第七十八話 光の世界へ
「お父様!」
そう叫んだと同時に、華鈴は目覚めた。
目の前には荒い息遣いの髃楼が金の玉座に座っている。
苦しそうなその姿に何事かと思えば、彼の身体からあふれるように幽鬼が現れる。
そして、そんな幽鬼たちから華鈴を守るようにして蓮と日比那が前に立つ。
どうやら、華鈴は髃楼の意識の中から強制的に締め出されてしまったらしい。
せっかく前に進もうとしていたのに、また彼は闇に囚われたのだろうか。
華鈴は髃楼を救えなかったのだろうか。
このままでは、朱紅城も彩都も、冥零国をも幽鬼の闇が呑みこんでしまうかもしれない。
「華鈴」
優しく、蓮に名を呼ばれる。
それだけで、華鈴の心は落ち着いた。
蓮が側にいてくれる。華鈴は一人ではない。
「蓮様、私は大丈夫です」
にっこりと笑いかけると、蓮は再び幽鬼たちに向き直った。
髃楼から生み出された幽鬼の数は、次々と華鈴たち三人を取り囲む。
しかし、攻撃してくる様子はなかった。
ただ、悲しい悲鳴を上げている。
華鈴は胸が痛んだが、同情しているだけでは、彼らを救うことはできない。
華鈴は冷静になろうと深呼吸する。
幽鬼姫の力を使って髃楼の心の奥へ入り込むことはできたものの、闇から救うための十分な時間は得られなかった。
華鈴だけの力では、再び髃楼の心に入ることはできないだろう。
髃楼の闇はそれだけ深く、暗い。
しかし、闇に抑えられているもう一人の髃楼が、闇に打ち勝つだけの希望を見出すことができたなら、華鈴の力だけでも闇を浄化することができるはずだ。
「日比那さん、この幽鬼たちがここから出ないように結界を張ってもらえますか」
「今、強化中だよ」
日比那はにっと笑って答えた。さすがは、結界師として有能な鬼狩師だ。
「俺は、華鈴の援護を」
「お願いします」
蓮と日比那がいてくれるおかげで、華鈴は自分のすべきことだけに集中できる。
今度こそ、髃楼を救う。闇に囚われた彼に、光を見せる。
髃楼へ近づこうとする華鈴を阻むように幽鬼たちが動き出す。
《退きなさい》
しかし、幽鬼たちは華鈴の前から動かない。蓮が大鎌を振り上げようとする。
「蓮様、待ってください」
華鈴が言えば、蓮はその手を降ろした。
幽鬼たちに、華鈴に対する敵意はまるでなかった。
ただ、悲しんでいる。
その様子を見て、華鈴は気付く。
「あなたたちも、髃楼が心配なのね。でも大丈夫、私は彼をもう独りにはしないと決めたの」
華鈴の真っ直ぐな思いを、幽鬼たちに伝える。
幽鬼たちが髃楼に付き従っていたのは、幽鬼姫に血を使った呪具のせいだけではなかったのだ。
彼らは、幽鬼の闇をすべて背負い、幽鬼よりも苦しんでいる髃楼の孤独に惹かれていたのだ。
もはや人を思いやる心など忘れているはずの幽鬼が、髃楼の孤独を埋めるように側にいた。
幽鬼たちの悲しみを、髃楼だけは本当に理解できたのかもしれなかった。
光に憧れながらも、闇を生きることしかできなかった者たち。
暗く、哀しい絆が幽鬼と髃楼を繋いでいたのだ。
「私を光だと信じてくれるなら、闇がどれだけ深くても、私が必ずみんなを救ってみせます」
華鈴が微笑むと、幽鬼たちはそっと道を開けた。
そして、薄らと光に還っていく。
「ありがとう、信じてくれて」
華鈴の行く手を阻むものは、もう何もない。
華鈴は、真っ直ぐ髃楼が座る玉座へ向かう。
「やめろ! 僕は救いを求めていない! どういうつもりだ。殺してやる! お前が死ねば、幽鬼たちの悲しみが増長され、この国は闇に包まれる! そうすれば、復讐は成功だ! 僕が闇の支配者になる!」
髃楼は怒りに震えて、叫び続ける。
しかし、華鈴にはただ脅えているように見える。
自分の弱い心に触れられるのは、誰でも怖い。幽鬼姫の力で彼の過去を勝手に覗いてしまったが、気持ちのいいものではないだろう。
闇の化身として強くあろうとしている髃楼ならば尚更、救いを求める弱い自分など消し去りたいはずだ。
「許さない、お前だけは、絶対に……今までの幽鬼姫以上に苦しめて殺してやる! 死ね!」
殺気を放つ髃楼にはかまわず、華鈴はもう一人の髃楼にしたように、その身体を抱き締めた。
髃楼は、抵抗する。
「私は、もうお父様を独りにはしません!」
華鈴の身体は投げ飛ばされるが、何度も何度も抱きしめる。
そうして、いつの間にか、髃楼の手は抵抗することをやめていた。
「あなたを救おうとした幽鬼姫たちの思いから目をそらさないでください!」
髃楼は華鈴の細い腕を振り払うこともできずに、固まっていた。
小刻みに震える髃楼に身体を、華鈴はさらに強く抱きしめる。
どうか、もう一人の髃楼へと届くように。
「それに、私にとってあなたは、たった一人の父親です。私を、一人にしないで……」
華鈴は目に涙を浮かべ、髃楼にすがりつくように腕を彼の背にまわす。
その瞬間、華鈴を中心にあたりが眩しい光に包まれた。華鈴の身体が、きらきらと光りを帯びている。
浄化の光だ、そう思いながらも、華鈴にこれだけの光を生み出す力はないはずだ。
『ありがとう、幽鬼姫。私の願いを聞いてくれて。彼を解放してくれて……』
真っ白になった視界の中で、陵墓で見た初代幽鬼姫、蘭華の姿を見た気がした。
しかし、それも一瞬のことで、華鈴の目にはまた現実の景色が映る。
華鈴の腕は、まだ確かに髃楼を抱きしめていた。
何も考えられずに、ただただ華鈴は髃楼の身体を包み込む。
「……私を、許せるのか?」
長い沈黙のあと、髃楼の落ち着いた声が耳に届いた。
その口調から、闇に囚われていたもう一人の髃楼だと分かる。
まだ、髃楼の身体からは闇の力を感じるが、抑え込まれていた意識が表に出てくることはできたようだ。
きっと、蘭華が力を貸してくれたからだ。
本当に、髃楼が解放されたのか、華鈴には分からないが彼の瞳にはもう憎悪の色はなかった。
だから、華鈴は髃楼と向き合い、その問いに答える。
「これから、光の世界で生きてくれるなら」
華鈴が泣き腫らした目でにっこり笑うと、髃楼も少しだけ表情を緩めたような気がした。
そこに、もう暗い闇は感じなかった。




