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円香との関係はそうして終わってしまったが、私とⅠさんとの関係は、適度に距離の取れた友達という関係だったため、かえって無くならなかった。それどころか、Ⅰさんが家に泊めてくれたあの一晩の恩から、私はⅠさんにずいぶん気が置けなくなった。Ⅰさんの方も、私のことを友達と思っていてくれたようである。
円香と別れた以上、もうⅠさんに私から電話をすることは無くなったが、不思議と私はⅠさんと地元の街中でたびたびはちあわせた。そんな時、私とⅠさんは、やあ久しぶり、ということになり、お互いの近況報告をしあって、じゃあまた今度遊ぼう、うん、今度は誠己の家に行っていい?酒持っていくからさ、などと、いつまでも実現しない口約束をして別れるのだった。
Ⅰさんと円香が高校に入ってから、一度だけ、彼女たちと遊んだことがある。
私の中学校に、越長春くんという、演歌歌手のような名前をした、トランスジェンダーなのだかゲイなのだかよく分からないが、とにかくそういう性的指向の同級生がいた。越くんは驚くほど色が白く、華奢で、中性的で整った顔立ちをしていた。彼自身もそのことを自負していて、自分のことを「広末涼子に似ていると思う」と広言していた。
彼は小学校時代からの筋金入りのオカマだった。女言葉を使い、男友達より女友達が多く、家ではスカートを穿いたり、女物の服を着ているということだった。男子トイレの小便器の前には決して立たず、平気で女子トイレに入っていってしまう。非常に社交的で明るく、常に面白いことをしゃべりちらしているので、その中性的なさわやかな外見もあいまって、女子ウケは良かった。中学生の多感な時期にも女子のグループの中に平気で入り込み、休みには女友達のグループに一人加わって一緒に泊まりがけで遊んだりしていた。
話が前後するが、中学二年時のバレンタインデーの前に、私はこの越くんに「隆明くんにバレンタインのチョコをあげたいと思ってるんだけど、喜んでくれるかな」という、真剣な相談を受けたことがある。微妙な問題だった。私は、きっと隆明は困惑する、いやもっと言えば気持ち悪がるだろうと思ったが、真剣な越くんにとてもそんなことは言えなかった。「きっとだいじょうぶだよ」と無責任に言ってしまった。「そうかなあ、本当?」「うん、だいじょうぶだべ」越くんは何度もしつこく確認し、それでも不安げな様子で私の元を去っていった。結局彼が隆明にチョコレートをあげたのかどうかは、双方に確認をしていないため分からない。
越くんは男子にしては声が異様に高く、当時流行っていたモーニング娘。や浜崎あゆみの曲を歌うことができた。踊りも好きで、モーニング娘。などの曲を完コピして、学校の廊下で友達の前で踊っている姿が散見された。
中学校を卒業する前、越くんは高校受験をせずにアイドルになるためのオーディションを東京に受けに行った。そうしてオーディションに受かったとか、受かったので東京に行くのだとか、選考の面接中に面接官に「君は本当に男ですか?」と訊かれたらしいとか、さまざまな噂が流れた。
中学卒業後、彼がどうなったのかは、私はよく知らない。ただ間違いないのは、大人になった越くんは、少なくとも数年前までは私たちの地元の栃木県栃木市藤岡町にいて、街外れにあるゴルフ場のレストランのウエイターをしていた、ということである。これは私自身が母とレストランに行って知ったことだから、間違いない。彼はその細身の体を黒の制服に包んで、シュッとしていた。襟足を伸ばした長めの髪を茶に染めて、きびきびウエイターの仕事をしていた。もちろん私のことは分かっただろうが、知らんふりして給仕していた。
それから、越くんと私は何年か前に、散歩中に偶然すれ違ったことが二、三度ある。越くんは必ず大きな犬を連れていて、私とすれ違う時、お互い顔は見知っているものの無視してすれ違おうとするのだが、犬が私に近寄ろうとするので、彼は、
「こら、ちょっと、ふざけんな」
と言って激しくリードを引き、やはり私を無視したまま行ってしまうのだった。
今、越くんがどこに住んで何をしているのか、正確には私は知らない。というのも、私はここ数年例のゴルフ場のレストランには行っていないし、散歩中にも越くんと会っていないからだ。ただ、なんとなく想像するに、彼はまだ藤岡町に住んであのレストランでウエイターをしていそうな気がする。そうして、私とはただ出くわさないだけで、仕事外の時間には、相変わらずこのどうしようもない田舎町を、犬を連れて散歩しているのではないだろうか。私のこの想像には、一度はアイドルになると言って東京に出ようとした彼に対する、哀愁が入り混じる。




