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「なるほど。それは確かに。されども」
詩音の瞳が大きく見開かれた。
「偶然にしろ、こうして罪もない人々を操り、さらに非道を重ねるのを見過ごせるほど、私も世を捨てきったわけではない」
詩音が、一歩前へと出た。
「くっ…」
カーミラが顔をしかめる。
その隣でケルベロスが尾を股の間に挟み、二つの頭でくんくんと情けない声を洩らしている。
詩音に怯えているのだ。
突然。
カーミラとケルベロスの後方の宿屋の入口の戸が、大きな音と共に吹き飛んだ。
中から怪物と化した宿屋の泊まり客たちが転がり出てきた。
続いて、入口から四人の人影が現れる。
無法丸、縫、優、トワであった。
無法丸がカーミラたちの方をちらりと見た。
「行くぞ!」
大声で三人を促すと、カーミラたちと反対側の霧の中へと逃げ去る。
「あれが『星の子』か?」
カーミラが呟いた。
詩音がさらに、一歩前へと出た。
「ええい、追うぞ!!」
そう言ってカーミラは、ケルベロスの背中に飛び乗った。
ケルベロスが後ろを向き、無法丸たちが消えた霧中へと走り去る。
詩音はその後ろ姿が見えなくなるまで、じっとしていたが、ふと自らの前方の地面に視線を落とした。
いつの間にか、地面に倒れた虎造が、お龍の居る場所まで這い進んでいる。