第三十六話 幽鬼姫の賭け
皇族の陵墓がある深紅山には、侵入者を阻むための様々な結界や幻術が施されていた。
しかし、そんな術など蓮の前には無に等しかった。そして、術を簡単に解いた蓮はその度に華鈴に言い聞かせた。
「いいか、ここの結界や術がしょぼい訳ではないからな」
と。おそらくはこの結界や幻術を施した鬼狩師たちの名誉を守るためなのだろうが、華鈴にとってはやはり蓮がすごい人で、他の鬼狩師のことも気にかける優しい人なのだということが分かり、ますます蓮への思いが強くなるばかりだった。
「はい。蓮様が恐ろしくお強い、ということですね」
「いや、だからそういう訳でもなくてだな、俺が日比那という人間を知っているからだ」
「つまり、蓮様は日比那さんよりもお強いということですね、さすがです!」
「あ、あぁ。もういい」
何故か蓮に呆れられ、華鈴が首を傾げていると、結界の先に強い邪気が漂っていることを感じた。
それは蓮も同じだったらしく、苦い顔をしていた。
「この結界の向こうは、陵墓だ」
皇族が眠る陵墓から、邪気が発生している。ただ事ではなさそうだ。
それに、おそらくこの邪気には日比那が関わっている。何かに巻き込まれただけだと信じたいが、もし日比那自身の反乱の意志だったなら……その可能性を思うと先に進むことをためらう気持ちもあった。
しかし、もしそうならば日比那の目を覚まさせる必要がある。
幽鬼姫を信じていた彼に、本物の幽鬼姫の光を見せるのだ。
「本来であれば正式な順序で結界を解く必要があるが、結界をも超えて邪気が溢れているのなら、壊す他ない、か……」
今までの結界は蓮が丁寧に解いて、再び術をかけ直していた。
それは、深紅山が神聖な場所であり、守られるべき場所だからだ。
華鈴たちの都合で結界を壊す訳にはいかない。
本来であれば、この場所は限られた者しか入ることができないのだから。
「そんなに強力な結界なのですか」
「あぁ。これが陵墓を守る最後の砦だからな」
「しかし、壊してしまったら、邪気が外に広がるのでは……?」
今でさえ、少しずつ邪気が結界から溢れ出してきているのだ。
それを抑えている結界を壊せば、どうなるか分からない。
蓮は一体何を考えているのだろう。
「だから、これは賭けだ」
「賭け?」
「このまま、この結界を正式な順序で解いていけば夜になる。幽鬼が好む闇の時間だ。この邪気によって、幽鬼はさらに凶暴化するだろう。凶暴化した幽鬼が街へ降りればその被害はかなりのものになる。ただでさえ蒼龍祭で幽鬼が不安定になっている状況で、これはまずい。それに、その間この邪気の中で日比那が正気を保っていられるとは思えん。この結界がもつかどうかもな」
結界を壊す、ということは邪気が外に出ることを意味する。
まだ、今は日が暮れはじめた夕方だ。完全な闇に支配されるまでに少しの猶予がある。
だから、蓮は賭けだと言ったのだろう。
「今、結界を壊して陵墓へと入り、邪気の原因を浄化することができれば、日比那もこの街も救われるだろう。それは、すべて幽鬼姫の手にかかっている。もちろん、俺が邪気を全力で抑える。やるか?」
蓮は本気だった。
本気で、華鈴に賭けようとしている。
華鈴が失敗すれば、解放された邪気が多くの幽鬼を生むことになるというのに。
それも、凶暴化した、普通の人間には手に負えないような幽鬼が。
街には、蒼龍祭で多くの人が集まっている。
華鈴の前でそんなことはさせない。
幽鬼姫の目の前で幽鬼を生み出す訳にはいかない。
それに、この邪気の中には日比那がいるのだ。
はじめから、答えは決まっていた。
「やりましょう」
すべてをうまくやり遂げる自分の姿なんて想像もできないし、できるという確信も、自信もない。
でも、蓮がいてくれて、日比那を救いたいという強い気持ちがある。
そして、幽鬼姫としての誇りも。
華鈴の答えに満足したように、蓮は口角を上げた。そして、手の平を結界に向ける。
「華鈴、下がってろ」
という鋭い蓮の声で、華鈴は反射的に後ろに下がる。
その次の瞬間に、バン! という爆発音がしたかと思うと、目の前には黒い邪気に包まれた陵墓の入り口があった。
「ここが、陵墓」
陵墓の入口は、山の中腹にあった。
皇族を示す牡丹の花が美しく描かれた門は、その姿を黒く醜く変えていた。
それだけでなく、その周辺に咲く牡丹の花までもが黒く染まっている。
赤の世界から黒の世界に一歩足を踏み入れた途端、禍々しい気を全身に感じた。
結界から溢れていたものとは比べものにならない程の、強い邪気。
深い闇を纏ったようなこの空間にいるだけで、気分が悪くなる。
「俺はここで邪気を抑える。先に行け!」
蓮の声で、華鈴は走り出す。
こんな風に蓮が華鈴を危険だと分かっている場所に一人で先に行かせるなんてことは初めてだった。
賭けだ、と言った蓮の本気が実感に変わった。
蓮は華鈴を信じて先を任せてくれている。
守られる側ではなく、守る側になりたいと思っていた。
ようやく、華鈴の思いが現実になったのだ。しかし、いざその責任がすべて自分にのしかかると、不安と恐れの方が大きくなる。
もし失敗すれば、もし何も守れなければ、その非難はすべて自分に向けられるのだ。
蓮はいつもこんな重圧を耐えてきたのだろうか。
強いから、と皆に頼られ、絶対にやり遂げてくれると信じられている。
他でもない華鈴自身が蓮のことを絶対に負けない強い存在だと、完璧な人間なのだと思っていた。
蓮はその期待を裏切らないだけの強さと優しさを持って華鈴を守ってくれたから。
(私も、守りたいって口先だけじゃなく、誰かを守れる強さを手に入れる……!)
今は邪気が支配しているが、ここは神力が溢れる神聖な場所。
きっと華鈴に強さをくれる。
蓮の賭けは、必ず勝たせてみせる。




