第三十四話 伝説の存在ではなく
宿屋のとある一室。
深刻な表情で向かい合い、にらみ合っているのは華鈴と蓮。
つい先刻まで、抱きついたり照れたり土下座したりと忙しかった二人だが、楽しくじゃれ合っている場合ではなくなっていた。
華鈴が変な男に絡まれた、ということを知った蓮が、華鈴の外出を禁止にすると言い出したのだ。
蓮が心配してくれるのは分かるし、嬉しくもある。
しかし、日比那がまだ見つかっていないこの状況で華鈴だけ大人しく宿で待つなどできるはずがない。
そんなことをすれば、あの男が言っていたように守ってもらうだけの存在になってしまう。
突然男に話しかけられたと話しただけで外出禁止と宣言されたので、男の助言について蓮に詳しくは言っていない。
もし蓮が内容を知れば、今回だけでなくこれから先も華鈴の単独行動を許してくれないかもしれない。
それだけは困る。
蓮に迷惑をかけないように自立すると決めたのだ。
「私のことよりも、今は日比那さんのことを考えましょう」
日比那の名にぴくりと反応した蓮だが、その表情は硬いままだ。
「いや、まだ話は終わっていない。華鈴は俺が守るから、一人で危ないところには行かないでくれ」
真剣に訴えるその瞳を見て、華鈴の気持ちは少し揺れたが、これだけは譲れない。
蓮が人間から母を守れなかったことを悔いているのは分かる。
一度失った痛みがあるからこそ、ここまで過保護になってしまうのだということも。
それでも、いつまでも守られているだけでは華鈴は前に進めない。
それに、蓮だって前に進めない。
華鈴は、蓮と共に隣を歩く存在になりたいのだ。
「いいえ、幽鬼姫は幽鬼のいる場所に行くのです。危険な場所に自分から行くものなのです。そうでなければ意味がありません。蓮様も、幽鬼姫は光だとおっしゃっていたじゃないですか。それに、私だって蓮様を守りたい……!」
蓮を守りたい。
幽鬼姫として完全ではないと言われた弱気な小娘が、最強の鬼狩師を守りたい。
一人で何でもできる訳がない。助け合わなければ。
大切な人の力になりたい。大切な人を守りたい。
この気持ちは自然で、純粋で、とても強いものだ。
この気持ちがあれば、華鈴は何にも負ける気がしない。
「蓮様、私は幽鬼姫です。守られているだけでは、何もしないままでは、私は誰の役にも立てないただの伝説上の人物になってしまいます。蓮様の仕事を手伝いたいと言ったのは、生半可な気持ちではありません。だから、大人しく私に守られてください」
生意気なことを言っているのは自覚していたが、華鈴が本気だということを分かって欲しかった。
一人で突っ走る蓮を止めたかった。
しばらく黙って華鈴の言葉を聞いていた蓮は、一つ息を吐いて覚悟を決めたような強い瞳を華鈴に向けた。
「どうやら俺が間違っていたらしい。大切に守っているだけでは、幽鬼姫はただの伝説と同じ、か。なら守ってもらおうじゃねぇか。伝説ではなく“今”を生きる幽鬼姫に」
蓮の鋭い瞳と、その言葉に乗せられた期待と責任の重さに一瞬華鈴はひるみかけたが、真っ直ぐに蓮を見た。
「では、教えてください。日比那さんのこと、何か分かったんですよね?」
「気づいていたのか」
「えぇ。だから私を宿から出したくなかったのでしょう?」
一人で日比那のもとへ行くために。
華鈴を危険から遠ざけるために。
「そうだ」
「教えてください」
「祝い馬が暴れる直前、赤い衣を着た男を見たという馬屋番がいた。蒼龍祭で赤い色を着ることが許されるのは彩都の鬼狩師ぐらいだ。今ここにいる彩都の鬼狩師は日比那しかいない。つまり、あいつが馬に何かしたか、馬を暴れさせる何かを持っていたか、だ」
蓮の話を聞いて、華鈴は日比那と握手をした時の異様な恐怖を思い出す。
「蓮様、おそらくは日比那さんの術具の一つが原因かと思います。何か、恐ろしいものを感じましたから」
「やはり、か」
「でも、日比那さん自身がそんな危険なものを大勢の人が集まるこの場所に持ち込むことはないと思います。いくら口では争いを好むような言い方をしていても」
幽鬼を恨み、幽鬼姫に絶望し、自分の力を思い知らせてやりたいという思いは確かに日比那の中にあるだろう。
しかし、それを実行するかどうかは別問題だ。
自分の恨みを晴らしたいという思いだけではなく、大切なものを奪われた者の悲しみも日比那には理解できるはずだから。
日比那は、他人を思いやれる人間だ。
それは、実際に日比那と会って、華鈴が感じたことだ。
華鈴に対して冷たい態度をとっていたが、それは幽鬼姫への思いが人一倍強かったからだろう。
日比那が蓮と幽鬼姫に会いに来たのは、彼なりの忠告のつもりだったのかもしれない。
そして、華鈴たちを巻き込むまいとあんな態度をとっていたのかもしれない。
誰かのために笑える、優しい人だから。
しかし、心配する蓮に何も言わず、助けも求めず、一人で抱え込むのは許せない。
追い返されたとしても、華鈴は日比那のことを助けに行く。
一体何があったのかは分からないが、そんなことはその時考えればいい。
「同感だ。そして、日比那自身がそのことに気付き、その力を持て余していたのなら、行く場所は一つしかない」
「深紅山、ですね」
華鈴は蓮の言葉を引き継ぐ。
霊山とも言われるほど神聖なあの場所は、あらゆるものを浄化する力を持つ。
日比那は危険な力を秘めた術具の力を抑えるため、おそらく深紅山に向かったのだ。




