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その頃の僕はニートだった。親の世話になっていたわけではなかったけれど、貯金を崩して暮らしていた。日々の生活費は十万以下だった。
僕は全く鬱屈していた。僕も、いわば慣用に習って新人賞に何度か応募していたけれど、まったく引っかからなかった。その内に小説を送らなくなり、同時に、文学志望の人間にも嫌悪を感じ始めていた。
僕は全く、鬱屈という名の球体に閉じ込められており、どうにもならなかった。その頃は、ボードレールをよく読んでいた。ボードレールの倦怠、政治的な道も革命的な道も閉ざされた青年の鬱屈、それが知的に反芻され、自意識のドラマとして運動し、閉じこもっていく様がとても心地よく感じられた。
僕に言わせれば、世間の奴らは馬鹿だった。また、世間の奴らは馬鹿な連中を褒め称え、馬鹿さ加減を偶像化して、崇拝していた。愚かさは愚かさを対象化して、物化して、崇拝し、「愚」はいわば自分の尻尾を噛む蛇のようにぐるぐるとループしていた。トートロジーの世界がそこにはあった。「大臣だから偉い」という人がいた。「金を持っているから偉い」という人がいた。「結果を出したから偉い」という人達がいた。だとしたら、結果をいかにして出すかの過程は無意味になる。世界はA=Aのものとして閉じており、それを象徴するように、例えば、テレビでは芸能人の息子や兄弟が、自身も「芸能人」として現れていた。それは「芸能人の近親者だから芸能人」というトートロジーを表しているように見えた。それは世界の象徴だった。生まれながらにして、額に勇者の刻印がある少年漫画の主人公のようなものだった。世界の固定化ははっきりしていた。額に刻印があれば全てを手に入れられる。そうでなければ…何者にもなれない。
無論、言わずもがなではあるが、そうした中、一番の愚物は僕だった。僕自身だった。世界の愚かさを呪いながら、意味のある事を何一つしえない僕…ただのニートで、部屋で四隅の壁を見つめているしかない僕、そんな僕がこの世でもっともくだらなかった。もっとも、そんな僕にも、毒づく場所くらいは欲しかったのだ。牧田とは、その毒づきを共有しているのだという勝手な思い込みが僕の方にはあった…。僕は馬鹿野郎だった。世界を呪う、一匹の汚い蛆虫に過ぎなかった。僕は別の蛆虫を求めていたのだ。牧田にそういう姿勢を要求していたというのは、今となっては否定できない。




