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虚ろなる天使は夕暮れに嗤う

 ────嗚呼、万能の父よ。

 天上に在す清廉なる天使たちよ。

 地上に在す高潔なる聖者たちよ。

 地下に在す貶められた者たちよ。


 聖なる光を以て、復讐の化身たる私を祝福したもうことを。

 







 夕方の礼拝堂はまだ明るいながらも特に静かで、空気が一段と冷え切っていた。

 茜色に染まる神聖なる空間の祭壇の前には少女がひとり。


 エブリンは神の像とステンドガラスに描かれる使徒たちを見上げていた。

 赤く染まる諸々を、彼女は表情を彫像のように動かさず細部に至るまでを観察する。


 神とその使徒たちがおわすこの空間を、真っ赤に染めあげることが許されるのはいつだって夕暮れどきの日の光だ。

 

 人はこのような光景を幻想的と呼ぶ。

 

 例えばの話。

 この空間が真っ赤な血で染まり上がったとする。


 その光景を大勢の人間がどうみるのか?

 悲惨な光景と嘆くか、素晴らしい光景だと倒錯的評価を下すか。


 この議論だけで多数の人間を善悪に区別出来そうだ。

 だがエブリンにとってはまるで価値の無い問いである。


 ふたつにひとつ、善か悪か、光か闇か、秩序か混沌か。


 そんな二元論などくだらない。

 結局どちらへ立ったところで、互いに憎み合うことはわかりきっているのだから。


 では憎しみとはなにか?

 それは相手から奪いたい、奪い返したいという欲求・衝動に他ならない。


 エブリン(セリーヌ)は今、その衝動に駆られている。

 憎しみは相手からあらゆるものを奪うことによって初めて心満たされるのだ。


 そのための知恵も力も手に入れた。

 この日のために、魔女アルマンドの指導を受け、この施設にて来たる日を待ったのだ。


 そして運命の扉が開く。

 扉からは息せき切ってこのときを心待ちにしていた少年アベルの姿が。


「ごめんエブリン、遅れちまった! あれ……? ……なぁ、エブリン?」


 アベルは少女の名を呼ぶ。

 だが少女は祭壇の前に立ったままこちらに振り向こうともしない。


 そこだけ時間が停まってしまったかのように、さびしい茜色の静寂に包まれている。

 その異様な姿に、あれだけ早打っていた鼓動が徐々に治まっていった。


 腰まで届く金色の髪をこちらに見せながら微動だにしないエブリンに、アベルは一歩ずつ近づいていく。

 明らかに今までと様子が違うのを直感的にも感じたのだ。


「なぁエブリン……どうしたんだよ。具合でも悪いのか?」


 祭壇前の階段付近まで歩み寄り、そこで止まった。

 いつものエブリンとは違った雰囲気が彼の中で恐怖を生んでいる。


 恐怖は現実をも蝕んでいき、茜色の光景に暗みが増していく。

 それに伴って、エブリンの全身にも暗い影が落ち込んでいった。


「ねぇアベル。私ね、とっても面白い御伽噺おとぎばなしを思いついたの」


 ようやく喋ってくれたことに若干の落ち着きを取り戻したアベルは、心配さを孕んだ微笑みを浮かべながら優しく問うてみる。


「どんな話なんだ? 聞かせてよ」


 彼女は紡ぎだす。


「……昔々この施設に、────セリーヌという可哀想な少女がいました」


「え……」


「セリーヌは施設の大人に毎日のように叱られ叩かれ、ときには暗いところに閉じ込められたりしました。そんなとき、その光景を見て『面白そうだから自分もやってみよう』と思った少年が、大勢の子供たちを味方にして彼女をいじめ始めました」


 



 突然エブリンの口から語られる物語は、まさしく2年前この施設で起きた詳細だった。

 忘れかけていたころに憧れの女の子から告げられて、アベルは心臓をナイフで抉られているような気分になる。


 そして彼女の語りが終わった。

 最後はセリーヌを追い出した子供たちと大人たちは幸せにくらしましたと締めくくられていた。


「エ、エブリン……どうしたんだよ。そんなおっかない話してさ……?」


 アベルが若干後ろに退きながらも、未だにこちらを見ようとしないエブリンに語り掛ける。

 礼拝堂が余計に寒く重い空気に閉ざされていく中、エブリンはクスクスと笑い出した。


「……これだけ言ってもまだわからないんだ?」


「なんだよ……なに言ってんだよぉ……ッ」


 エブリンがゆっくりと、それでいて優雅に振り向く。

 彼女は微笑んでいた。


 だかそこにいつもの優し気な雰囲気はなかった。

 あの綺麗な瞳は、深海の闇を映し出したかのように薄暗く、前髪のいくつかが顔を隠すように垂れ下がり、唇にその1本が引っかかっている。


 その様で見下ろすエブリンは、幼女とは思えないほどに美しい。

 だがそれでいて恐ろしかった。

 人間とはまた違う別物の存在に見下ろされているような感覚に襲われたのだ。



「────私は、"セリーヌ"よ。2年前、アナタたちに殺されかけたあのみすぼらしい女の子。わからなかったでしょ? 顔も声も、ひいては身体も全部新しいのよ。知識も力も全て、ね」


 冷酷に告げられた目の前の少女の神託ことばに、アベルは全身に雷を受けたような衝撃が走る。

 目の前の現実が信じられず、ただ不気味にこちらを見てくる少女に恐怖を抱いた。


「あ……あぁ……ッ!」


 アベルはすぐに扉の方へと駆けていく。

 勝てないとわかったからだ。


 その反応を見計らったかのようにエブリンは軽く指を鳴らす。

 扉の鍵は瞬時に閉まりビクともしない。


「お、おいなんだよ! 開けろ! 開けてくれぇ!!」


 扉をしきりに叩くも徒労に終わる。

 その直後、アベルの背後で神々しい光が放たれた。


「……これが私の新しい力よ」


 三対六枚の純白の翼。

 彼女の身体を軽々と越えるその大きな翼は、フワリと宙を舞った。


 白く輝く翼は本物の和毛にこげではない。

 魔女アルマンドが発明した『破壊粒子』と言われる未知なる物質で構成されている。


 この翼が彼女の力の象徴でもあり、そこから放たれる粒子を含んだ光の膜は彼女の復讐をより煌びやかに映し出すのだ。


 信じられない光景にアベルは思わず硬直する。


 翼に揺られ宙を舞う彼女はまさに名前の通りの天使だ。

 だがその天使が抱くのは慈悲ではなく復讐。


 天使たちの母はその微笑みを以て救われぬ者たちを楽園へと導くという。

 彼女もまたアベルに微笑みを浮かべるも、それは地獄へと導くたちのものだ。


 アベルに身の毛がよだつ感覚が襲う。

 その毒牙は今自分に向けられているのだと思うと、自然に足がすくんできた。


「なんだよ……なんだよその翼!」


「今にわかるわ。……さぁ素敵な時間にしましょう? ふたりっきりの世界で、ね」


 次の瞬間には礼拝堂が崩れていき、割れた壁と壁との間には"異質な空間"が広がっていた。

 やがて礼拝堂がバラバラになると、それぞれの破片が浮島のようになってこの異空間に漂う。


「嘘だ……嘘だぁああッ!」


 未知の世界に引き込まれ、かつていじめて殺しかけた女の子とふたりだけの世界。




「報復はあり得ないと思った? ────ささやかな期待、夢想……。全ては現実によって破壊され消える運命さだめ。さぁ、アナタも私に壊されてちょうだい」


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