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僕らは駅で別れた。普通の別れだった。
周囲には同じように別れているカップルとか、友人同士とかもちらほらして、しかし大半の人は行くべき所があるように足早に歩いていた。僕らは人の流れを避けて、駅の改札近くの柱側で別れの言葉を言った。
「僕はこっちなんで、ここでお別れですね。山田さんは…向こうですよね。あそこから行った方が早いですよ」
「ああ…うん」
方向音痴の僕は、一瞬、何の事を言われているのかわからなかった。牧田が指差した先には地下への入り口があって、まあそこから帰ればいいんだろうと漠然と思った。多分、僕は帰れるだろう。この都市の迷宮を辿って、帰る事ができるに違いない。
「牧田さんは、そのまま真っすぐ帰るの?」
僕はなんとなく質問した。意味のない質問だった。もしかしたら、別れを引き伸ばしたかったのかもしれない。
「いや、嫁のお土産を買って帰ります。あいつ、甘い物が好きなんで」
その時、僕は急に、牧田が妻子持ちだというのを思い出した。彼には妻がいて、二才の子供がいた。仕事も、正社員として真面目に働いていた。
僕は…正直言って、急に孤独を感じた。僕は、彼が自分と同じ、都市の中の孤独な求道者だったと勝手に思っていたので…しかし、彼は同時に、良き家庭人であり、妻にお土産を買って帰るのを忘れない素敵な男だった。
「…あいつ、買って帰らないと怒るんですよね。いや…直接には怒らないけど、買って帰ると、機嫌がいいんで。だから買うようにしてるんですよ」
牧田は苦笑しながら言った。僕が、意外そうな表情をしているのを見て取って、弁解しているのかもしれなかった。僕は、自分の表情がうまくごまかしきれていなかったのを感じた。曖昧に笑って「そうなんだ。いいね」と適当な事を言った。
僕らは別れた。牧田は手を振って、僕も手を振って。牧田は最後に「そこですよ。その入口から入れば早いですから」と親切にも付け加えてくれた。僕は微笑して手を振り続けた。
彼がくるりと振り向いて、群衆の中に消えていくまで僕は見送っていた。彼の姿は人混みの中に消えていった。彼の方から見れば、僕もまた人混みの中に埋もれていくように見えた事だろう。彼が「嫁のお土産を…」と言った時の表情を思い出した。彼は良き生活人だ。もしかしたら、その内に、文学なんていうくだらないものから足を洗うかもしれない。文学志望なんてのもくだらない。出版社は売れる作品を作る奴を見つけようと躍起になっているだけだ。小説家志望の連中は、作家になる為なら出版社のどんな無茶振りにも答えてやろうと身構えている。信念も糞もない。芸術なんてこの世に全然存在しない。
牧田が視界から完全に消え去ると、くるりと振り返って歩き出した。なぜかはわからないが、もう牧田とは二度と会えないのではないかという危惧が頭をよぎった。彼が群衆に消え去っていく姿があまりに自然だったので。僕は急に、孤独を感じだした。しかし今更、感じるようなものではなかった。僕が最初にいた場所もそこだったし、中間でも、最後にいる場所もそうだろう。僕は階段を降りた。そうして、改めて自分の改札を探し始めなければいけない羽目になった。