第五十三話 大切な存在
目の前で、何が起きた……?
腹部から血を流し、倒れる華鈴の姿。与乃が呪具の埋め込まれた短剣で、華鈴を刺したのだ。
蓮と日比那が警戒していた雄清ではなく、与乃が華鈴に危害を及ぼした。
与乃は華鈴の血に濡れた短剣と自身の手を見て、悲鳴を上げて意識を失った。
しかし、そんなことにかまってはいられない。
「華鈴っ!」
すぐに華鈴のもとへ行き、傷口に止血の術を施す。
治癒に関する術はあまり得意ではないが、やらないよりはいい。
蓮は、華鈴の傷口に神力を集中させ、傷口を塞いだ。
鬼狩師となる者は、生まれつき神力を持っていなければならない。
そして、神に与えられる厳しい修行を経て神力をさらに強化させることで、様々な術を行使する。
人によって使える術は様々だが、蓮には使えない術はない。
ただ、使えるというだけで、日比那のように完璧な結界を作ることは難しい。
すべての術に秀でている訳ではないのだ。
蓮が得意とするのは、自身の神力によって形成した大鎌を使った戦闘。
その威力や身体能力が他の鬼狩師よりもはるかに優れているため、最強の鬼狩師と呼ばれている。
さらに、仕えている神が蒼華大神ということもあり、蓮の存在は鬼狩師の中で一目置かれている。
「華鈴、大丈夫だ。お前は、絶対に、死なせない」
目の前には、苦しそうに顔を歪め、顔面蒼白な華鈴の姿。
華鈴を少しでも安心させてあげたくて、蓮は声をかける。
言いようのない不安と、怒りと、後悔が蓮の心中を支配していた。
どうして、与乃の動きに気付けなかった。
どうして、与乃を信用してしまった。
どうして、華鈴の側を一時でも離れてしまった。
自分が守るべき、幽鬼姫。
大切に、大切に、なにものにも脅かされないように、優しいこの少女の光を守っていこう。
そう、誓っていたのに……。
身体に負担がかからないように、優しく、その身体を抱きしめる。
「蓮、こんなところでいてもだめだ。ちゃんと安静にできる場所へ行こう」
華鈴以外のものをすべて排除していた蓮の意識に、日比那の声が入り込む。
そして、日比那の心配そうな顔が目に入った。
確かに、このまま外で、自分の腕の中に華鈴を寝かせられない。
日比那の提案に蓮は頷く。
「村長の屋敷は比較的きれいだったよ。もちろん、ちゃんと結界である程度の浄化はできてる。それに、あの二人も捕らえておいた」
意識を失った与乃と、興奮気味の雄清。
二人は日比那の結界術によって拘束されていた。
最後の一言には、怒気が混じっていた。
日比那の内にも、幽鬼姫を害されたことによる憤りと守れなかった自責の念が渦巻いている。
しかし、蓮より幾分か冷静だった。
そんな日比那を見て、蓮もようやく平静さを取り戻した。
「華鈴ちゃんの状態はどう?」
「脈は安定してきたが、かなりの出血があったからな……。それに、あの短剣には呪具が埋め込まれていた。目を覚まさないのはこの傷だけが原因ではないだろう」
華鈴を村長の屋敷の一番広い部屋に寝かせ、さらにその周囲には日比那が結界を張った。
少しでも清潔さを保つためだ。
傷口には清潔な布を包帯替わりに巻き、血塗れになった着物は脱がせて蓮の着物を着せた。
蓮は屋敷の中から適当な着物を拝借した。
藍染の無地の着物で、所々が破けてはいるが、着ないよりはました。
華鈴の顔色は、まだかなり悪い。
それに、悪夢でも見ているのか時折苦しそうに呻いている。
その姿を見る度に胸が苦しくなり、自分の不甲斐なさに怒りがこみあげてくる。
しかし、最も許せないのは、危害を加えた者たちだ。
「どういうことか説明しろ。今すぐに殺されたくなかったらな」
横たわる華鈴の手を優しく握りながら、蓮は目の前の雄清と与乃に鋭い殺気をむ向けた。
この村に、村人などいなかった。
いたのは数十体の幽鬼のみだ。それら幽鬼はすべて蓮が滅した。
目を覚まして華鈴がこのことを知れば、怒られるだろうことは分かっていたが幽鬼姫の力がなければ幽鬼を浄化することはできないのだ。
鬼狩師として、これは仕方のないことだ。そう蓮は言い訳を考える。
しかし、それは華鈴が無事に目覚めた場合のこと。
もし華鈴に何かあれば、蓮は雄清や与乃だけでなく自分自身を許せない。
突然叫び声をあげ、華鈴を襲った与乃と、髃楼と繋がっている雄清の二人は今も、日比那の術で拘束している。
普段はふざけた笑みを浮かべている男だが、華鈴に危害を加えられてはさすがの笑顔も怒りに変わるらしい。
日比那の笑っていない顔は、蓮も久々に見た。
「……分からない。わ、私は、華鈴を刺すつもりなんてなかった……身体が、勝手に動いて……こんなはずじゃ、なかったのに」
身体を震わせ、涙を流しながら、与乃が訴える。
華鈴への謝罪の言葉が、与乃の口から何度も零れ落ちる。
雄清の方は口を引き結び、何も答えるつもりはないという態度を示している。
「それはどういうことかな? 詳しく説明してくれる?」
優しげに日比那が与乃に問うが、その目は笑っていなかった。
何を言われようと、許せるはずがない。
自分たちにとって光の存在となる華鈴を苦しめているのだから。
「……騙されていた、ずっと。あたし以外の村人は、あの時みんな死んでたんだ……あぁ、あたしはずっと、幽鬼と生きてたのか……」
与乃は日比那の声が届いていないのか、うわ言のようにぼそぼそと言葉を紡ぐ。
そして、彼女は急に気を失った。
傾く与乃の身体を、異変を感じた日比那が慌てて抱き止める。
「もしかしたら、何か術をかけられていたのかもしれない。かすかだけど、呪具の力を感じる」
「髃楼、か……」
この香亜村の影には髃楼がいる。与乃が髃楼の術にかけられていても不思議はない。
おそらく、髃楼を探している蓮たちの足止めのために利用されたのだ。
さきほどの言葉といい、与乃以外の村人はもう誰もいない。
与乃は、たった一人で幽鬼のいる村で生きてきた。
神力があったからこそ生き残ったが、その力が弱かったせいで髃楼に付け入られてしまった。
与乃も被害者だったのだ。




