第六十九話 闇の呪具は
髃楼を殺すために彩都を訪れた蓮は、すぐに異変に気付いた。
日比那の結界が歪んでいたのだ。
髃楼の仕業だろうと踏んだ蓮は、結界を歪める力の源を探しているうちに、ある場所に辿り着いた。
そこは、皇帝がいる朱紅城だった。
日比那の強力な結界の内側から蓮を招き入れたのは、彩都を守る鬼狩師だった。
現れた三人の鬼狩師は、師の日比那とは違って目に痛い赤い色ではなく、落ち着いた紅葉に近い長衣を揃いで身に着けていた。
彩都が担当の者が皇城にいることは問題ない。
問題だったのは、それが蓮を髃楼に引き合わせるためだったことだ。
裏切り、という言葉が過ぎったが、彼らに殺意が感じられなかったので、大人しく髃楼の元まで案内させることにした。
そして、長い階段の先、豪奢な金と赤の椅子に座っていたのは、白い着物に身を包み、光り輝く圧倒的存在感を見せつけている男――髃楼だった。
彼は「幽鬼姫は殺したの?」と楽しそうに笑った。
その言葉にカっとなった蓮を鬼狩師たちが制し、髃楼が黒い笑みを浮かべて信じられない話を始めた。
自分が皇帝であること、凛鳴が妹であること、華鈴の父親であること……。
蓮はそのどれも信じることができなかった。信じられる訳がない。
この国を守るべき皇帝が、自ら呪具をつくりだし、幽鬼を従えて人を襲わせているなどと。
蓮はすべて聞き流していた、髃楼の次の言葉を聞くまでは。
――この呪具は、僕が殺した幽鬼姫の血から造られている。もちろん、君の母親の血も使わせてもらったよ。
どうして幽鬼たちが髃楼に逆らえないのか、不思議だった。
幽鬼を従える呪具など、そうそう作れるはずがないのだ。
呪具によって幽鬼を生み出し、幽鬼を集め、幽鬼を凶暴化させる、そんなことがただの術具でできるはずがなかった。
しかし、幽鬼を従える幽鬼姫の血を使用すれば、それは不可能ではなくなる。
その可能性に、薄々気づいていたが、蓮は気付かないふりをしていた。
考えたくもなかった。
そのことを確信してしまえば、怒りに我を忘れて暴走するに違いないと分かっていたから。
母を守れなかった後悔の波が再び自分の心に襲ってくるだろうと分かっていたから。
そうなれば、幽鬼を滅さないでほしい、という華鈴の願いを聞くことはできない。
髃楼の生み出した幽鬼すべてを滅し、二度と光を見ることができないようにすべてを殲滅させるためにひたすら力を使い続けるだろう。
しかし、復讐のままに力を使うことは、華鈴が望まない。
きっと、心から哀しむ。
だから、蓮は呪具のことは考えないようにしていた。
そうして事実に蓋をしていた蓮に、髃楼が容赦なく真実を語った。
――凛鳴は、僕が殺したんだ……。
にっこりと笑う髃楼に、蓮は大鎌を振り上げた。
蓮の母は、人間たちに殺された。
だからこそ、蓮は人間が嫌いだった。
華鈴に出会うまで、救う価値はないと思っていた。
しかし、髃楼は自分が殺したと言う。
その言葉で理解した。
あの時母を殺した人間たちは髃楼の呪具によって操られていたのだ、と。
幽鬼と人々を救いたいと願った幽鬼姫の血が、髃楼によって闇の力に変えられたのだ。
許せない。蓮の中には怒りと憎しみしかなかった。
――凛鳴が幽鬼姫だって、この僕にははじめから分かっていた。すぐに殺してもよかったけど、幽鬼を従えて、きっと何か大きなことをしでかしてくれるって期待してたんだ。でも、幽鬼姫って馬鹿だよね、あんなに美しい闇の存在を光に還してしまうなんて。僕は何度もこの世界を闇に染めるように言ったのに、言うことを聞かずに出ていってしまった。だから、殺したんだ……。幽鬼姫はみんな、僕の思い通りになってくれない。でも、娘はきっと父親のために動いてくれるものだよね。きっと、今頃は僕の望み通りに動いてくれているだろうな。
なんでもないことのように平然と笑って話す髃楼に、蓮は何度も大鎌を振り下ろす。
いつもは自分の手足のように大鎌を操ることができるのに、頭に血が上って髃楼しか視界に入っていなかった蓮は、背後に迫った鬼狩師たちの暗器に気付くのが遅れた。
背中に鋭い痛みが走り、蓮はその場に崩れ落ちた。
身体に突き刺さった暗器は、ただの武器ではなく、呪具だった。
幽鬼姫の血でつくられたという、おぞましい術具。
怒りの感情を剥き出しにしていた蓮は、負の感情をコントロールできずに、意識が闇へ引きずられそうになる。
幽鬼姫を狙う髃楼をこのままにして自分が死ぬ訳にはいかない、その思いだけで蓮は呪具の闇を退けた。
まずは裏切り者の鬼狩師を片付けるべきか、とかつての同僚へ力を放つが、うまく力が使えなかった。
身体もしびれてきたために、反撃もままならない。
髃楼が楽しそうに笑う。
闇に呑まれてしまえ、と。
その言葉を聞いた直後、蓮は多数の攻撃を同時に受け、自らの意志に反して蓮は気を失ってしまったのだ。
敵の面前で、無防備に命をさらすことになってしまったというのに、蓮は死んでいないと蒼華大神は言った。
「俺が生きているというのなら、何故こんな場所にいる?」
「いわゆる仮死状態じゃの」
髃楼は蓮が死んだものと思っているが、と微笑む蒼華大神を蓮は碧の瞳でじっと睨んだ。
「蒼華大神、お前はすべて知った上で俺と華鈴を髃楼の元へ行かせたんだな?」
髃楼が冥零国の皇帝であり、凛鳴の兄、そして華鈴の父であることを蒼華大神が知らないはずがない。
髃楼は、華鈴にとっては娘の命を狙う父親で、蓮にとっては伯父であり母の仇だ。
冷静に対処できないことは分かりきっている。
それなのに、蒼華大神は自分たちに髃楼を捕らえるように命じた。
「もちろん知っておった」
「だったら何故……!!」
髃楼を生かしているのだ、という言葉は蒼華大神の厳しい目に遮られて続かなかった。
「髃楼をこの世で最も憎み、恨んでいるのはこのわしじゃ。しかし、長い年月の中で、わしはもう憎むことに疲れてしまった。それにの、気付いたのじゃ。わしにとっては皆、かわいい子どもたちなのだ、と。わしはもう人間と関わりを持つことをやめた身……わしは見守るだけで、人間の争いには口出しはせぬ。じゃがな、もうこれ以上見ていられんのじゃ。どうか、髃楼を解放してくれ……」
その言葉を最後に、蒼華大神の姿は霞に消え、蓮の意識も重たい何かに引き寄せられるように沈んでいった。




