第七十話 傷だらけの鬼狩師
先程までとは真逆の、真っ暗で、邪気が漂う部屋に蓮はいた。
どうやらここは現実らしい。
意識を失う前に受けた呪具による傷の痛みが、身体のあちこちから襲ってくる。
傷が深いのは背中と、腰の辺りだ。
傷口は薄い膜で塞がっているものの、少しでも動けばまた血が溢れてきそうだ。
自分の体に軽く触れて傷の具合を確認し、蓮はゆっくりと立ち上がった。
大丈夫、傷口は開いていない。
激しい動きをしない限りは、何の問題もなく動けそうだ。
しかし、これから髃楼との決着をつけようというのだから、問題ない訳がない。
結界に守られているはずの彩都に邪気が蔓延しているし、敵は皇帝本人であるし、鬼狩師の裏切りはあるし、蒼華大神は言うだけ言って手助けをしないし、問題だらけだ。
次第に暗がりになれた目で周囲を見回せば、蓮と同じようにボロボロになって床に倒れている人間たちが見えた。
おそらく生きている人間ではない、屍だ。
蓮は邪気と共に漂う腐臭に顔をしかめながら、何体もの屍を確認する。
どの屍にも、かすかではあるが神力が感じられた。
そして、その顔には覚えがあった。
「彩都の鬼狩師が何故……」
鬼狩師全員が裏切っていた訳ではなかったということだろうか。
髃楼に逆らって殺されたのか、利用されたのか、何故彼らが屍となっているのかは分からないが、
仲間同士で殺し合ったことは間違いない。
この者たちは呪具によって殺されている。
もしかしたら、鬼狩師を幽鬼へと変えようとしたのかもしれない。
自然、表情が険しくなる蓮の背後で、かすかに動く気配がした。
咄嗟に振り返り、術を放とうと身構えるが、その気配が蓮のよく知るものであると分かるとすぐ駆け寄った。
「しっかりしろ……!」
邪気にかき消されて気づけなかったが、確かに生きている人間が――華鈴と一緒に香亜村に残っていたはずの日比那が、そこにいた。
腹部から大量に血を流し、暗闇でよく見えないが、顔はおそらく蒼白になっている。
今にも途絶えそうなかすかな息遣いと心音だけが、彼が屍でないことを示していた。
蓮はすぐに日比那の服を剥ぎ、傷口を確認する。
闇の中、じっと目をこらせば刃物による刺し傷だろうと思われた。かなり深い。
背部を見ると、同じように傷がある。
どうやら長剣か何かで貫かれたようだ。
かなり内臓の損傷が激しいらしく、血も足りていない。
生きているのが不思議なぐらい酷い傷だった。
結界術に長け、守りに関しては鉄壁だった日比那にこれほどまでの傷を負わせるとは……。
「日比那、我慢しろよ。大丈夫だ、お前はまだ死なない」
蓮はこれ以上の出血を防ぐために、火の術で傷口を焼いた。
そして、日比那自身の気を回復するために、自分の神力を注ぐ。
神力を分けているうち、蓮の傷が再び開き始めたが、そんなことはどうでもよかった。
蒼華大神の血を引く自分ならそう簡単には死にはしないだろうが、日比那は違う。
そうして蓮の限界ギリギリまでの神力を与えると、少しだけ日比那の呼吸が落ち着いてきた。
ほっと息を吐く蓮だが、日比那自身を守るための結界である首飾りがないことに気づく。
首飾りがないせいで、日比那はこれほどまでに追い詰められてしまったのだ。
「何やってんだ、馬鹿が」
いつも自分のことは自分がよく分かってると笑って、日比那は何も言わなかった。
だから、蓮はいつもすべてが終わった後ボロボロの日比那を見ることしかできなかった。
その度に人を頼れと説教し、危険な仕事になりそうだと風の噂で聞けば加勢に行っていた。
自分からは何も言ってこない、家族同然の友人。
うまくその心に入り込むことができずに、蓮はただ日比那の行動を見ていることしかできなかった。
人の気持ちに人一倍敏感なくせに、自分は笑顔でうまく隠してしまう。
だから日比那が彩都に赴任する事になった時、正直ほっとしたのだ。
彩都は平和で、外からの侵入さえ防げば何も問題はない。
日比那の力があれば、危険は何もない、と。
幽鬼への恨みが深かった日比那にとって、彩都はかっこうの鳥籠となりえた。
平和でつまらない、と日比那はぼやいていたが、蓮はやっと友人にも平和が訪れると信じていたのだ。
それなのに、その彩都で髃楼に出会い、幽鬼へ抱く恨みを利用されてしまった。
結果的に華鈴のおかげで助かったものの、日比那は危うく死ぬところだった。
危険とは無縁の彩都にいれば暴走することもないと思っていたのに、大人しく鳥籠におさまってはくれないのだ。
最近は華鈴のおかげで少しずつではあるが薄っぺらい笑顔以外の表情を見せてくれるようにはなったが、時々予想外の行動を起こすところは変わっていない。
そしてその華鈴も、同じように大人しく待っていてはくれない。
蓮も、ただ大人しくあるだけの幽鬼姫を求めている訳ではないが、危険なことばかりに首を突っ込むのはやめてほしい。
二人とも、人がどれだけ心配しているかなど考えてもいないのだ。
蓮は、自分のことは棚に上げて危険に突っ込む二人に心の内で説教した。
(華鈴は無事なのか……?)
日比那の側には、華鈴もいたはずだ。
瀕死の日比那を見て、嫌な汗が蓮の頬を伝う。
日比那を抱えようとした蓮の耳に、小さな笑い声が聞こえた。
「……ふふ。今度は本物の蓮だ。生きてたね」
声を出すだけでも辛いだろうに、そんな素振りは全く見せずに日比那が笑う。
その顔を見て、内心ほっとする蓮だが、素直によかったとは言えなかった。
「当たり前だ。お前は何死にかけてるんだ」
自分も死にかけていたことなど忘れて、蓮は日比那を睨む。
自分の知らないところで勝手に死んでいたら許さなかった。
「ごめんごめん、ちょっと油断しちゃってさ」
この状況でもへらへらと笑って見せるものだから、蓮は余計に腹が立つ。
「お前がここにいるということは、華鈴も彩都に来ているんだろう。蒼華大神に華鈴が生きているということだけは聞いたが、華鈴はどうした?」
「それがね、朱紅城に一人で行っちゃった。皇族の血を引いているって、本当かな……」
「あぁ。華鈴は皇帝楼珠――髃楼の娘だ」
「……そっか」
蒼華大神から聞いた信じがたい事実を、日比那に伝える。
日比那は一瞬表情をなくしたが、すぐにその事実をかみしめるように頷いた。
「そういえば、首飾りはどうした?」
「与乃ちゃんに持たせてるよ。結界を張りなおすためにね」
つまり、この邪気は、結界が脆くなったために彩都内を蔓延してしまっている、という訳か。
しかし、あの与乃とかいう女に守護結界の力を持つ首飾りを持たせるなど一体何を考えているのだろうか。
おそらくは結界の修復などは二の次で、彼女を守るために持たせたのだろう。
そうまでして守る価値はあるのか、蓮にとっては疑問ではあるが、日比那が決めたことなのだから仕方がない。
それに、華鈴もあの女を気に入っているのだ。
「そうか。もう結界は完全に壊れたのか?」
「うぅん……どうだろう。熱があるみたいで、ちょっと結界の状況を把握できない。ごめん」
「いや、俺こそ悪かった。無理はするな。歩けるか?」
傷は一応塞いでいるものの、動くのはかなり厳しいだろう。
しかし、ずっとここにいることはできない。
華鈴を探さなければ。
そのことは日比那も分かっているのだろう。
一つ一つの動作ごとに顔をしかめながらも立ち上がり、大丈夫だと笑ってみせた。
「さて、オレたちの幽鬼姫ちゃんを探しに行こうか」
「そうだな」
蓮は苦しそうな日比那の腕を掴み、自分の肩に回す。
こういう時でも、人を頼ることをしなかった日比那だが、珍しく素直に蓮に寄りかかった。
少しは頼ってくれるようになったのかもしれない。
意固地になって固まっていた日比那の心を、華鈴が溶かしてくれたから。
(……華鈴、無事でいろよ)




