第三十二話 悪夢
――――た、すけて…ゆ……き、ひめ……お願い……何でも、する…から……!
ガバッ……! 勢い良く起き上がる。
身体の動きに合わせ、ジャラジャラと装飾品がうるさく喚く。
吐く息は荒い。額には、じんわりと汗が滲んでいた。
思い出したくもない過去を、夢に見た。
見下ろした自分の手は、あの頃とは違って大きく、今なら誰にも頼らず、何でも守れる気がした。
「……何やってんだ、オレは」
その呟きに答える者はいない。
日比那は、耳元でしゃらりと音を立てている緋色の耳飾りを無造作に外す。
その右手首には、多くの数珠に紛れて血のように赤い腕輪が絡みついていた。
鮮やかな赤い珠と濁った赤黒い珠が交互に通された、禍々しい気を発する腕輪。
外そうとする程に手首に食い込み、日比那を支配しようとする。
手首だけでなく、その心に秘めた感情までもこの腕輪は引き出していく。
「……ぅ、うぐぁ……!」
頭が、割れるように痛い。
また、あの光景が脳裏を過る。
何も出来ない自分、何も守れない自分、ただ見ていることしか出来なかった自分。
幸せが、日常が、一瞬で黒く塗り潰された、あの悪夢。
(……やめろ、やめてくれ――――)
悪夢を追い払うように、腕輪ごと右手を地面に打ち付ければ、頭痛は少し和らいだ。
あまりにも強く拳を振り下ろしたせいで、地面に接した皮膚からは血が出ていた。
腕輪が壊れることを期待したが、傷ひとつなく無事な姿を見て日比那は顔を歪める。
そして、傷口からひんやりとした石の感触を感じ、ここが皇族の墓地であったことを思い出す。
最も高貴な魂が集う場所、陵墓。
この地に還った魂は蘇る、そう信じた人々によってこの地は「蘇陵」と名付けられた。
ここは、蒼華大神が初めて降り立った場所――霊山として崇められる深紅山の地下にある。
陵墓内に眠る皇族達の威厳を示すように、深紅山には紅い牡丹が咲き誇り、その名の通り山を深い紅で染めていた。
皇帝を示す色は紅、象徴する華は牡丹とされ、圧倒的な力と存在感を民に与えている。
この山から紅が消えることはない、皇帝の血が続く限り。
蒼龍祭の時期であっても、蒼華大神の青に染まらないのはこの山ぐらいだろう。
蒼華大神お気に入りの場所である深紅山が自分の色に染まらないことについて、あのほんわかした神はつまらないと口を尖らせていたが、この山を紅く染めたのも蒼華大神本人だ。
神は気まぐれで、容赦がない。
時に冷酷で、時に寛容。
人間が神の気分や思考を読むことはできない。
だから、日比那も神々の行動についてはいつも無視することにしている。
だから逆に、日比那の行動についても、神々にとやかく言われたくはない。
今回の件については、完全なる日比那の独断である。そして、この様だ。
鬼狩師が仕えるのは皇帝ではなく神だが、彩都の鬼狩師だけは特別で、皇帝に従わなければならない。
日比那の持つ能力故に彩都を任されてしまったが、本当は蓮のように幽鬼を滅したかった。
そうすれば、この心の奥底にある感情を消すことができたかもしれないのに。
「っく……!」
頑丈な石で造られた墓室内で、日比那は心身の苦痛に耐えていた。
地下宮殿と言ってもいいほどに広く、美しいこの場所は、今の日比那にとって唯一安心できる場所だった。
壁や天井には牡丹、アザミなど皇帝の権威を象徴する花や、冥零国の守護龍が深い青と眩しいほどの金の着色で描かれており、墓室内に保管されている財宝はあちこちでその価値を競い合っていた。
それらを、墓室内に置かれた燭台が照らし出す。
皇族達の魂の眠りを妨げぬよう、柩と共に納められた価値ある財宝を守りぬけるよう、この陵墓には様々な術や仕掛けが施されている。
そんな厳重に守られているはずの陵墓に、日比那はあっさり入ることができた。
日比那にとって、この陵墓の術や仕掛けは無いに等しい。
何故なら日比那自身が、彩都、つまり皇帝を守る鬼狩師としてこの陵墓に術を施したからである。
自分で施した術に、自分でかかるほど間抜けではない。
蓮や幽鬼姫の側から、この陵墓に逃げ込んだのには事情があった。
その事情を考えれば、自分を殺してやりたくなるが、それすらももうできない。
「……こんな簡単に、俺が騙されるなんてなぁ」
もう起き上がることもできなくなった身体に気付き、日比那は自嘲気味に笑った。




