第五十一話 幽鬼を操る男
「久しぶりだな、華鈴」
「……ゆう、しん?」
屋敷から出てきたのは、華鈴と同じ胡群の村出身の雄清だった。
華鈴を唯一庇ってくれていた村長の孫だが、雄清は村人と共に華鈴を嫌い、いじめていた。
華鈴が山神様への生贄となった時も、疫病神がいなくなると喜んでいた。
しかし、村人が頼みにしていた山神様は神堕ちし、胡群の村を幽鬼と共に襲った。
その時幽鬼たちを止め、山神様を正気に戻したのは華鈴だが、雄清をはじめとする村人たちは、すべて華鈴のせいだと思っている。
『華鈴、俺は村を襲ったお前のこと、絶対に許さねぇ……』
あの時の雄清の目は、怒りと悲しみに満ちていた。
そして今も、華鈴を見つめるその瞳は同じ色をしていた。
茶色の短髪と茶色の瞳は昔と変わらないのに、雄清の持つ雰囲気は大きく変わっていた。少し自己中心的なところはあったが明るく村思いだった好青年から、闇に染まった危険な男へと。
「華鈴、お前はまた懲りずにこの村を破壊しに来たのか? そんなに幽鬼を引き連れて」
華鈴について来てくれた幽鬼たちを見て、雄清はふっと笑う。
雄清はまだ、村が幽鬼に襲われたあの時のことを忘れていないのだ。
もちろん、華鈴だって忘れていない。
雄清があの時、華鈴のことを許さないと言ったことも。
(いつも、誰も私の話なんて聞いてくれないし、ちゃんと見てくれなかった……)
村人から受けた酷い仕置きの痕は、蓮からもらった薬のおかげで目立たなくなった。
それでも、長年心と身体に刻まれた胡群の村での傷が、どうしても疼く。
心が悲鳴をあげる。
何もしていないし、誰も不幸にしたくないのに、すべての憎悪が華鈴に向けられていた。
それがどうしようもなく悲しくて、辛かった。そして、悔しかった。
「黙れ」
雄清からの視線を遮るように目の前に蓮がいた。
そして、冷たい怒りをはらんだ声音で雄清を黙らせる。
蓮の背に庇われて、ようやく華鈴の心は落ち着いた。
蓮に出会った今はもう、昔とは違う。自分が他人を不幸にするだけの存在ではないと思える。誰かのために、何かできるはずだと自分の力を信じて前を向ける。
「……どうして、雄清がここにいるの?」
蓮の隣に並び、華鈴は真っ直ぐに雄清を見つめた。
こうしてちゃんと目を合わせようとしたことなど、村では一度もなかった。
華鈴自身、村人たちをちゃんと見ようとしていなかったのかもしれないと今だから気付ける。
あの幽鬼を操っていた呪具は、感じる邪気からしても髃楼が作ったもので間違いないだろう。
しかし、幽鬼が何十体も集まっていた屋敷にいたのは髃楼ではなく雄清だった。
村を襲った幽鬼を憎んでいるはずなのに、どうして幽鬼と一緒にいるのだろうか……。
それに、雄清の耳元で揺れている赤い耳飾り――あれは髃楼の呪具ではないのか。
何故、胡群の村で暮らしていた雄清が、こんな所で幽鬼の親玉のような顔をして華鈴の前に立っているのだろう。
「お前を殺すためだ」
その言葉を聞いた瞬間、蓮は雄清の首に刃を突きつけ、日比那はとっさに華鈴の前に出て結界を張った。
「お前みたいな弱虫に何ができる。華鈴には指一本触れさせねぇよ」
「村を幽鬼に襲わせておいて、自分だけ笑ってるなんて許せねぇ! 俺の親父はこの女のせいで死んだんだぞ!」
本気で蓮に殺意を向けられても、雄清は怯むことなく華鈴に向かって叫び続ける。
「あれはお前たち自身の闇が招いたことだろう。華鈴のせいにするな」
「いいんです、蓮様。あれは私の責任でもありますから……」
華鈴の幽鬼姫としての力が未熟だったから、山神様の神堕ちを止めることができず、幽鬼たちとともに村を襲わせてしまった。
あの時、華鈴が迷っていなければ、自分に自信を持っていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
雄清が華鈴を恨みたい気持ちは分かる。
だから、華鈴は雄清を責める気にはどうしてもなれなかった。
それに、一瞬にして日常を奪われた雄清にとって、あの時の真実などどうでもいいのだろう。
ただ、こみあげる怒りを、悲しみを、恐怖を、ぶつける相手が必要なのだ。
そうしないと、自分自身が壊れてしまうから。
「ねぇ、華鈴ちゃん。もしそうだとしてもね、オレたちの大切な幽鬼姫を侮辱する奴は許しちゃおけないんだよ」
言い方は優しいのに、冷たい表情、鋭い声で日比那が言った。
そして、日比那が再び雄清から庇うように華鈴の前へ出る。
華鈴を守ってくれる広い背は頼もしく思う。
それでも、雄清の思いを受け止めるのは自分の役目だ。
「雄清、あなたの気持ちはよく分かる。でも、私は殺される訳にはいかないの」
華鈴は雄清に向かって一歩踏み出した。
雄清の目には、脅えがあった。
口では強がりを言っていても、華鈴のことが恐ろしいのだ。
「やめろ、近づくな! 今度は何をするつもりだ!」
蓮に刃を向けられているにも関わらず、雄清は取り乱し、短剣を取り出した。
その剣からも、呪具の気配がした。
しかし、雄清は何もできないままに一瞬で地面に転がった。
唯一の武器であろう短剣は手から離れ、蓮の大鎌の柄で押さえつけられ、雄清は苦しそうに呻く。
「質問すんのはこっちだ。何故、お前がここにいる? 幽鬼と随分仲良くなったんだな」
ぐりぐりと大鎌の柄を雄清の背に押し付けながら、蓮が問い詰める。
「ぐぁぁっ!」
蓮が相当手に力を込めているのか、雄清は痛みに声を上げることしかできない。
蓮が華鈴のために怒ってくれるのは嬉しいが、さすがに雄清が可哀想になってきた。
「蓮様、離してください」
「断る」
「その状態では、話を聞くことができません」
華鈴が強い眼差しでそう言うと、蓮は渋々その手を緩めた。
そして、蓮は雄清の上体を起こし、後ろ手に縛りあげ、正座させた。
「雄清、何があったの? 私はこの村を救いたいの」
真剣に言葉を向けるが、雄清の心には届いていないようだった。
華鈴への疑惑が、怒りと憎しみが、その目から消えることはない。
「救いたいだと? この村はとっくにもう滅んでいる。この村では、髃楼様の力で幽鬼を教育しているんだ! 俺はお前を殺すために幽鬼を操る力を授かったのさ!」
雄清は自棄になったように叫んだ。
雄清の頭の中には、華鈴への憎悪しかないようだった。
自分が今何をしているのか、冷静に考えることができないでいる。
華鈴は自分のせいでここまで壊れてしまった雄清を悲しい気持ちで見つめた。
「やはり、髃楼が関わっていたか」
蓮が静かに声を漏らした。
「この村が滅んでるって、どういう意味かな?」
そして、日比那が冷たい声で雄清に訊く。
「あ、あ、あぁぁぁっ……!」
突然、与乃が頭を抱え、悲鳴を上げた。
あまりにも辛そうなその声を聞き、華鈴は与乃に近づいた。
しかし次の瞬間、腹部に焼けるような痛みを感じた。
先ほど雄清が手放した短剣が与乃の手にあり、その刃が自分のお腹に刺さっている。
声をあげることすらできず、華鈴は与乃の苦しみに歪む顔を見た。
「……ごめん、華鈴」
どうして? そう思った次の瞬間には、もう華鈴の意識は闇の中へ堕ちていた。
遠くで、蓮と日比那の悲鳴のような声を聞いた気がした。




