスの胸を剣で払おうとする。
十分に体制を崩せるほどの弾きだったはずだ。
「ぐっ・・・、あぁ!」
アレックスは気合の声を上げ、それに耐えてみせたのだ。
なんとか体制を保ったアレックスは、続いて繰り出されたバッツの攻撃をかわすと、そのまま短い掛け声を上げながら突きを繰り出した。
「くっ!」
バッツは体をひねって剣を避けるが、切っ先がわずかに体をかすめる。
一瞬の硬直の後、アレックスは驚きの表情をあげた。
なぜなら彼の切っ先がバッツの体に触れたのは、この時が初めてだったからだ。
「お父様!?今、当たりましたよね!」
アレックスの顔から、花が咲いたような笑顔があふれる。
バッツはその笑顔に釣られて顔が綻びかけるが、ぐっと我慢をしてアレックスの頭に拳骨を見舞う。
「アレックス!礼がまだだといっておろうが!お前は騎士をなんと心得る!」
予想外の叱責に、咲いた花が萎むようにアレックスから笑顔が消え、そして視線を落とした。
「申し訳ありません・・・、つい、嬉しくて・・・」
バッツはじっと黒い瞳をアレックスに向けた。
体つきはがっしりとした父のそれと比べれば、まだまだ頼りない。
しかし、父が家を空けていた4ヶ月間、どうやら真面目に稽古に励んでいたようだ。
「・・・しかし、なかなかの打ち込みだった」
その一言で、アレックスは弾けるように顔を上げる。
「本当ですか、お父さま!?」
アレックスの単純さに、バッツは苦笑した。
「強くなったな、アレックス。そろそろ従士に出していい頃かもしれん」
「そ、それじゃあ・・・」
バッツは黙って頷いた。
それを見て、アレックスは文字通り飛び上がって喜ぶ。
「やったーー!」
はしゃぐ息子を見て、父からの叱責が再度飛んだ。
「礼がまだ済んでおらんぞ!」
「はい!ありがとうございました!」
そういうと、緑生い茂る草原の丘を駆け下り、荘園の中へ姿を消す。
無邪気な息子に、バッツは再び苦笑を浮かべた。
「しかし・・・、まだまだ子供だな・・・」
呟く口調は優しかった。
風がそっと、彼の短い黒髪を揺らす。
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