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幽鬼姫伝説  作者: 奏 舞音
第一章
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第五話 人のぬくもり

 暖かい。あんなに凍えていたのが嘘のように、華鈴の身体は温もっていた。

 それに、なんだか身体がさっぱりしていて、気持ちがいい。

 近くに、火の気配と人の気配を感じる。目を開けて、周囲を確認しなければ…………そう思うのに、まだ布団の中でまどろんでいたい。

 こんなに気持ちよく眠れたのはいつ以来だろう。

 意識が覚醒しても、華鈴は本能のままに布団の中でじっとしていた。

 あんまりにも居心地が良くて、自分の置かれた状況をすっかり忘れていた。


「おい、いつまで他人の布団でぐぅぐぅ寝るつもりだ?」


 一瞬にして、夢から覚めた。この鋭い声には覚えがある。


「あ、あの、ごめんなさ……っ」


 慌てて飛び起き、華鈴が謝ろうとすると、額を小突かれた。


「うるさい……」


 眉間に皺を寄せて華鈴を捉える碧の瞳は、怖いのに、やはり美しい。


「俺の名は、れん。山神に頼まれたから仕方なくお前の面倒をみてやる」


 名前は蓮、と心の中で繰り返す。

 改めて、彼の蓮の花が咲いている着物を見る。

 蓮の花は美しく、彼をよく引き立てていた。

 蓮という名前も、着物同様彼によく似合っている、と華鈴は感じた。


「お前に一言言っておく。泣くな、謝るな、オドオドするな!」


 じっと見つめる華鈴に、蓮はビシッと指を指して言った。

 碧の瞳に鋭く睨まれ、一言じゃない……という華鈴の反論は口に出せず、ただ頷くことしかできなかった。


「分かったら、とりあえず食え」


 またさらに怒鳴られるかもしれない、と身構えた華鈴の前にお膳が用意された。

 そのお膳を持ってきてくれた者を見て、華鈴は息をのむ。

 小さな鬼だ。

 背丈は華鈴の膝ぐらいまでしかない。

 目は大きく、口も大きい。額にはこぢんまりした角が生えており、赤っぽい肌を覆うのは腰布一枚だけ。

 そんな小鬼が三匹、ちょこちょこと動き回って食事を運んでくれている。

 鶏だんごの汁物、焼き魚、白いご飯、山菜の和え物。

 それらを見て、初めて華鈴は自分が空腹であったことに気づいた。

 全てを運び終え、部屋の隅からキラキラした瞳で小鬼たちは華鈴を見つめている。

 もしかして、小鬼たちが作ってくれたのだろうか。


「……い、いただきます」


 小声だったが、たしかに小鬼たちに届いたらしい。どうぞどうぞ、と笑顔で頷かれた。

 一口、汁を口に含む。鶏のうまみが溶け込んだ出汁をゆっくりと嚥下すると、身体にじんわりとあたたかさが広がる。


「美味しいです……!」


 華鈴が食べる様子をドキドキしながら見守っていた小鬼たちに、笑みを向けた。

 すると、小鬼達は飛び上がって喜んだ。

 しかし、蓮が早く下がるようにと睨むと、そそくさと出て行った。


「あの……ありがとうございます」


 華鈴は、蓮に向かって丁寧に頭を下げた。心からの感謝を込めて。

 凍傷寸前だった手足には薬が塗られているし、ボロ布の着物は肌触りの良い薄桃色の着物に着替えられている。

 凍えていた華鈴の身体を温め、清めてくれたのは、きっと蓮だ。

 素肌を見られたということに羞恥心はあるが、あのまま冷え切った着物を着ていては間違いなく風邪を引いただろう。

 それに、あたたかくて美味しい食事まで用意してくれた。実際に用意してくれたのは小鬼たちだが、蓮が主なら同じことだ。


「気にするな。俺は山神に頼まれたから面倒を見ているだけだ」


 蓮は華鈴の方は見ないで素っ気なく答えた。

 そして、少しの沈黙の後、華鈴に真剣な瞳を向ける。


「凍傷以外にも身体のあちこちに傷があった。お前のようなか弱い娘が何故そんなにも傷だらけなんだ……?」


 その声にはかすかな憤りが感じられた。

 何か怒らせるようなことをしただろうか、華鈴が不安に思うと、蓮は首を横に振った。


「違う。お前を責めている訳ではない。そんな仕打ちをした人間に腹が立っただけだ」


「え……?」


 蓮は華鈴を怒ったのではなく、心配してくれていた、ということだろうか。

 少し気まずそうに眉間に皺を寄せて必死で真顔を作ろうとしている蓮を見て、華鈴の思考は一時停止していた。

 確かに、華鈴の身体中にはあちこち村人から受けた仕置きの傷がある。身寄りのない華鈴が村で生きていくためには、働かなければならなかった。

 村人に言われた、華鈴にできる仕事は何でもやった。

 失敗すると殴られ、暴言が吐かれない日はなかった。

 そんな生活が日常になっていた華鈴は、毎日できる大小様々な傷をいちいち気にする暇はなかった。

 だから、初対面の蓮に傷のことを指摘され、心配されていることに、大きな衝撃を受けた。


「これを傷跡に塗り込めば、数日すれば跡は目立たなくなるだろう。お前も女なら肌の手入れには気を遣え」


 そう言って、蓮は枕元に置いてあった薬箱を取り出して、華鈴に渡した。

 後は自分でやれ、ということだろうか。

 仏頂面で睨みを利かせる蓮はとても怖いのだが、それが優しさからくるものなのだと気づいてしまったから、素直に怖がることができない。


「……ありがとうございます」


 華鈴はまた頭を下げる。

 蓮は頷いてそっぽを向く。

 少しだけ照れているように感じたのは華鈴の気のせいだろうか。


(でも、あんなに嫌がっていたのに……)


 華鈴を見捨てることだってできたはずなのに、蓮はそれをしなかった。口では冷たいことを言っても、本当は優しい人なのだ。

 だったら尚更ここにいてはいけない気がしてしまう。

 華鈴は、自分の役目を忘れた訳ではない。


「そういえば、山神様はどこに行かれたのでしょうか? 私は、山神様への生贄なのですが……」


「お前、死にてぇのか?」


 鋭い碧の双眸に見つめられ、身がすくむ。

 蓮が悪い人ではないと思うのに、やはりまだ怖い。

 鋭利なその視線から逃れるように華鈴は下を向く。


「……い、いいえ。しかし、私は村のための生贄です。生きて村に戻ることはできませんし、いつまでも蓮様にご迷惑をおかけする訳には……」


「そうやって、自分が犠牲になればすべて丸く収まるとでも思ってんのか?」


 真っ直ぐに向けられた視線に、華鈴は言葉に詰まる。

 本気で怒らせてしまったのだろう。

 彼の纏う空気が変わった。


「俺は、自己犠牲ってのが一番むかつく。犠牲になる自分だけが他人を救った気になって、残される者の気持ちなんて考えちゃいねぇ」


 それは、華鈴ではない誰かに向けられた言葉のようだった。

 しかし、その怒りは確かに華鈴にも向けられている。


「その体中の傷もそうだ。自分が我慢していればいい、とずっと我慢してたんだろう? お前のことを大切に想う奴がその傷を見てどう思うかなんて、考えたことなどないのだろう?」


 蓮の言葉に、華鈴は何故か涙が止まらなくなった。

 両親のこと、祖父のことを思い出してしまったのだ。

 華鈴の身体に傷をみつける度に涙を流し、謝っていたこと。

 華鈴を傷つける村人たちに頭を下げて華鈴だけでも受け入れてほしいと頼みこんでいたこと。


「……いいえ、私は身に染みて知っています。両親は、厳しい状況の中でも私を愛してくれました。でも、私のせいで両親は死にました。村で唯一の肉親だった祖父も……。私を大切に想う人はもういません。私は、存在価値のない私を、大切には……できません」


 だから、身体の傷なんてどうでもよかった。

 それよりずっと、心が痛くて、苦しかった。

 誰にも頼ることもできず、自分の存在にも自信を持てず、ただただ両親に生かされた命だから生きていただけ。

 こんな風に、自分の心の内を誰かに話したこともなかった。誰にも、言えなかった。


(どうして、会ったばかりの蓮様にこんなこと言ってしまったんだろう)


 きっと、困らせた。華鈴の事情になんて、深入りしたくなかったはずだ。

 それなのに、話してしまった。申し訳なさで、さらに華鈴の涙は止まらなくなる。

 ふいに、華鈴の身体が強く抱きしめられた。

 一瞬何事かと思ったが、この場でそんなことができる人物は一人しかない。


「すまなかった。お前の事情も分からず、責めるような言い方だった……だが、自分を傷つけるようなことは、今後は俺が許さない」


 蓮の低い声が耳元で響く。

 なんと心地いいのだろうか。

 人肌がこんなにもあたたかかったということを、ずっと忘れていた。

 このぬくもりに、少しぐらいならすがってもいいだろうか。

 華鈴は、おそるおそる蓮の背に手を回した。と言っても、軽く触れるか触れないかの微妙な距離で。


「どうして、私なんかのために……」


 こんなに真剣に怒ってくれるのだろう。

 それも、裏を返せば自分をもっと大切にしろ、ということだ。

 かすかな声で蓮に問いかけるが、途中でぶった切られた。


「自虐的なことを言うのも禁止だ」


「は、はい」


 命令口調で言われ、華鈴は反射的にうなずいていた。

 しかし、なんだか禁止事項が増えたような。

 それでも、華鈴を追い出すそぶりがないことに、心からほっとしていた。


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