決意表明
決めました。
この前、両親に「今すぐにカメラがしたい」と伝えてきた。
「高校から空を見るのが好きで、大学生でカメラマンになりたいって思って、やっとの思いでカメラを買って、やっぱりはまってしまって、でも看護師にならなきゃいけないからと自分の夢を押し殺して看護師になった。でも続かず転々として、その度にカメラマンになりたいと思っていた。お母さんが悲しむから言えなかった。収入は下がるし、趣味が嫌いになるかもしれん、でもそんなことやってみなわからん。3年後に結婚するかもしれん、お父さんの仕事が何かあるかもしれん、何かあってカメラできんくなるかもしれんやん」と言ってきた。「アンナの話全く響いてこんかった。3年後にしたらいいやん。看護師の大変さもわかってない。今やりたい気持ちもわかるし、やってみなわからんて言う気持ちもわかる、自分の人生やから好きにしたいって言う気持ちもわかる。3年後でもまだ若いし、3年続けるって約束したやん」と母。
「お母さんの言う通りやで。俺とは約束してないかもしれんけど、お母さんとはしたんやろ。社会のこともなんもわかってないし、人間関係も築けてない。借金抱えてるんやぞ、一生貧乏でもいいんか」と父。
いつも通り母は私を言いまとめようとした。でもそしたらまた同じになる。我慢して我慢してようやく相談して、3年看護師したら考えると言われ、それでもカメラがしたいと言っているのに、それなのに我慢させられる。1年がこんなにも長かったのに、3年はもっと長い。アンナの気持ちがわかる?わかるわけない、看護師もしてなくて、カメラしたいって思ったことないやん。この人たちは何を言っても無駄なんやろうな。
「相談してみる」と言って家を出てこれたのは、自分を褒めてあげたい。感情が高ぶっていた私は近くの場所で泣いた。わかってもらえないことが悔しかった。悲しかった。すぐにお兄ちゃんにメールした。明日の予定を空けてくれると言ってくれた。いいお兄ちゃんを持ったなと誇れる。
次の日、少し冷静になっている自分に気づいた。昨日は本当に疲れたな。
お昼すぎ、お兄ちゃんが迎えに来て、ファミレスで滞在した。「すぐ止めてくるからな。お兄のときもそうや、転々としてたから、1つのところに滞在しろって言われて、トラックの運転手はあかんて言われてたんや。今6年経って、お母さんのところに行っても『えらいね』で終わりやで。いやいや、続けろって言われたからしたけど、何が得れたよ、収入がいいから他のところにも行けへんし、このままずるずる続けなあかんねんで。
3年したら情も沸くし、辞められへんくなるで。そしたら、ばりおもんない人生やん。1人の人が看護師になって、定年して死にました、だけやで。人は死んだら終わり、死んだらお墓に入れる。どんだけぐにゃぐにゃした人生の人も、まっすぐの人生の人もみんな同じ、死んだら終わり。死に向かってどう生きるかや。若いうちに色んなこと経験するべきや。お兄ももっともっと転々としたらよかって後悔してるもん。自分の人生は自分のものやで、お母さんは先に死ぬけど、それからも人生は続くんやで。一生面倒見てくれんからな。
3年後の保証はあるん?3年先に何があるん?1年後に死ぬかもしれん、明日に死ぬかもしれん、そんなんお母さん後悔するで。仮に10年やりたくもない看護師して、お母さん死にましたってなったら今までしてきたことはなんやったん?お母さんが続けろって言うからしたのに死ぬんかよ、って思うで。3年たったとして、お母さん責められへんし、責めたとしても『あんたが選んだことやろ』で終わり。自分で決めたら、責めるんは自分でいい。自分の失敗やねんから納得もいくし、次のことも考えられる。もしカメラしてあかんかってもまた戻れる職業やねんやし、別に看護師に拘る必要もない。やりたかったらやればいいし、ちゃう仕事でもいいやん。資格なんて持ってて損はないし、アクセサリーみたいなんもんや。資格だけ取りに行く人もおるんやし。アクセサリーなんていっぱい持っててもいいし、つけんくたっていい。1年カメラしてあかんくたって、合わんかっただけのことや。それで死ななあかんわけじゃないんやし、またなんかすればいい。
子どもの気持ちなんて何もわかってないからな。子どもがこうなること想像できたか?自分は語れるほどの人生やったんか?自分も親の意見無視して、飛び出したんやろ。23の時には子どもおったんやから、今のアンナの気持ちなんてわかるわけないやん。親やから、建前的に反対せなあかんねん、お母さんが反対する気持ちもわかる、それが親やからな。飯食えたらそれでいいんや。働きたくないって言うてるんやったら別やで。けど働いて、生活しようとしてるんやからええやん。もし底ついても飯食わせてくれる友達はおるやろ。背中押してくれた子も、反対した子も、なんかあったときには助けてくれるやろ。アンナの周りは親だけじゃない。
反対押し切ってやりたいことをしても、報告は後ででいんちゃうか。何でもかんでも相談する必要はない。相談できひんような環境を作ったんはお母さんやからな。あれもあかんて言われて、誰が相談すんねん。少しでも耳を傾ける努力したんか。お兄だって反対されてこの仕事しとうけど、今は普通に実家帰れとうし、実家に帰れんのも少しの間だけやで。もしなんかあったとして、見放されたらそれまでのことやけど、絶対助けてくれるから。それが親や。助けてくれんかったら、それこそ無責任やからな。みんな親の意見に反発する時期があるねん。仕事の人もおるし、恋愛の人もおる。親の言いなりの人もおるやろうけどな。親子なんて切っても切れんもんやからな」
2時間ほど話した。同じお母さんの教育を受けたから、誰よりもわかってくれると思っていた。人選は間違っていなかった。妹のために時間を費やしてくれて、話を聞いてくれて、的確なアドバイスもくれた。こんなにいいお兄ちゃんはいない。世界一だ。お兄ちゃんがいてよかった。
もうお母さんの言いなりにはならない、初めてそう思えた。初めて解放された気分だった。お母さんの悲しむ顔が見たくなくて歩いてきた。お母さんの決めた道は楽しかった、不満もない。でも「やりたい」それだけのこと。何かに言い訳して逃げてきた。自分の人生なのに、自分が信じなくてどうするんだ。「やる」「やれる」「できる」今はそう思える。躓いたり、壁にぶち当たったら、その時にまた考えよう。
もう決めた。親の反対を押し切ってでも、カメラマンになる。親への報告はそのうち。