第四十八話 信じがたい話
与乃の住む香亜村は、深紅山の裏山とされている小さな香亜山のふもとにある。
気候が良く緑豊かな土地で、作物もよく育ち、香亜に住む村人たちは贅沢とまでは言えないが豊かな暮らしを送っていた……幽鬼を引き連れた男が現れるまでは。
「命が惜しければ従えって……あたしはそんなの受け入れられないから、立ち向かおうって言ったんだけど、村長が村人を助けてくれるならとあっさり頷いてしまったんだ! でも、結局はみんな滅茶苦茶になった。生き残った村人たちも、人が変わったように暗くなって……」
香亜村へ行く道中、華鈴は与乃に詳しい話を聞いていた。
与乃は怒りで声を荒げ、進む足取りもだんだんと早くなっていく。
後ろには、深刻な顔をした蓮と笑顔を浮かべながらも与乃を観察している日比那がついてきている。
もちろん、華鈴の力になりたいと望んでくれた幽鬼たちも。
村で幽鬼を見慣れているせいか、与乃は幽鬼に対してあまり恐怖を感じていないようだった。
それよりも、蓮と日比那に対してかなり嫌悪感を抱いている。
出会い方が悪かったからかもしれない。
「村にあの男を迎え入れてしまったことがそもそもの間違いだった……村が襲われた後、あたしは何度も言った。あたしの力を使えば、絶対にあの男を追い出すことができる、だから力を貸してくれ、と。でもみんなはあたしの話なんか聞かずに、諦めて、今でもずっとあいつの言いなりだ!」
与乃は感情的に言葉を吐き続ける。
せっかくのきれいな顔が、ぶつけようのない怒りと後悔で歪んでいる。
一人でずっと苦しんできたのだろう。
与乃は華鈴と違ってとても強い女性だ。
苦しくても、悲しくても、自分に何かできないかと立ち上がろうとしている。
蓮に出会えたから、華鈴は変わった。
逃げるばかり、諦めるばかりの自分から。
しかし、そうは言っても与乃の神力はそこまで強くない。
与乃が村人たちと立ち向かったところで、幽鬼に勝てるとは思えなかった。
「大丈夫です、きっと私たちが何とかしてみせますから」
少しでも与乃を安心させたくて、華鈴はにっこりと笑いかけた。
すると、与乃は申し訳なさそうな顔をして、華鈴に頭を下げた。
「ありがとう……それと、巻き込んでしまって、ごめん」
蓮と日比那に対しては睨みつけたり無視したりとかなり冷たい態度をとる与乃だが、華鈴に対しては素直に話をしてくれるし、色んな表情を見せてくれる。
与乃は、華鈴に心を許してくれているようだった。
そうだとしたら、本当に嬉しい。
かつて住んでいた胡群の村では、心を許してくれる人も許せる人もいなかったから。
華鈴は、同性の友人にずっと憧れていた。しかしそれは胡群の村では叶わない夢だった。
蓮に出会ってから、欲しかった居場所、友人、大切な人、幸せで楽しい時間……いろんなものが増えた。蓮と日比那がいてくれるだけでも十分なはずなのに、華鈴の心はどんどん欲張りになってしまう。
与乃とは知り合ったばかりだが、力になりたいし、この美しく強い人ともっと仲良くなりたいと華鈴は思う。
だから、与乃には謝ってほしくなかった。これは、華鈴が自分で決めたことなのだから。
「気にしないでください。私が与乃さんの力になりたいんです! それに、幽鬼を操る男のことも気になりますから……!」
必死に大丈夫だと訴える華鈴を見て、与乃はふっと笑った。
それは先ほどまでの強気な態度や行動からは想像も出来ない、柔らかく穏やかな笑みだった。
「あんた、ホントにお人好しだね」
「ありがとうございます……」
与乃の笑顔に対して、華鈴は反射的に頭を下げた。
褒め言葉じゃないんだけど……と笑った与乃の顔が、華鈴はたまらなく好きだと思えた。
与乃には、そうやって笑っていてほしい。
ふと、自分も似たようなことを言われたのを思い出す。
何もできなかった華鈴に、ただ笑っているだけでいい、そう言ってくれたのは蓮だった。
あの時は本当にそれだけでいいのだろうかとも思ったが、今は少しだけその意味が分かった気がする。
人の笑顔というものは、周りを明るくしてくれる。
それが大切な人ともなると、その笑顔を見るだけで幸せな気持ちになれる。
(蓮様もそう思ってくれているのかな……)
華鈴の笑顔を見て、蓮も幸せな気持ちになってくれているのだろうか。
そうだったら、どれだけ嬉しいか。
自惚れに過ぎないということは分かっているが、そうであってほしい。
ちらりと後ろの蓮を振り返ると、ばっちり目があってしまい、華鈴は慌てて前を向く。
目が合った時、華鈴を見つめる眼差しはとても優しいものだった。
しゃらり、と髪に挿した簪が揺れる。大好きな蓮にもらった大切な宝物。
その存在を感じて、蓮がちゃんと自分を見てくれていることを知って、華鈴の胸はあつくなる。
自然と頬に熱が集まり、不自然に口元が緩んでしまう。
なんだか舞い上がってしまい、足取りも軽く山を下っていた華鈴だが、だんだんと空気が沈んでいくのを肌で感じ、浮かれた気分はすぐに消えた。
幽鬼が放つ負の気を感じる。
みんなに笑っていてほしいと願うのならば、まずは与乃の村を救わなければならないのだ。
華鈴は気を引き締め直す。
「あ、見えてきたよ」
そう言って立ち止まった与乃が指した方向には、黒い暗雲が立ち込めていた。
香亜村全体の空気が、真っ黒に染まってしまっていた。
距離的にはまだかなり離れているのに、その闇を見ただけで村にいる幽鬼の数が相当なものであると分かる。
(あそこに、幽鬼を従える男がいる……)
華鈴は、ここにいるはずのない髃楼を思い浮かべた。
幽鬼姫を呪い、恨んでいる男。
彼の目的は幽鬼姫のはずなのに、日比那を巻き込み、幽鬼を利用して多くの人を危険に晒そうとした。
まだ少し遠いが、凛鳴の時と、日比那の時と同じ力を感じた。
香亜村にも、髃楼が関わっている。
髃楼が執着しているのは、幽鬼姫だ。
それなのに何故、華鈴のもとへ来ないのか。それは、華鈴がまだ完全な幽鬼姫ではないからだ。
幽鬼姫としての力をまだ使いこなせていないから、髃楼は幽鬼を利用し、他人を巻き込んでいる。
幽鬼姫をおびき寄せるためなのか、幽鬼姫の無力さを知らしめるためなのか。
髃楼の考えは分からないが、華鈴が止めなければならないということだけは分かる。
「与乃さん、行きましょう」
覚悟を決めて、華鈴は邪気を漂わせる村へと歩き出す。




