第五十四話 歪んだ罪悪感
「馬鹿な女だ、幽鬼を村人だと信じ込んでんだからな」
今まで口を開かなかった雄清が、与乃を見て笑った。
それを見て、蓮は自分の苛立ちと怒りを抑えることができなかった。
「一番の馬鹿はお前だろうが」
蓮は雄清に向かって日比那が持っていた数珠を勢いよく投げつけた。
日比那も同じ気持ちだったのか、何も文句は言わなかった。
それどころか、にっこりと笑っていた。
投げた瞬間に気付いたが、攻撃の威力を倍増させる効果のある術具だった。
それがわかったからといって、決して威力を弱めたりはしなかったが。
「がはっ……! な、何を」
ただでさえ威力の強い蓮の攻撃が倍増されて雄清の身体を襲ったのだ。
衝撃に耐えられるはずもなく、雄清は壁に打ち付けられた。
日比那の術で拘束されているため、避けることもできず雄清はもろに蓮の攻撃を受けた。
だが、たとえ術で拘束されていなかったとしても、蓮が外すことはない。
「状況を理解しろ、馬鹿が。今、お前は自由に発言できる立場ではない。俺の質問にだけ答えてればいいんだよ」
分かったか? 分かったな、と蓮は雄清に殺気を向けた。
先程の強力すぎる一発と、蓮の本気の殺意によって、雄清は少しだけ大人しくなった。
「さすがだね、蓮」
そう言って笑う日比那の言葉は聞こえないふりをする。
「髃楼はどこにいる?」
このすべての元凶である男、髃楼はどこで何をしているのだ。今すぐにぶちのめしてやりたい。
「…………」
「答えろ!」
蓮の問いに、雄清は何も答えない。
仕方なく、大鎌を出現させて脅しかけると、慌てて首を横に振った。
「し、知らないんだ! 髃楼様はこの村のことを俺に任せてどこかへ行ってしまった……でも、また来るはずだ。そうしたら、お前らや華鈴なんか一瞬で幽鬼の餌になる……ふ、はははっ!」
ごっ……と再び雄清の腹に蓮は一撃くらわした。今度は日比那が自ら蓮の手に数珠を手渡してくれた。
「お前、自分が何してるのか分かってるのか?」
「……はは、俺は、幽鬼をこの世から消すために、髃楼様の元にいるんだ!」
腹部の痛みに顔をしかめながらも、雄清ははっきりとそう言った。
その言葉に、蓮は呆れてもう一発くらわしてやりたくなった。
「お前がこの村で作っていたものは、呪具といって幽鬼を呼び寄せ、その力を増長させるものだ。幽鬼自身、己の力を制御できなくなる恐ろしいものだ。こんな物があれば、幽鬼はますます増え続けるだろうな。お前に幽鬼を消すことなどできはせん」
「嘘だ! 髃楼様はこの幽鬼の闇に染まった世界を救ってくれるお人なんだ!」
信じようとしない雄清を、蓮は冷めた気持ちで見つめていた。
髃楼は、華鈴への復讐心に燃える雄清を利用したのだろう。
自分には幽鬼を消す力があるとかなんとか言って、呪具の力で幽鬼を操ってみせたのかもしれない。真っ直ぐな人間というものは、一度信じ込んだら厄介だ。
まんまと髃楼に利用されて呪具をつくらされていた馬鹿な男は、自分が騙されていたということを信じようとしない。
「髃楼はね、この世界の救世主どころか、疫病神だと思うよ」
自身も利用された経験のある日比那は、そう言って雄清に笑いかけた。
「疫病神は、華鈴だろうっ!」
そう言った瞬間、蓮には大鎌を、日比那には暗器を向けられ、雄清は固まった。
「お前の口は余計なことしか言わねぇな」
「耳障りだし、使えなくなっても平気だよね?」
蓮と日比那の二人が視線を交わし、その言葉を実行に移そうとした。
「待て! 頼むから、もうやめてくれ。本当は俺だって怖くてたまらないんだ!」
本気の脅しが効いたのか、先程までの態度とは打って変わって雄清は弱腰になった。
その目には、涙まで浮かんでいる。
「怖いなら、何故ここで幽鬼を支配している?」
「それは、この道具を使えば、もう村に幽鬼が来なくなるって言われて……俺は華鈴から村を救うために、どうしても、その、道具が欲しかった。ここで髃楼様に協力すれば、村に好きなだけ持って帰ってもいい、と……」
村を救いたい、という思いと華鈴への復讐心が、雄清をこの村に留まらせていたらしい。
その気持ちは分からなくもないが、蓮は初めて会った時からこの男が嫌いだった。
「村を救いたかったということは分かった。だが、お前は根本から間違っている」
「華鈴ちゃんは幽鬼を従えてないし、救うことはあっても村を襲わせることはないよ」
突き放すように言った蓮の言葉を補うように、日比那が雄清に言い聞かせる。
雄清が知ろうとしなかった、華鈴の行動の真実。
「お前の村が襲われたのは、その呪具の力のせいで力が強まった幽鬼が暴走し、山神を闇に堕としたからだ。山神を救ったのは、華鈴だ。あの時華鈴が駆け付けていなければ、お前の村は今頃この香亜村のように滅んでいた。もちろん、お前は生きていなかっただろうな」
蓮は、苛立ちを隠しもせずに雄清に言葉を吐く。
雄清はその事実をどう受け止めたのか分からないが、何も言わずにじっと虚空を見つめている。
そして、ぽつりぽつりと言葉を漏らし始めた。
「……知っていた。俺は、あいつが村のみんなを大切に想っていることも、疫病神なんかじゃないことも……ただ、怖かったんだ。どんなに村のみんなが酷いことをしても笑っていられる華鈴が。俺は華鈴の知らないところでみんなと同じように華鈴の悪口を言っていたのに、華鈴はいつも俺に優しく笑いかけてくれるから……耐えられなくなった。いっそのこと、華鈴を嫌いになれば、疫病神だと思ってしまえば、楽になれるんじゃないかって……あの時だって、心のどこかで分かってた。華鈴は俺たちを守ろうとしてくれているって。でも、生贄に差し出しておいて、今更どんな顔をして謝ればいいんだ? 華鈴の死を選んだ俺が、どうして華鈴を庇うことができる? 村のことだけを考えて、華鈴のことは切り捨てたんだ……俺は悪者としてしか華鈴の前では存在できない。だから、華鈴に俺を憎んでほしかった。嫌ってほしかった。責めてほしかった。それなのに、華鈴は…………」
長い独白を、蓮と日比那は怒りを堪え、黙って聞いていた。
雄清は、自分が間違っていることに気付いていた。
気付いていて、あえて正そうとしなかった。
華鈴への仕打ちを考えると、許せない男だが、雄清自身が華鈴からの罰を望んでいた。
華鈴は、いつも自分を責めて、他人を責めない。
そのことが、雄清の罪悪感を増長させ、もう引き返せないところまで膨らんでしまった。
しかし、それは華鈴のせいではない。
気付いた時に、素直になっていれば何かが変わっていたかもしれない。
周りの村人の意見を変える力が、雄清にはあったかもしれないのに、彼は間違っていると思いながら村の意志に同調した。
「華鈴は、こんな目に遭いながらも、これから先もお前達を責めることはないだろう。お前はどうだ? これからも、もう引き返せないからと言い訳をして、華鈴に憎まれたいがために華鈴を責め続け、傷つけ続けるのか?」
過去は過去のことだ。
いくら後悔しても取り戻すことはできない。
しかし、未来は変えられる。可能性が広がっている。
雄清がこのまま変わらないのなら、それでいい。
ただ、華鈴のためにも蓮はそれ相応の対応をさせてもらう。
これから、雄清が自分の心に従って、間違いを正そうとするのなら、蓮は何も言わない。
華鈴に手を出さないと誓うのならば、だが。
「……髃楼さ、いや、髃楼は、彩都にいる。本当は、髃楼から華鈴に伝言があったんだ」
はじめ、蓮は雄清が何に答えているのかが分からなかった。
しかし、少し前に自分が問うた質問の答えだと言うことに気付く。
髃楼のことを呼び捨てにし、その居場所を伝えたということは、雄清の中で何かが変わったということなのだろう。
それが華鈴のためになるのかは分からないが、雄清が一歩を踏み出したことをきっと華鈴は嬉しく思うだろう。
「その伝言とはどういうものだ?」
頭を切り替え、蓮は雄清に問う。日比那も、真剣な顔で聞いていた。
「『すべてを知った時、僕に会いにおいで。あの場所で待っている』と、ただこれだけ……。詳しいことは俺も分からない」
この期に及んで雄清が嘘をついているようには見えなかった。
蓮は、横たわる華鈴を見つめる。
その表情は苦し気で、今すぐに助けてやりたいと思うのに、蓮には呪具の力を無力化することができない。
「華鈴なら、〈幽鬼姫〉なら、分かるのか……?」
“あの場所”とは一体どこなのか。
華鈴を待っている、という髃楼。
おそらくは、〈幽鬼姫〉のことを待っているのだろうが、何故、髃楼は幽鬼姫を待っているのだろう。
どうして、髃楼は〈幽鬼姫〉の存在を知っているのか。
華鈴に会ってどうするつもりなのか。
華鈴は、髃楼を知っているのか。
華鈴が知る“すべて”とは、何のことなのか。
蓮は、幽鬼姫だった母が何かに導かれるようにしてどこかへ行ってしまった時のことを思い出す。
そうだ、あの日、何故か人里に行って母は殺されたのだ。
幽鬼の数も、凄まじかった。
(頼むから、お前だけは俺から離れていかないでくれ)
蓮はすがるように華鈴の手をもう一度、握りなおした。




