第三十三話 謎の男
「はぁ、はぁ……日比那さん、一体どこに……」
蒼龍祭で多くの人で溢れる大通りを、華鈴は日比那を探して走る。
赤色を身に着けるのを避けている人々の中で、あのじゃらじゃらと装飾品を身に着けた派手な赤は目立つはずなのに、日比那はどこにもいない。
半時が経ち、不安ばかりが募る。
(彩都に帰っているだけならいいのに……)
元々、無断で彩都を出てきている日比那だ。
何か急なことがあって呼び戻されたのかもしれない。
しかし、華鈴も蓮もその可能性が低いことは薄々感じていた。
ずっと、華鈴の頭の中では警鐘が鳴り続けている。
こんな所でぐずぐずしている場合ではない。そう思うのに、日比那がどこにいるのか見当もつかない。
「あぁ、もう宿に帰らないと蓮様に怒られる……!」
藍色に染まりつつある夕暮れの空を見て、華鈴は呟く。
今、華鈴は初めて蓮と別行動をとっている。
それは、二人一緒に探すよりも二手に分かれた方が効率的だと華鈴が説得したからである。
華鈴を一人にするのは危険だと蓮は強く反対していたが、日比那を一刻も早く見つけなければ危険だと訴えると、陽が落ちるまでという条件付きで認めてくれた。
(意外と蓮様は心配症だから……)
もし華鈴が暗くなっても宿に戻らなければ、蓮は日比那ではなく華鈴を探すだろう。
危険と隣り合わせであろう日比那を優先して見つけるためには、無駄なことは省きたい。
本当はもう少し街を探して歩きたかったが、日比那を見つけるためにも華鈴は大人しく宿に戻らなければならないのだ。
宿に戻る道すがらも、派手な赤が視界に入らないか、と周囲を気にして歩く。
そして、周りにばかり気を取られて前を見ていなかった華鈴は、どんっ! と誰かにぶつかってしまった。
「あ、すみません……!」
華鈴は慌てて頭を下げる。
ぶつかってしまったのは、若い男のようだった。
男は、一目で高価だと分かる銀色の羽織りを頭から被っている。
そのために顔はよく見えない。
「いえ、僕の方こそ」
顔は隠したまま、男が答えた。
耳に心地よい綺麗な声だった。
宿に早く帰らなければいけないと思うのに、この男から目が離せない。
周囲では慌ただしく人が流れていっているのに、華鈴と男のいる空間だけ切り取られたように時が止まっていた。
「ぶつかってしまったお詫びに、一つ助言をあげよう」
知らない男の話になんて興味がないはずなのに、その場から動けない。
うっとりするようなその声に聞き惚れる。
「もっと強くなれ。弱くて人に守ってもらうだけの君には何も守ることはできないだろうから」
「……!」
何故、見ず知らずの人間にそんなことを言われなければならないのだろう。
かっとして言い返そうとした華鈴の口は、男のきれいな人差し指によって封じられた。
「黙って。僕はね、大切なものをすべて壊され、奪われ、絶望を詠う”幽鬼姫”が見たいんだ。まだ完全ではない君には興味がない。僕のための悲鳴を、これから聞かせておくれ……」
この男は何を言っているのだろう。
それに、華鈴が幽鬼姫だと何故知っている?
「あなたは、何者……?」
ようやく華鈴が混乱から立ち直り、声を発することができた時には、目の前から男は消えていた。何も分からない。
男のことも、その言葉の意味も。
(まだ私は完全ではない……どういうこと?)
ぐるぐると疑問ばかりが頭の中を舞い、増えるばかりで減らない問題に華鈴の脳は爆発しそうだった。
「華鈴、ずいぶん遅かったな」
もやもやとした嫌な気持ちは、蓮の声を聞いて吹き飛んだ。
考え込んでいるうちに、いつの間にか宿までたどり着いていたようだ。
説教モードの蓮だというのに、華鈴は思わず抱きついていた。
ぶつかった見ず知らずの男に恐ろしい助言をもらい、本当に怖かったのだ。
蓮の姿を見て、蓮の声を聞いて、蓮の側にいて、やっと華鈴は安心できる。
「……何があったかは知らんが、無事で何よりだ」
突然華鈴が抱きついてきたことに驚いて、怒る気が薄れたのか、蓮はただ優しく華鈴の背を撫でてくれた。
「華鈴、そろそろ中に入らないか……?」
優しくあたたかな蓮の胸を堪能していた華鈴は、その言葉ではっと我に返る。
顔を上げると、困惑顔の蓮と目が合った。
「すすす、すみません! その、抱きついてしまって……」
謝りながら、ゆっくりと名残惜しいが蓮の腕から距離をとる。
しかしあまりに恥ずかし過ぎて、なかなか顔が上げられない。
あの男のせいで悩んでいたとはいえ、宿の前で待つ蓮の姿を見た途端に抱きついてしまうとは、自分の行動力に驚きである。
少し前までの自分には考えられないことだ。
「いや、気にするな。そのことについて責めている訳では、ない……」
蓮は顔を背け、ぎこちなく否定した。
こんな蓮は初めてだ。
やはり、華鈴の行動が蓮に迷惑をかけてしまったかと思うと、気にしない訳にはいかない。
「本当に、申し訳ありませんでした!」
華鈴は宿泊街の通りで精一杯の土下座を披露した。




