第六十四話 はじめての殺意
幽鬼の感情に流されながらも、華鈴の意識はたしかにあった。
そして、あることに気付いた時、華鈴は幽鬼姫としての力をもって幽鬼たちの感情を鎮められるまでに冷静さを取り戻していた。
(このまま髃楼を生かせば、また誰かの命が奪われる……)
その誰かは、華鈴の大切な人かもしれないし、全く知らない人かもしれない。
華鈴の次の代に生まれてくる幽鬼姫かもしれない。
一人一人の人間に、大切に想う人や場所、夢や希望がある。
その誰かは、別の誰かにとって、かけがえのない大切な人であるはずだ。
もう、奪わせない。
もう、傷つけさせない。
もう、誰も苦しませない。
そのためには、闇を生み出す髃楼を完全に消すしかない。
二度と誰も髃楼に利用されないよう、大切なものを奪われないように。
「髃楼、あなたの魂はここで終わらせる。もう、転生なんてさせないわ!」
強い意志で、はじめて人に殺意を向けた。
華鈴を襲っていた幽鬼たちが、瞬時に華鈴の身体から離れ、跪くような格好をした。
「へぇ、さすが幽鬼姫だね。その子たちは僕のものなのに」
怯むことなく、髃楼は余裕の笑みを浮かべている。
馬鹿にされているのだ。
華鈴のような小娘に自分を消すことなどできない、と。
しかし、それ以前に幽鬼を道具のように思っている髃楼に腹が立った。
「あなたには聞こえないの? 幽鬼たちの苦しむ声が」
「あぁ、この美しい悲鳴のこと? 幽鬼は、この世界への恨み、憎しみ、怒り、それらすべてを体現したような存在だ。表面に仮面を被って感情を隠し、騙し合う人間よりも、はるかに素晴らしいよね」
約千年もの時を在り続ける髃楼の人間性は、もうすでに崩壊しているのかもしれなかった。
初代幽鬼姫と一緒にいた髃楼と、今目の前にいる髃楼では同一人物なのに受ける印象が違う。
昔は、髃楼も感情を素直に出しているように見えた。
蘭華に真っ直ぐにぶつける思いと、嫉妬に近い感情を隠しもせずに向き合っていた。
それなのに、今の髃楼はすべてを黒い笑みの奥にひた隠しにし、その奥に負の闇ばかりを溜めこんでいるように見える。
「ねぇ、幽鬼姫。僕の心を理解しようとするのはやめてくれないかな? 僕はそんなこと望んでいないよ。知っているんだろう?」
「あなたの思い通りにはならないと言ったはず。私は、あなたを殺すわ」
今までずっと、幽鬼姫が成し得なかった――〈幽鬼姫〉に執着し、殺し続けた髃楼を殺すこと。
「初めて会った時、あなた私に言ったわね。大切なものをすべて壊され、奪われ、絶望を詠う幽鬼姫が見たい、と。でも、私は絶望なんて詠わないし、大切なものはこの手で守ってみせる。だから、大人しく死になさい」
自分の心がすうっと冷えていくのが分かった。
人を殺したいなんて、今まで一度も思ったことがなかった。
自分で、自分の口走った言葉が怖い。
何よりも、髃楼を許してはいけないと分かっていても、人の死を望んでしまった自分が恐ろしかった。
それでも、これが正しいことなのだ、と華鈴は自分に言い聞かせる。
誰かを守るためには、何かを犠牲にすることもある。
髃楼は、生きていてはいけない存在なのだ。
華鈴は彼の娘として、その命を終わらせなければならないのだ。
言葉には、力が宿る。
それが幽鬼姫の言葉ともなれば、言霊の力はかなり強くなる。
目の前には、華鈴の覚悟に感化された幽鬼たちが髃楼を襲う光景が広がっていた。




