【短編】THE・ド底辺YouTuber
結婚したいと思った人がいた。
優しくて、おしとやかで、でもダメなときはしっかり叱ってくれる人だった。
僕にはもったいないくらいの美人。けれどそれで気取ったりはしない。
今の時代にSNSの一つもやってないのだ。
インスタでもすれば、沢山のフォロワーがつくだろうしスカウトの一つや二つだって来るはずだ。
でも彼女は、そんなことで自分のことを認めてもらおうとはしない。
そういう彼女の気高さというか、奥ゆかしさが僕はすごく好きだった。
彼女はたまに言った。
「私のことを本当に分かってくれているのはあなただけ」
紛れもなくその言葉は僕に向けられる。
ただ、なぜ彼女がそう思うのかは分からなかった。
一度だけなぜそう思うのか聞いたこともある。でも彼女は
「教えない」
そう言って誤魔化すだけだったのだ。
その時は気になって仕方なかった。けれど、時間が経つとそんなことはどうでもよくなっていく。
とどのつまり、僕は彼女のことが好きだったし、その答えを知らずとも彼女にそう思われている人間、という事実さえあれば十分だった。
自信を持って生きることができたのだ。
まぁでも、今考えるとそれが甘えだった。
で、その甘えがあったから、僕はある行動に踏み切ることになる。
ある日、僕は彼女に言った。
「YouTuberになろうと思う」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
とある焼肉チェーン店。畳が敷かれた和室風の空間に、規則正しく並べられた四人用の机たち。
そのうちの一つに僕と亮太は向き合うようにして座っていた。
隣の席にはサラリーマン風の男二人がいて、仕事の愚痴をこぼしている。
歳は僕たちより少し上ぐらいだろうか。天井からつるされた暖簾で顔は見えないが、声の感じで何となくそう思った。
少なくともあまり楽しい顔はしていないだろう。
僕は目の前で焦げていた肉を自分の取り皿の上へ救出し、焼かれずに残っていたホルモンを今度はコンロに乗せる。
この店に来てから一時間、僕は亮太にしたい話をまだできていない。
まるで好きな女の子に告白するような緊張とともに、本題を切り出す機会を伺っていた。
しかし、こうも戸惑っていては埒が明かない。
僕は目の前のホルモンがいい具合に焼けるまでに話を切り出そうと決心したのだ。
自然な流れを作るため、僕は少し強引に亮太に聞く。
「最近、音楽活動はどうなん?」
亮太とは大学が同じで同期だった。
亮太は大学を卒業してから就職はせずに、自分で音楽を作ってはYouTubeに上げるという音楽活動を続けている。
「まぁーぼちぼちかな」
亮太は少し考えてからそう言った。
「そうなんや。今後どんな風にしていきたいとかあるん?」
「んー。とりあえず、もっと音楽をYouTubeに載せていこうとは思ってる」
「なるほどなー」
会話は一度途切れる。一瞬の沈黙が訪れた。すると隣のサラリーマンの声がまた耳に届いた。
『とりあえず坂上さん、ウザいんだよ。ほぼ無理やり残業。小杉と遊びに行く予定会ったのにさ。マジふざけとる』
サラリーマンの声はさっきより少し声が大きくなっている気がした。
亮太もその声の方が気になっているようだ。
僕は亮太の意識をこちらに引き戻すように言う。
「やっぱさ、人生楽しく生きたいよな」
「それなー」
締まりのない声で亮太は言う。
「でもおれ、亮太の生き方けっこう好きなんだよね。お前とか勇士ってさ、ちゃんと自分のしたいことやりながら生きとるやん。普通に尊敬だわ」
勇士も大学の同期だ。亮太と同じで音楽活動に打ち込んでいて、四年生の頃にはCDをだしたりもしていた。
その界隈では結構有名なドラマーだ。今も働きながら音楽活動も続けている。
「まぁー好きなことやってると言っても、俺は勇士みたいに上手くいってるわけじゃないからね。稼げてないし」
そう言いつつ、亮太はまんざらでもなさそうだった。僕は亮太の言葉に続ける。
「いや、でもさ、今上手くいってるかはそんなに重要じゃないでしょ。この時代、そういう選択は中々できんけんね。そこに意味があると思うんよ。それに、あとで結果が出れば全部報われるやろ?」
「まぁ、そうやね」
僕の言葉を聞いたからか、亮太は少し嬉しそうに肉と白米を頬張った。
何となくここだと思った。僕はついに話を切り出す。
「実は俺もYouTube始めようと思っとんよね。ほら、前に小説書いてるって言ったやろ? 小説書いてる人ってさ、あんまり顔出さんから、敢えて顔出してみたら面白いと思って。作品よりもまずは人間に興味持ってもらう的な」
「おぉー。めっふぁいいふぁん(めっちゃいいやん)」
亮太は口を膨らませたまま言う。僕はその様子を眺めながらゆっくり続けた。
「いや、でね、まぁ急な話にはなるんやけど、一緒にYouTubeやってみらん? お互いのためになると思うんやけど」
そう言った瞬間、体には少し緊張が走る。
そして丁度口の中のものを飲み込んだ亮太が言った。
「えっ、いいよ。やろ」
あまりにもあっけなかった。その言葉には何の重々しさもない。
まるで遊びに誘われて了承するかのように、亮太は軽々とそれを言ってのけた。
そんな返事だったから、僕も反応に困る。
「おっ、マジか」
「マジか、ってなんだよ。お前が誘ったんやん」
本当にその通りだ。そう思うと少し耳のあたりが赤くなるのを感じた。
僕は切り替えたように話を続ける。
「う、うん。じゃあ、チャンネル名はどうする?」
「チャンネル名かー。なんか意味のある名前にしたいな。分かりやすさとか大事だと思う」
「じゃ、あんまり長くはできんね」
「カタカナ5文字以内の短いやつがいいかも」
「そうやな」
ビジネスとして、YouTubeが今レッドオーシャンであることぐらい僕にも分かっていた。
けれど勝算もあった。
今の時代、作品の質も大切ではあるが、それ以上に誰が作ったのかというのが重要な要素だ。
個人が世界中に発信する力を持てるこの時代、小説も「~(作品名)を書いた誰々」というより、「誰々が書いた~(作品名)」というような見方をされてもいいと思ったのだ。
僕自身、作家の名前は知っているけど顔が浮かばないということが多々ある。
読み手として、自分の心が揺さぶられた物語に出会った時ほど、その作者がどんな考えの持ち主なのか気になるが、中々そこに触れられる機会はないのだ。
顔だけならネットにもある。しかし作者自身の人間性が分かるような情報は少ない。
これは作品のイメージを壊さないためなのだろうと思う。
けれど僕は敢えて反対のことをしてやろうと思った。
作品の上に人がいる状態ではなく、人の上に作品がある状態を作るのだ。
僕という人間に興味を持ってもらい、そこから作品へと関心を繋げる。
そうすれば、作品よりもまずは人間性が認知されるから、作品のイメージと違う、なんて理由でがっかりされることもない。
こうして僕はYouTubeを始めることになる。
七月の末、二十五歳の誕生日を迎える一週間ほど前のことだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なぁ、YouTube始めることになったよ」
「ほんとー! よかったね。おめでと」
「ありがとう。これから頑張るわ」
「あんまり無理しないでね。動画投稿って、思ったより大変だって聞くし」
「まぁなんとかするよ。毎日投稿ってわけでもないから」
「でも仕事もあるでしょ。和人、今だって結構忙しいのに。仕事に支障出ない?」
「うん、大丈夫。危なくなったら、そこはちゃんと調整する。だから心配しなくいいよ」
「分かった。何か手伝えることがあったら言ってね」
「ありがとう」
「そういえば、今まで通り月曜日は会えそう?」
「あぁー、今までみたいに一日中時間はとれないかも。夜は時間あると思うんだけど」
「そっかぁ...」
「あっ、じゃあ日曜日の夜も会おう! 仕事早く終わらせて時間作るからさ。これで会う時間の長さは変わらなくなるでしょ」
「うん...」
「本当ごめんな。なんかそういう話もせずに決めちゃって」
「...いや、大丈夫! そうだね。会う時間は変わらないよね。私も日曜日に時間が取れるように調整するから。和人のこと応援してる!」
「ありがとう。よぉーし! なんかオラ、ワクワクすっぞ!」
「なにそれ。もしかして悟空!? だとしたら、相変わらず似てないよね」
「そんなことないだろ!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それからは早かった。三日後には初めての撮影をした。
僕と亮太のチャンネルが結成されて以降、二人とも休みだった月曜日が撮影日となった。
週三回投稿を目標にしていた僕たちは、その月曜日に三本分の企画をとることになっていた。
初めて動画を撮ったとき、こんなにも撮影とは難しいのかと思った。
まず撮影中の空気は殺伐としている。
完成した動画というのはBGMが流れているのでそう感じはしないが、カメラの向こうにあるのは静寂という音だけだった。
それを紛らわせるように、とりあえず何かを喋り続けることになる。切迫感があるのだ。
亮太はペラペラ喋れるタイプではないので、僕がしゃべり続けることが多かった。
そして何とか撮影を終えても、次にあるのは自己羞恥との闘いだ。
動画データの中にいる自分は自分であって自分でない。
聞き覚えのない自分の声と、客観的に見る自分の姿。それと向き合うのがとにかく恥ずかしい。
編集していれば慣れてはくるのだが、これを投稿するのだと思うと勇気が必要だった。
僕は堂々と人前に顔を出せるほど自分の容姿に自信がない。
その点亮太は、僕から見てもいい見た目だった。だから一度冗談で言ったこともある。
「俺はカメラマンで、亮太だけ動画に出てみたらどうやろか?」
「いや、それはダメやろ。二人でやってる意味ないやん」
本当にその通りだった。
自分でYouTubeをやろうと息巻いておきながら、僕は一本目の動画を上げる前から挫折しかけていたのだ。
けれど目標のために踏ん張った。
すでに撮影機材やなんやらで十万円ほどお金を使っていたし、プライベートの時間を割いて編集をしたりもしていた。
だから結果に結び付けなければ意味がない。
そうやって自分の体にムチ打って奮起させ、僕はなんとかモチベーションを保った。
お盆休みになると、仕事が休みになった勇士が僕たちの撮影を手伝ってくれることになった。
そんな勇士が僕の家に来たのは、動画を初めて投稿する月曜日の前日。つまり日曜日だ。
僕と亮太と勇士はUberEatsで頼んだピザを食べながらインスタライブをした。
閲覧者は常に一人か二人。それも知り合いだけだった。
けれど僕と亮太はそこで将来のことについて色々な展望を語った。
「いつかはアーティスト集団を作って自分たちで映画とかを作れたら面白いよな」
「俺は小説家やから、原作と脚本担当やな。亮太は劇中歌やテーマ曲を作ったらいい」
「じゃあ、あとは映像クリエイターとか役者がこの集団に入ったらいいよな」
「二人とも頑張ってくれよ。方向性の違いなんて理由で解散したりすんなよ」
「いや、大丈夫だって」
こんな話をした。
まだ何の結果も出ていないド底辺YouTuberだったけど、僕は本当にアーティスト集団を作るつもりだったし、努力すればそれを叶えられると思っていた。
そのためには継続だ。
最初は上手くいかなくてもいい。
でも試行錯誤してやっていけば結果は必ずついてくる。
本当にそう信じていた。
亮太も同じ気持ちだと思っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
22:30 ごめん。
今日行けそうにない
全然いいよー!! 22:31
動画の編集頑張ってね。22:31
8/15(日)
18:04 今日も行けん。
18:04 友達が来て泊まるこ
とになった。
そっかぁー。
仕方ない!! 18:05
でも、最近全然時間
取れてないね。 18:05
18:06 本当にごめん。
18:06 今度埋め合わせ
するから。
約束ね!! 18:07
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから色々な撮影をした。
小説家とミュージシャン、その特性を活かした企画、近くの観光地を回る企画もやった。
観光地では有名なグルメをいただき、壮大な景色を堪能して、最後には宝くじまで買った。
観光地や宝くじというのはYouTubeの検索にも引っかかりやすい。
案の定、そういうキーワードの検索から僕たちのチャンネルに来る人間は増えていった。
しっかりとデータに現れていたのだ。
そして何より僕たちは楽しく撮影できていた。そう感じていた。
それが僕らにとって一番大事なことだった。
ただ、そんな僕たちの関係は長くは続かない。
初めて僕たちの間に変化があったのは、最初の動画を投稿してから二週間が経った土曜日の夜のことだった。
この日僕は、仕事の合間を縫いながらその日に上げる動画の仕上げをしていた(仕事は自営業だから、時間がとりやすくて助かる)。
動画を作るのは正直言って大変だ。
素材をカットしてかBGMや効果音、差し込みの画像やテロップを入れる。
無駄に凝ってしまう性格もあるだろうが、十分弱の動画を一本作るのに僕は約十時間の時間をかけていた。
そんな時、亮太から一通のLINEが来た。企画に関する意見だった。
亮太にしては珍しい。そう思った。
8/28(土)
今日の企画なんやけど、
タイトルに【作品化】
って入れたらよくない!? 20:14
僕たちの動画はそれまで僕が企画をし、編集も僕がして、企画にかかるお金も全て僕が出していた。
亮太には仕上げとしてテロップ入れだけ頼んでいた。
小説を書くより音楽を作ることの方が数倍難しく、また誘った僕自身が一番やらなくてはいけないという責任も感じていたからそうしていた。
僕自身はそれが当たり前だと思っていたのだ。
ただ、これは結果として亮太の僕に対する遠慮を生んでいた。
亮太はいつも僕の言ったように動いてくれていて、自分から何かを提案することはない。
だからこの時もLINEで亮太から動画に関する意見がきたことを珍しいと思った。
しかし何を思ったのか、その時の僕はある企画を思いついてしまう。
そして亮太のLINEに厳しい言葉で返信をした。
8/28(土)
今日の企画なんやけど、
タイトルに【作品化】
って入れたら、よくない!? 20:14
大前提として、俺達の
作品に興味持っとる人
20:16 おらんと思う。
それより、企画の内容
20:16 が分かりやすい方がいい
そして家に帰ってからカメラを回す。
「こんにちは。カズです! 今日なんですけど、一人ということは......そう、ドッキリなんです!!」
どこかで聞いたことのある台詞を言う。
「いや、さっきなんですけどね、相方のりょう君からこんなLINEが届いたんですよ」
「でね、僕、ある企画を思いつきました」
「題して、意見してきた友達にブチ切れてみたドッキリ~!!」
「いや、普段なかなか意見を言ってこないりょう君がですね、なんと今日初めて動画に対する意見を言ってくれました。で、この機会を逃す手はないぞと」
「まぁ、かなり理不尽なドッキリだっていうのは分かってますけどね。僕がブチ切れたときの反応を楽しんでいただけたら不幸中の幸い極まりないぞということで」
「では! 撮影日になったら隠しカメラ仕掛けて、ドッキリの様子を収めていきたいと思います! 当日まで時飛ばし!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「聞いて! 明日ね、亮太にドッキリしかけようと思うんだよね」
「え!? どんなドッキリ?」
「いや、昨日亮太からLINEが来てさ、動画に関する意見だったんだけど、それにブチ切れてみる、みたいなさ」
「えーそれ、和人ちゃんとできるの?」
「できるよ、僕、割と演技得意だと思うし」
「いや、そうじゃなくって。そういうドッキリ、ネタばらしに失敗したらすごい気まずい空気になりそう」
「いや、大丈夫でしょー。亮太も動画だって分かったらしっかり反応とってくれるだろうし」
「んー。ならいいんだけどさー」
「なに? なんか不満そうやね」
「いや、なんかそういうドッキリってあんまりよくないと思うんだよねー。ほら、親しき中にも礼儀ありって言うでしょ」
「いや、別に亮太の気持ちを軽く見てるわけじゃないよ!?」
「和人がそういうつもりでも、亮太君がどう思うか分からないでしょ。それに話を聞いてもなんかひどいなって思っちゃう」
「まぁでも、前撮り、もう撮っちゃったから。やるしかない」
「動画の再生数も大切かもしれないけど、それよりもっと大切なことがあるんだよ。自分の周りにいる人に感謝忘れたら駄目だからね」
「はぁ。分かったよ......」
「本当に分かってる? 全然分かってないと思うんだけど......」
「分かったって言ってるだろ!」
「何怒ってんの!? そういう所を言ってんの! そういう態度で私がどう思うかなんてどうでもいいと思ってるでしょ!」
「そんなこと言ってないだろ!」
「言ってなくても態度に出てるの! 和人、何かに熱中すると、それだけに意識が行っちゃうから!!」
「はいはい、僕が悪かったよ」
「もういい!! 今日は帰る!」
「なんだよ.....」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
迎えた撮影日。
少し雲がかかって、昼間にしては部屋の中が暗い。そんな日だった。
僕は少し早起きして、隠しカメラを設置する様子を動画に収めた。
そして亮太が部屋にくるのを待った。
亮太は10時を過ぎたころに僕の部屋へきた。
「お疲れー」
いつものように声をかけてくる。
しかし僕には、取り繕う亮太の様子が手に取るように分かった。
いつも通りのようで、いつも通りではない。
あの土曜日以降も僕たちは何度かLINEのやり取りをした。
しかし、最初の返信が尾を引いたのか、僕たちの間には絶えず気まずい空気があった。
ただの文字のやり取りなのにそんな風に感じてしまうのだから、人間の感覚というのは不思議なものだ。
ただ今回の企画に限ってそれは好都合だった。
わざわざ僕が険悪な空気など出さなくても、勝手にそうなってしまうからだ。
「うぃーす」
気まずさを演出するために、僕は少し時間を空けて返事した。
亮太は机を挟んで僕とは反対の方に座る。
それを見て僕は暗い声で尋ねた。
「今日、何の企画とる?」
「水風船のやつ、やろうかなって思ってたけど」
亮太は少し気まずそうに答えた。そしてすぐに僕は聞く。
「おっけ、じゃあ準備しよっか。水風船は?」
「まだ買ってない」
予想通りだった。LINEで亮太が水風船を使った企画をやりたいと言っていたが、案の定、亮太は水風船を買ってきていない。
普通企画した人間が準備するものだと思うが、その辺はあまり亮太に期待してなかった。
そういう無責任なところがあるのは最初から分かっていたし、それを踏まえた上で僕は亮太を誘った。そして責任は自分が全て持つと決めていた。
「そう思ってさ、はい、昨日買っといたよ」
我ながら性格の悪い人間だと思う。
僕は机の上に買っておいた水風船を投げる。
亮太は、ありがとう、と言いながらその水風船を手に取った。
そして亮太が水風船に気を取られているその一瞬の間、僕は手元のスイッチで隠しカメラの録画をスタートした。
録画が始まるときは音が鳴るので、咳払いしながら誤魔化した。
いよいよドッキリスタートである。
「普通さ、企画した人が買っとくべきだと思うんだけど。お金は返ってくるんだし」
「そうやね」
「いや、そうやねじゃなくてさ。申し訳ないみたいな気持ちはないと?」
「うん、わりぃ」
「これから二人でやっていくんだけんさ、そこら辺ちゃんとしよや」
「分かった」
「でさ、今日は最初、ちゃんと話せなんね」
「そうね」
「まず、この前のLINEなんやけどな」
僕はさっそく話を切り出す。
やはり亮太も気になっていたようだ。すんなりと話し合いが始まった。
僕がLINEという言葉を口にした瞬間、亮太はビクッと反応したように見えた。
「あの日はさ、出す動画の編集、俺が全部してたよな。で、まぁ俺は仕事しながらで、空いてる時間全部使って動画作ってた。ぶっちゃけ余裕ないし、イライラしてた。そんときにあんなLINEが来たら、まぁあんまりいい気持ちにはならん」
亮太が何か言うだろうと思い、少し間を空けた。
しかし亮太は何も言ってこない。僕は仕方なく続ける。
「まぁ、それで返信が少し冷たくなったかなとは思う。それはこっちも申し訳なかった。でも正直、そこら辺はもうちょっと配慮して欲しいかな。これからやっていく上で、すごい大切なことだと思うし」
また少し黙ってみる。しかし、亮太はまだ何も言わない。僕は聞く。
「さっきから俺ばっかり喋っとるけど、そっちはなんか言いたいことないの?」
少し語尾を強くして言う。
「いや、ほんとその通りやと思うし、正直こっちが言えることなんもないかなって」
「でもLINEでは結構意見言ってきたやん」
ここで本題に入る。いよいよ、ブチ切れの始まりだ。
「LINEだったら結構強気な意見だすのに、面と向かっては言えんと?」
「いや、そういうことじゃなくて。ただ、」
「ただ、なんだよ!!」
亮太の言葉を遮って僕は叫んだ。同時に目の前の机を蹴る。
亮太は一瞬ひるむ。即座に僕は続ける。
「大体さ、あの意見もさ、お前の意見じゃなかっただろ? 回りの人間に何言われた知らんけどさ、それを盾にして自分の意見のように言ってくるのが、俺は気に入らんとよ」
「・・・」
亮太はまた黙る。
「色々アドバイスされたって言うけどさ、じゃあ仮にそいつらの言うこと全部聞いて、俺らの動画の方向性変えて、で失敗したら、そいつらは責任とってくれると!?」
「いや、そんなことはないと思う」
「だよな。もちろん感想は素直に受け止めなくちゃいけない。でも、動画の感想と動画の方針に口出してきたのは全然違うだろ。そんなのにまで全部従ったら、俺らのやりたいことは一体どこにあるんだよ!?」
「うん...」
これ以上責めるとマズいと思った。
今のままでは、まるで僕が亮太をいじめているみたいで良い動画にはならない。
少し語尾を弱めて続ける。
「今俺らの動画を見ているのはさ、まだ俺たちのことを最初から知っている人ばかりだろ。そういう人たちは、みんな色眼鏡をかけてこっちを見てるんだよ」
「うん」
いい感じだ。頭の中で感動的な場面に使うBGMが流れる。
「だから俺たちのことを見て、『サブい』って言って笑うかもしれない。どうせ上手くいかないってバカにするかもしれない。自分が企画を考えた方が面白いからって、余計な意見を言うかもしれない」
「・・・」
「でも、やってるのは俺らだろ? だったら、俺らが納得のできるものを作っていかなきゃだめだろ? 亮太はどんな風にしたいんだよ」
「俺は......。俺は、自分が一番楽しいと思えるような動画を撮っていきたい」
「じゃあ、そうしようや。俺もそれが一番大切だと思ってる」
「うん」
これでいい。とても感動的な展開だ。あとはネタ晴らしのタイミングを伺うだけ。
「すまん、ちょっと熱くなったわ。他にそっちから言いたいことないん?」
「いや、その...」
「なんだよ。はっきり言えよ」
「・・・」
今だ、と思った。
俺はネタ晴らしの言葉を言うことにした。
「はい、ということで、」
そう言いかけた瞬間だった。
「いや正直な、もう動画とるの辞めたい!!」
亮太は思い切ったように強い口調で言った。
「はっ!?」
僕は思わず声を漏らす。
信じられなかった。
今の流れでどうしてそんなことになるんだ?
逆ドッキリか?
いや、そんなはずない。
僕らにはこっそりドッキリのことを伝える人間なんて他にいない。
だとしたら、これはマジなのか?
「いや、だからもう動画撮るの辞めたいんだよね」
亮太はもう一度低いトーンで、けれど少し圧のある口調で言う。
「なんで?」
「いやね、和人の言ってた通り、人柄を知ってもらってそこから作品に、ってのは分かるんだけどさ。このまま企画系の動画撮っていって、それで有名になってもあんまり嬉しくないんよね」
そんなことは有名になってから言って欲しい。
亮太は続ける。
「それに、動画見てるひとからサブいって言われることも実際にあるしさ。多分俺、人気でないと思うんよね」
だから、そんなことは有名になってから言って欲しい。
というか、その人気を出すために努力するのではないだろうか。
「それに、前も言ったと思うけど、俺これからゲーム実況もやってみたいと思っててさ」
よくもまぁ、そんなことを。
企画系の動画はダメなのにゲーム実況はやるのはいいのか?
このチャンネルでやってみるという選択肢はないのだろうか。
亮太はまだ続ける。
「小説家ならではとか、ミュージシャンならではとか、正直ネタ考えるのも大変だし」
ここで亮太は一息の間をとった。
そしてもう一度言う。
「だからもうやめたいなって思って」
この言葉で僕はこの一ヵ月のことを思い出した。
勇士と三人でピザを食べながら将来について語り合った日。
あの日だけじゃない。
ドライブ企画を撮った帰りにも二人で同じような話をした。
観光地を巡ってヘリコプターにも乗った。
たった七分の時間に2万円も払って、でもそこで見たのは一生に一度しか見られないような景色で、それを見て二人で大人気もなくはしゃいだ。
宝くじを二人で削り、結果に一喜一憂しながら、めちゃくちゃ楽しいと、そう言った。
あれは全部嘘だったのか!?
そう言っていれば僕が喜ぶと思って機嫌取りで言っていたのか?
そんなことを思いながら今の亮太の顔を見る。
俯きながら話すその顔には、あの時の楽しかっただろう思い出について、一考する様子もない。
そして次の瞬間、浮かんだのは彼女の顔だった。
YouTubeを始めると言った時の驚いた顔。
でもすぐに笑顔になって「応援する」と言ってくれた。
疲れ果てた状態で夜な夜な編集をしていると、そっと眠気覚ましのコーヒーを出してくれた。
昨日もダメな僕を叱ってくれて、でも僕はそれを聞こうともしなかった。
これまでなら素直に聞けていたのに。
僕は何をやってるんだろう。
また一生懸命になりすぎて周りが見えてなかった。
だから亮太の気持ちが離れていることにも気付けなかった。
自業自得だ。
こうなってしまったのも仕方がない。
「そうかぁ。うん分かった。もうどっちかがそれを言ってしまったら終わりやな。今からどれだけ俺がお前を説得して活動続けたとしても、この事実は消えんから。多分気まずくなると思う。だったらもう、終わりにした方がいい」
「いや、ほんと申し訳ない。」
「でさ、アーティスト集団作るっていう目標はどうなるの?」
「うーん。これまでは一緒にそこを目指すって感じだったけど、これからは各々でその場所を目指すことになるのかな。だから、別々になってもその目標がなくなるとは思ってないし、将来的にはまた一緒になると思う」
「なるほどね。じゃあ、お前はどうやってその場所を目指すの?」
「うーん・・・」
「まだ具体的な計画はない感じ?」
「・・・」
「なるほどね。分かった」
そこで僕たちの話は終わった。
そういえば、動画を回していたことに気付き、僕は手に持っていたスイッチで隠しカメラの電源を切る。
雰囲気に似合わないピロッという軽快な音が部屋に響いた。
その音に反応したのか、亮太が顔を上げる。
「え、何? 撮ってたの?」
「あーこれ? いや、本当は今日、ドッキリ企画のつもりだったんよね。意見してきた友達にブチ切れたらどんな反応をするのかドッキリてきな。」
「マジか!!」
亮太は必要もないの百点満点のリアクションをする。
「まぁ、これからも友達として仲良くはしたいからさ、話はこれくらいにして、さっさと解散動画でも撮るか」
「あぁ、うん」
「ほんと、チャンネル登録者100人もいないのにウケるよな」
「ほんとそれな」
「解散動画が一番再生回数でるかもな」
僕がそう言うと二人で笑った。
空元気に近い僕たちの笑い声が、その空間にしばらく漂っていた気がする。
その日まともに喋ったのは、これが最後だ。
あとは家を出ていくときの「おつかれー」という亮太の声だけだ。
心なしか、来たときに聞いた「お疲れ」という挨拶より、出ていくときの方が声は弾んでいた気がする。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
亮太が帰ってすぐ、僕はこの物語を書き始めた。
最初の言葉はすぐに出てきた。
「結婚したいと思った人がいた」
この時には正直、亮太とのことはもうどうでもよくなっていた。
それよりも、自分の傲慢のせいで失ったかもしれない彼女のことを僕は考えていた。
いや、本当は亮太が辞めたいと話し始めたときから、彼女のことばかり考えていた。
心の中にあるモヤモヤとした気持ちを眺める。
すると、それから先はあらかじめ用意されていた文章を書き写すようにどんどんと言葉が溢れてきた。
僕は夢中になって、この一ヵ月の記憶に時間と空間と言葉を与えていった。与えた時間は、僕が失った彼女との貴重な時間でもある。
それからしばらくして、気付いた時には亮太が帰って六時間が経とうとしていた。
僕は驚いた。
すると一気に体に疲労が襲い掛かってくる。
とりあえず席から立った。
そして冷蔵庫に向かう。
アイスクリームを食べるためだ。
頭を使って疲れたときは、無性に食べたくなる。
冷凍庫の扉を開けた。
すると買い置きしていたハーゲンダッツのストロベリー味が顔を出す。
それも二つ。
彼女と僕の分だった。
途端に彼女との思い出がフラッシュバックする。
初めて会った日のこと。
二人とも映画が好きで人気の映画について語り合った。
それから二人で映画を見に行くようになって、最近では家にシアタールームまで作った。
そこで一緒にこのアイスを食べながら映画を見るのだ。
美味しいものもたくさん食べに行った。
それこそ、観光地の撮影の日に回ったコースは一度彼女と回ってみたかったものだ。
何気ない家での日々や会話、とにかく彼女に関するあらゆる思い出が僕の頭の中を過った。
僕は彼女には今から行くとだけLINEで伝える。
そして家を飛び出した。
とにかく謝りたかった。
僕は彼女のことを大切にしているつもりだった。けれどそれは大間違いだった。
彼女の言葉を思い出す。
(全然分かってないと思うんだけど......)
全て彼女の言うとおりだった。
あの時、僕はてっきり亮太とのことを話していたと思ったが、実は僕たち二人のことでもあったんだ!
僕は車に飛び乗りエンジンをかけた。
パーキングからドライブに入れ、すぐに車を走らせる。
彼女の家に向かう途中、コンビニに寄って新しいハーゲンダッツのストロベリー味を2つ買った。
新しいのでなくてはだめだ。
これを一緒に食べて仲直りしよう。そんな風に思った。
彼女の家の下に着く。
車は空いている駐車場に止めた。
いつもは近くのコインパーキングに止めるが、今はそれどころではない。
彼女の部屋は三階だ。
階段を駆け上がる。
一段飛ばしで行きながら、彼女が他の男を連れ込んでいたらどうしようなんて、ふと僕は考えてしまう。
きっと僕の処女作の影響だろう。
主人公の男が誕生日に他の男を寝取られる話だ。彼女からは不評だった。
(・・・なんでこの小説気に入らないの?・・・)
(・・・なんか主人公が可哀そうだと思っちゃって・・・)
(・・・別に物語なんだから、そんなの気にする必要ないよ・・・」
(・・・いや、物語だから気になるの。どうにでもできる物語だからこそ、出てくる人間は幸せにしなくちゃ・・・)
小説の中の登場人物にさえ同情する彼女。
そんな優しい彼女が心を鬼にしてくれていたのだ。
そう思うと感謝の気持ちで心は溢れた。
彼女の部屋の前に着く。インターホンを押した。
「はーい、って和人!! どうしたの?」
どうやら僕が入れていたLINEは見てなかったらしい。
驚く声がスピーカーから漏れた。
しばらくするとドアは開く。彼女の顔は驚いていた。
「どうしたの?」
「香織!! 本当にごめん。全部、全部僕が悪かった!!」
「えっ、急にどうしたの」
香織はまだ状況が呑み込めてないらしい。
「おれ、今日亮太に解散しようって言われちゃって、それで、それで、、、」
そこまで言って僕は言葉に詰まる。
彼女に対する申し訳ない気持ちをどう伝えればいいか分からなかった。
仕方なく僕は顔を上げる。
すると香織は、僕の慌てふためく様子を優しい目で見つめながら少し笑った。
一気に安心が溢れる。すぐに僕は彼女を抱きしめた。
「ちょっ、こんなところで恥ずかしいよ」
そう言いつつも、彼女は何も抵抗しない。
僕は彼女をいったん腕の中から開放すると、右手に持っていたコンビニの袋を彼女に見せる。
「ハーゲンダッツ買ってきた。一緒に食べよう」
すると彼女は目を光らせる。そして言った。
「さては、和人、物で人を釣るつもりだな」
からかうように彼女は言う。それに吊られて僕も笑った。
その日食べたストロベリーの味は絶対に忘れない。
人生において一番大切なものは何なのか、その答えと一緒に僕の記憶の中に刻みこまれたからだ。
と、ここで僕の話は終わる。
たとえド底辺のYouTuberだったとしても、一人ひとりにはそれなりのストーリーがあるものだ。
続けることの難しさ。
その裏には必ずその人が犠牲にしている何かがある。
だから今日まで動画の投稿を続けている画面の向こうのあの人達は本当にすごいのだ。
尊敬に値する。
犠牲にしている物への気持ちを押し切って、自分の時間を費やし、人々を楽しませようとしているのだから。
僕はこれからもYouTubeを続けるつもりだ。
目標のために、たとえ亀のような歩みだったとしても前に進み続ける。
しかし、絶対に大切なものの存在を疎かにはしない。
この経験を通して、それが一番大切だと分かったからだ。
最後に言わせてもらうが、この物語は実話をもとにした完全なるフィクションである。実際の登場人物、団体等とは一切関係ない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はい、とういうことで、りょう君から解散の経緯についてお話させていただきました」
「僕から言うことは特にもうないかと思います」
「まぁ、悲しくないなんて言ったら大嘘になってしまいますが、いつまでもくよくよしたって仕方ないです」
「お互いに話し合って、こういう結果になったのですから、この選択が間違ってなかったといつか言えるように、この後を頑張っていかなくてはいけないと思ってます」
「約、1ヵ月の間でしたが、僕たち二人の動画を見てくれた人、高評価をしてくれた人、そしてチャンネル登録をしてくれた人、本当にありがとうございました」
「これからはしばらく、僕一人で頑張っていこうと思います。よければ引き続き応援よろしくお願いします」
「最後になるんですが、今回の経験を踏まえてですね、小説家らしく物語を一本書きました。良ければそちらの方も見ていただけたらと思います」
「ではまた次の動画でお会いしましょう。さよなら」
(完)