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私とⅠさんはすき焼きを食べ終え、その後も割り下と野菜の残骸の残ったすき焼き鍋を囲んで延々と談笑した。会話の内容は、学校の誰と誰が付き合っているとか、地元の暴走族のこととか、円香のこととか、他愛のないことだった。
Ⅰさんは、この前の年の五月まで付き合っていたという、私の同級生の石野航一という不良の元彼とヨリを戻したい、としきりに言っていた。石野くんはⅠさんにとってはじめての、そしてこの当時までの時点で唯一できた彼氏で、Ⅰさんは未練たらたらだった。復縁をせまる手紙をいまだに時々送っては、玉砕しているらしい。
「航一、私のこと何か言ったりしてない?」
Ⅰさんは床に転がっていた四角いクッションを抱きかかえて、女座りに座りながら私に聞いてくる。しかし私は石野くんとは同じ不良でも派閥が違うというか、隆明が石野くんと仲が悪いので、私も石野くんとは話したり遊んだりしないのである。私はそのことを説明し、
「だから航一くんのことはよく分かんないんさ、ごめん」
と言った。
「そっかあ、そうだよね」
Ⅰさんはそう言ってクッションを両腕でギュッと抱きしめた。
話し込むうちけっこういい時間になったので、交互にシャワーを浴びて歯を磨き(Ⅰさんはスーパーで私用の歯ブラシまで買ってきてくれていた。私はすき焼きの分と一緒に代金を払おうとしたが、Ⅰさんが「いいよいいよ、私の金じゃなくて親の金だからさ」と言いうので甘えさせられてしまった)、寝ることになった。
「Ⅰさんの部屋で寝るん?」
私が恐る恐る聞くと、
「そうだよ。さっき誠己がシャワー浴びてる時、布団敷いたから。襲わないでね、襲ったら円香にチクるかんね」
Ⅰさんはいたずらっぽく言った。何かしらをほんのわずか期待してしまっていた私は、
「当たり前じゃん、襲わねえし」
と慌てて答えた。
居間の南西の壁にⅠさんの部屋の扉があった。中に入ると、六畳の洋室にベッドと勉強机、クローゼットに雑貨棚が置いてあり、ベッドの隣、部屋の中央に、布団が敷かれていた。勉強机や雑貨棚の上にくまのプーさんやハローキティのぬいぐるみが置かれている。壁にはガルフィーのジャージが掛けられていた。女の子らしい、台所や居間からは想定できないほどこぎれいな部屋だった。
「綺麗にしてるんだね」
私が布団に腰を下ろしながらおせじでもなく言うと、
「だべ?自分の部屋だけは綺麗にしたいんさ」
(学校でも掃除はサボるけど自分の机の中だけは綺麗なタイプだな)と私は思った。
Ⅰさんはさっさと電気を豆電球の灯りにし、ベッドに入った。私もそれにならって布団に入った。枕に頭を置き、目をつむったが、やはり気持ちがたかぶって興奮し、なかなか眠れない。何度か寝返りを打った。
「誠己?」
何度目かの寝返りを打った時、Ⅰさんが小さく言った。
「眠れないん?」
「ああ」
「そっち、行っていい?」
「え」
「……」
「……」
「ふっ。ははは、冗談だって! ごめんごめん」
「……」
「怒った?」
別に、大して怒ってもいなかった。ただ、答える代わりに、Ⅰさんの家に来てからずっと気になっていたことを聞くことにした。
「Ⅰさんさあ、親ってどうしてるん? いないん?」
「うん?」
「だって、一人で暮らしてるみたいだから」
「アホけ、中学生が一人暮らしできるわけねえべ」
「うん」
「……」
「……」
「私が小四の時にさ」
「うん」
「離婚したんさ、うちの親。で、それからはお母さんと一緒に暮らしてる。でもうちの親、春日部で夜遅く働いてて、終電逃すとそのまま彼氏の家に泊まって、連勤したりするから、あんまりここには帰ってこないんさ。だから今日も私しかいない。以上」
以上、と言って、ふふふ、と自虐的な笑いを添えた。私はなんと言っていいか分からず、オレンジ色に光る豆電球を見上げながら、ただ「そけ」と小さく答えた。
それで会話は中断された。そのまま沈黙になって、何分間か、あるいは十何分間かが過ぎた時、ベッドのきしむ音がして、
「誠己? 起きてる?」
Ⅰさんの声がした。私は仰向けになったまま目を開き、首だけ右に曲げて声のした方を向いた。斜め上を見上げると、ベッドのマットレスの上に、ピンク色の掛け布団がかかって、Ⅰさんの体で盛り上がっているのだけが見えた。
「起きてるよ」
「起きてたか」
「うん……」
「……すき焼きさあ」
「え?」
「ううん。なんでもない。……私が小学五年の時にさ、おばあちゃんが死んだんさ。親が離婚してから、お母さんとの三人で一緒に暮らしてたんだけど。それで、葬式やるじゃん? その葬式にお父さんが来て、式の後に私たちの家に寄ることになったんさ。で、そのまま家で夕飯食べることになって、お母さんが奮発してすき焼き作ったんね。それが――私、うれしくて仕方なかったんさ、お父さんとお母さんと三人で食事できるのが。おばあちゃんが死んだのに、うれしがっちゃいけないって必死に思うんだけど、顔には出ちゃってたみたいで、お父さんが聞いてくるんさ。なにかうれしいんか? って。でも、気を遣ってとても言えなかった、お父さんとご飯が食べれてうれしい、って。ただ私はにこにこ笑ってすき焼き食べて、そんな私にお母さんが言うんさ、変な子だねって」
「……」
「だから冬に友達が家に来ると、私、だいたいすき焼き作るんさ。一人じゃすき焼きなんて食べないし、お母さんと二人の時に作ると、贅沢だって怒られるから。今日は誠己が来て、久々にすき焼き食べれて良かったよ」
「……」
私は、やっぱりなんと言っていいか分からず、黙っていた。Ⅰさんの話は切なくて、ああこの人も他人には見せないだけで寂しい思いを重ねているんだなと感じたが、十四歳の私にはそれを慰めてやる言葉も機知も無かった。私はただ、Ⅰさんが息づいている、ベッドの上の、掛け布団のふくらみを眺めていた。




