灯の足跡
私は陽本 灯。陽本神社の一人娘です。
今年の春に、高校へ入学した、16歳の高校1年生です。
今日も、元気に学校へ向かいますが、その前に、我が家では朝の日課として、神様への挨拶をしなければならないのです。といっても、そこまで堅苦しいものではなく、拝殿の前で、私の名前を言い、行ってきますと挨拶をする。でも、なんだか神様にいってらっしゃいって言われている気分になる。
「あ、灯ちゃん。おはよう」
鳥居をくぐり、石階段を降りると、友達の亜紀ちゃんが待ってくれていた。
彼女は私の幼馴染の平山 亜紀。おとなしい性格の子。ちょっと心配症なのが玉に瑕。
「おはよう、亜紀。今日もいい天気だね」
まだ、肌寒い春の空を仰ぎ見て、大きく伸びをする、
「灯ちゃん、しっかり睡眠とれているの?」
亜紀が腰をかがめて私を覗き込んでくる。
「もう、亜紀は心配性なんだから、でも、そういう所も含めて好きだよ」
近づいてきた亜紀の背中に腕を回して抱きしめた。
その拍子に、ぽよんっ、と私のむねに柔らかな感触が伝わる。
「あ、亜紀の胸また大きくなったでしょ」
「もう、灯ちゃん昨日もそれ言っていたじゃない、1日たったぐらいで、変わりません」
顔を真っ赤にして反論する姿もとても可愛い。もし、亜紀に彼氏ができたら嫉妬しちゃう。
そんな感じでいつも通り、二人でふざけあいながら学校に向かいました。
退屈な授業をなんとか終えて、昼休憩。亜紀と一緒に、庭のベンチに腰かけて食べる。
「ねえ、灯ちゃん、お仕事大変なんじゃない?」
亜紀は、私を案じるような視線を向ける。
「うーん、大変といえば大変だけれど、でも、私好きでやっていることだから」
赤ウインナーを箸で摘みパクッと口にいれる。
「それなら、いいのだけど」
「そういえば、うちのクラスの田中、恐らく亜紀のこと好きだよ?」
顔を真っ赤にして、箸で掴んでいた、ジャガイモを落としたことに気づかず、そのまま口に運んでいる様子を、笑いながら昼を過ごした。
放課後、亜紀は図書委員の仕事があるから私は一人で家に帰った。すると、拝殿の前で私のお父様と参拝者がお話をしていた。なんだろうと思い近づいたところ、お父様から呼ばれた。
「灯、ちょっとおいで、仕事だ」
言う通りに近くに行く。お父様とお話をしていたのは、青のフレアスカートに白のブラウスを着た、30歳前半と思われる女性だった。その人は不安そうな顔をして私とお父様を交互に見つめた。
場所を自宅の客間に移して、お父様と一緒に女性の話をきくことになった。
私は急いで、制服姿から巫女服に着替えた。
「私は、池本 紗代と申します。このびたは、相談にのっていただき、ありがとうございます」
畳に頭がつくぐらいに深々と、お辞儀をする。
「私は陽本 宗次です。こっちは、巫女の灯。それで、相談というのは?」
お父様の静かで低い重低音な声を聴くと、とても落ち着く。
「ええ、最近、私の周りでおかしなことが起こるのです。私が、洗い物をしていると、なぜか、洗い終わったはずのお皿が、少し目を離すと、また汚れているのです。それだけではありません。洗濯物を干しているときも、目を離すと先ほど干したばかりの服が地面に落ちているのです」
彼女は、思い出したのか、体を震え上がらせている。
お父様は目を閉じ静かに聞いていた。
「なるほど。状況は分かりました。では、一つお聞きします。最近、何か自分の人生が大きく変わる出来事などはありませんでしたか?」
「い、いえ。そのようなことは……」
一瞬、何かを言い淀むも、口からは否定の言葉がでてきた。私は、何かあったんだろうという確信があったので、お父様にお伝えしようとすると、私の口に人差し指を当てて、静かにしているように合図されてしまった。
「分かりました。ご自宅はどちらでしょうか。ちょうど明日は土曜日ですし、良ければうちの巫女に様子を見させましょう。そうすれば、何か分かるかもしれません」
「はい、住所は……」
お父様と私は紗代さんを神社の外まで見送りに出ました。
「では、明日のお昼ごろにお待ちしております」
体を深々と下げながら、紗代さんは帰っていた。
私はお父様に先ほどのことを尋ねた。
「なぜ、何も言わなかったんですか?あの方、なにか隠していることがありました」
「そうだね。灯もそういう心の機敏を分かるようになってきたか」
お父様は顎に手をあて、何かを考えこんだ。
「お父様がよく言っているでしょ。言葉そのものではなく、そこに宿る力を感じろって。私まだその意味はよくわからないけれど、あの人は何か言い淀んだようにみえたから」
私は彼女の様子を思い返しながら、間違いないと確信する。
「うん、そうだね。でも、そこに易々と踏み込んではいけないよ。おそらく、彼女の心の弱点だから。僕らはね、そういう部分を感じとらなければならない。そこに、言葉をぶつけちゃいけないのだよ」
「そこまでいうなら、お父様は彼女が何を抱えているのかわかるの?」
お父様がいつものように難しい言葉を使ってはぐらかそうとしているのではないかと思い、問いただす。
「恐らくだけどね。その答えは明日、灯が紗代さんの自宅を訪れた時に分かると思うよ」
それだけ言い残し、家の中に入っていった。
翌日、私は巫女服に着替え、紗代さんの自宅の前に来ていた。
池本と書かれた表札の下にある玄関チャイムを鳴らす。
すると、出てきたのは紗代さんではなく、黒のカーゴパンツをはき、白のTシャツ姿の細身の男性が出てきた。
「こんにちは、本日、こちらに訪問させてもらうことになりました。陽本神社の巫女の灯です。紗代さんはご在宅でしょうか?」
「ああ、巫女さんか、私は、紗代の旦那の池本健だ。妻から話は聞いているよ、入ってくれ。紗代は今買い物をしに行っていてね、君がきたら通すように言われているんだ」
私は玄関先で、草履を脱ぎ、上がらせてもらう。
廊下を渡り、畳の部屋に通された。大きな机が真ん中にあり、端っこには仏壇も置かれていた。その前には、紗代さんと健さんともう一人小学生ぐらいの男の子が写っていた。
「あの、お子様がいらしていたのですね」
私は何気なく、言葉にすると。とても辛そうな顔を浮かべる。
「ええ、うちの息子の正雄です。1週間前に亡くなりましたが」
「ごめんなさい。私、失礼でしたよね」
仏壇の前に写真がある時点で気づくべきだったのに、自分の短慮を恥じる。
「いいえ、気になさらないでください。その事についてお話をするつもりでしたから」
急須で湯呑にお茶を入れ終えた健さんは、私に差し出す。
「そうですね、妻からは怪奇現象が起きているとしか聞いていないと思いますが。うちで怪奇現象が起こるようになったのは、息子が亡くなってからなんです」
健さんが滔々と語りだすのを、私は正座で静かに聞いた。
「おそらく、信じられませんが、息子が幽霊になり、悪戯をしているのではないかと私は思うのです。妻はあれから、心を病み、半ば現実逃避をするように、息子のことは一切話さなくなりました。それ以来一度も笑顔もみせなくなりました。なので、私もこの事を妻に告げるのはためらわれて。なので、どうか、お祓いをお願いします」
私は、紗代さんが相談に来た時、何か言い淀んでいた理由を知る。
健さんは、とても妻のことを思っているのが伝わってきた。
でも、最後に1つだけ質問した。
「健さんは、それでいいのですか?もし、本当に正雄さんだとしたら、成仏させてもいいんですか」
「正雄はきっと、まだまだ、遊び足りてないんですよ。でも、親として、悪戯をする正雄をしかってやらないと」
健さんの瞳から涙がこぼれていることに気づく。
正雄君は、とても、愛されていたのですね。
ガチャとドアを開ける音が聞こえる。
「あら、灯ちゃんがいらしているのね?」
どうやら、紗代さんが帰ってきたみたいだ。
「ああ、かわいい巫女さんが来ているよ」
急に言われるものだから、私は恥ずかしくなり、顔が赤くなる。
そこに、ちょうど紗代さんが顔を出す。
「ごめんね、うちの旦那が何か失礼なことしてない?」
「いえ、大丈夫です」
慌てて否定する。
「ちょっとした冗談だよ。ごめん」
健さんはさっきまでの重苦しい空気が嘘みたいに、明るい笑顔を見せていた。
「ここが問題の場所ですね」
私は怪奇現象が起こるという、台所までやってきた。
「ええ、見ててね」
紗世さんが、汚れているお皿を洗い出す。そして、洗い終えたお皿を水切りカゴに移す。そしてまた、次の皿を洗い出した。その様子を見逃さないように見ていると、先ほど洗ったばかりのお皿に、泥のようなものがついていた。
「わっ、本当に洗ったばかりのお皿が汚れている」
「言ったでしょ、最近は怖くて、あまり寝れないの。次は庭を案内するわ」
次に向かったのは、物干し竿が置いてある。中庭だ。
また、紗代さんはいつもと同じように洗濯物を干す。そして、後ろを振り向いた瞬間に、選択バサミで止めていた靴下が、独りでに外れて落ちていった。
「この通りなんです。灯ちゃん、どうにかできますか?」
「だいたいは分かりました。今日のところは、簡単な除霊を施しましょう」
「除霊?やっぱり、そう、幽霊の仕業だったのね。それならお願いします」
紗代さんは何か安心したように、胸をなでおろしていた。
健さんは少し遠くで、その様子を見つめていた。
「では、この場で、簡単にですけど、お祓いを始めます」
私は心を落ち着かせるために、深呼吸を繰り返す。
心拍数が落ち着いてきたところで、大きく息を吸う。
両手を胸の中心で合わす。
「我、陽本神社の巫女、灯が、お願い奉る。掛まくも畏き、伊邪那岐大神。私に御力をお分けください」
すると、世界が薄暗くなり、周りの時間が止まり、私はその場に拘束される。
この世界で私に許されているのは、視ることと話すことだけ。
すると、紗代さんの足に抱き着いている。男の子を発見する。
多分、あれが正雄君なんだと思う。
「正雄君、だよね。どうして、悪戯するの?」
「えー、だってお母さん笑わないんだもん」
正雄君はお母さんから少し離れて、私に近寄ってくる。
「お姉さんは僕のことがわかるの?」
下から見上げてくる。
「うん、私は巫女だから。それで、笑わないってどういうこと?」
「僕が病院で亡くなったときに最後に見た顔が泣き顔だったんだ。でも、僕が見たかったのは笑った顔なんだよ。だから、それが見られるまで、いっぱい悪戯してやろうと思ったの」
そっか、正雄君はそれであんな悪戯をしていたんだ。
「そうなんだ。でも悪戯されたら逆に怒られるんじゃないかな」
「でも僕、それしかできないから」
どこか寂しそうに下を向く。
「じゃあ、今日1日いい子にしていたら、最後にお母さんに会わせてあげる」
「えっ、ほんと!分かった、じゃあ、いい子にしてる」
「だけど、その時は、成仏するんだよ」
「うん!」
顔を上げて子供らしい笑い顔をみせてくれる。
「感謝します」
そうつぶやくと、世界が鮮明になり、時間が動き出す。
「終わりました」
私が静かに言う。
「これだけでいいんですか?」
紗代さんは、物足りないというような顔をしている。
大抵の人はだいたい同じような顔をする。
傍目から見れば、私が短い決まり文句を言うだけだから。
「はい、ただ、明日神社まで来てもらえますか?できれば早朝に。そこで、完全に除霊いたします」
「ええ、そういうことなら、わかりました。ですが、その除霊はここではできないのですか?」
不思議に思ったのか。紗代さんが聞いてくる。
「ええ、残念ながら。私たちは神様の力を借りて、除霊をしているので。神社の外ですと、あまり力を発揮しないのです」
私は一礼して、自宅に戻り、お父様に報告することにした。
何か相談をするときなどはいつも客間を使うことになっている。
「と、いうことがあったのだけど」
さっそく、お父様に今日あったことを説明した。
「やはり、そういう事情があったんだね。分かった。明日、本殿でお祓いをしよう。その時は灯に任せたよ」
そう言って、お父様は客間から出て行った。
翌日、私は紗代さんを待ちながら神社の掃除をしていると、石階段から紗代さんと健さんが登ってきた。
二人とも礼服を着ていた。
「おはようございます、灯さん」
「おはようございます。紗代さん健さん」
「ああ、おはよう、灯さん」
「では、案内いたします」
私は本殿のほうへ案内する。
拝殿と本殿は石畳みでつながっており、その左右には灯篭が並べられている。
そして、御神体が収められている建物の近くにお父様が立っていた。
「灯、後は任せた」
お父様は一歩引いて私を見る。
私はご神体の前まで歩いていく。
「紗代さん、健さん。ここは神の御前です。石畳ですが、どうか、正座をして、頭をお下げください」
私の言う通りに、紗代さん夫婦は建物の階段の前で正座する。
私は、階段を上り、ご神体を仕切り一つ隔てたところまで行き、片膝を立て手を合わせる。
「どうか、お願いします。池本夫婦と正雄君を会わしてあげてください」
すると、辺り一面に緑色の小さな光る玉が浮かびだし、幻想的な光景に包まれる。
「正雄?」
紗代さんは驚いたように、顔を上げる。
そこには、正雄君が立っていた。
『お母さん、ごめんね、いっぱい悪戯しちゃって』
「まさか、お前だったの。あの現象を引き起こしていたのは」
『うん。だって、あれからお母さん笑わないんだもん。僕は笑っている顔が見たいよ』
「正雄、正雄……」
紗代さんは涙を流しながら、正雄君の名前を呼び続けた。
『お姉ちゃん。ありがとう、もう一度。お母さんと話せると思ってなかった。お父さんもお母さんをよろしくね』
「ああ、正雄。安心して逝きなさい」
健さんも、涙を流しながらも、穏やかな顔をしていた。
「では、始めます」
私は心を落ち着かせるために、深呼吸を繰り返す。
心拍数が収まってきたところで、大きく息を吸う。
両手を胸の真ん中に合わせる、
「掛まくも畏き、伊邪那岐大神。筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、禊ぎ祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等、諸々の禍事・罪・穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと、白す事を聞こし召せと、恐み恐み白す」
御神体が光だし、仕切りが外れる。
『それじゃあね、僕は逝くね』
それだけ言うと、正雄君が吸い寄せられるようにそこへ歩き出す。
「紗代、正雄のお願いを叶えてあげるんだ」
すると、健さんが涙を流し続ける紗代さんの肩を抱き、促す。
「正雄!もう、悪戯しちゃだめよ」
涙を流しながら、笑顔を浮かべた。
『うん!これで思い残すこともないや。ありがとう。お姉ちゃん』
正雄君は御神体に吸い込まれていった。
そのあと、紗代さんと健さんはお互いに支えあいながら、立ち上がり、感謝を告げ、帰っていった。
「いい夫婦ですね」
私はそれを見つめながら、つぶやいた。
「灯、お前にこの名前を付けた意味は知っているか」
すると、お父様は私の隣まで歩いてきた。
「急だね、知っているよ。人々の行く道を照らす灯になりなさいだったよね」
私は昔聞いたことを思い出しながら答える。
「うん、そうだね、深い森の中に迷い込んだ人が、地面についた足跡を追いかけ、帰り道を見つけられるような。小さな道標になる。そんな子になってほしいと思い付けた名前だ」
「それがどうしたの?」
身長が高いお父様を見上げる。
「あの夫婦にとって、人生を歩き出すための、灯になれたんじゃないかな。そして、あの子にとっても」
お父様に褒められたようでなんだか、むず痒い思いをしながらも、神様の御前で誓うように言う。
「うん、これからも私はみんなの灯になって、足元を照らしてあげられる。そんな人になれるように頑張るよ」
「そうだね。期待しているよ」
こうして、私、陽本灯の日常はまた1日過ぎていく。




