第三十話 過去の悲劇
「……あの、蓮様?」
宿の部屋に戻ってすぐ、華鈴は蓮と向き合った。
「なんだ?」
美しい碧の双眸が華鈴を捉える。鋭いその視線に緊張して、なかなか声が出せない。
それでも、なんとか華鈴は蓮に問う。
「……蓮様と日比那さんは、一体どういう関係なのですか?」
真っ直ぐに、蓮の瞳を見つめた。
「聞いてどうする?」
冷静な、けれども鋭い声で蓮が問う。
「どうもできないかもしれません。でも、知りたいんです、お二人のこと」
華鈴の答えを聞いて、蓮はゆっくりと息を吐いてから話し始めた。
「あいつは……日比那は幽鬼にすべてを奪われた男だ」
外の賑わいがどこか遠くに感じる部屋で、蓮の静かな声が響く。
そして、髪と同じ赤銀色の睫毛がそっと伏せられた。
静かに、何かを思い出すように。
「幽鬼によって日比那の家族は失われ、故郷さえも消えてしまった。幽鬼のただならぬ力を感じた俺の母は、日比那の村に行ったが間に合わなかった。そして、母はただ一人生き残っていた日比那を引き取ることにした。それが、俺と日比那との出会いだ」
日比那の住んでいた山沿いの村は、幽鬼が暴走したことで多くの人間が死に、その魂がまた幽鬼へと変わる、まさに地獄絵図を描いていたそうだ。
そんな中で、神力を持っていた日比那だけが生き残った。
それが、まだたった六歳だった日比那を襲った悲劇。
「俺は、母からその話を聞いて、どれだけ深い傷を抱えた奴が来るんだろうと子どもながらに思っていた。だが、母に連れられて来たあいつはそんな素振りを全く見せずに、笑っていたんだ」
自らの親が幽鬼へと変わり果て、自分を襲う恐怖の中でも、日比那は笑っていたという。
目に、涙を浮かべながら。
幽鬼は闇の生き物だ。
そんな幽鬼に希望を与えられるのは幽鬼姫の笑顔だけ。
幽鬼姫の伝説を知っていた日比那は、幽鬼の前でずっと笑顔を絶やさなかった。
自分の親を闇の中から助けたかったからか。
幽鬼姫としての力がなくても、きっとその笑顔で救うことができると信じていたのだろう。
しかし、そんなことが出来るはずもなく、幽鬼はただ暴れるだけ暴れて、村に怨みを吐き散らして消えた。
すべてが終わった後、幽鬼の唯ならぬ気配を感じた幽鬼姫、凛鳴が到着したという。
「あいつは、幽鬼姫に希望を持っていた。だが、幽鬼姫である母は日比那を助けることができなかった。あいつは母を責めることはしなかったが、信じていたものに裏切られたことに変わりはない。だからか、自分のことも、家族の話もすることはなかった。ただ、幽鬼を狩る鬼狩師になりたい、という意志だけは強かった」
蓮は淡々と話しながらも、その声には複雑な感情が見え隠れしていた。
「あいつは誰にも心を開かない。それなのに、俺の母が死んだ時には心配して側にいてくれた。ふざけた軽口でも、あの時の俺にとっては十分な支えになった。だが、俺は日比那の力にはなれなかった……」
「いいえ、きっと蓮様は日比那さんの力になっています。そうでなければ、会いに来たりしないと思います」
日比那は蓮を待っていたのだ。
わざわざ宿まで調べて。
日比那は、蓮のことを頼りにして来たのだと思う。
「それは、どうだろうな……今のあいつの心は俺には分からない」
「さきほど、何かあったのですか?」
華鈴が一人で蓮を待っている間、蓮は日比那といたはずだ。その時、何か話したのかもしれない。
「何故ここまで来たのかを問い詰めたが、あいつはへらへら笑うばかりで何も言わなかった。それが、答えだろう」
彩都にいるはずの日比那が、蘇陵まで来た。蒼龍祭があるから勝手に彩都を飛び出してきたという日比那を、蓮が放置していられるはずがない。
幽鬼を狩りたいがために鬼狩師になった日比那と、幽鬼姫だった母の意志を継いで鬼狩師になった蓮。
日比那が彩都に配属となったのは、そのことも関係しているのかもしれない。
幽鬼にばかり囚われていては、何も見えなくなってしまうから。
日比那は、問題が起きればいいと思っている節があった。
幽鬼を狩る機会を得るために、平和な彩都を飛び出してきたのかもしれない。
「あの、お二人は一緒に鬼狩師になったんですよね?」
いくら心を開いていないと言っても、共に過ごした時間が長ければ何かを感じ取ることができるはずだ。
それなのに、蓮は日比那の心が分からないという。
「いや……俺は母が亡くなってからすぐに蒼華大神の下で修業を始めたんだ。俺は、あいつを一人残して鬼狩師としての道を選んだ。日比那も鬼狩師になるべく身体を鍛えてはいたが、あの時のあいつにはまだ力が足りなかった……」
鬼狩師は、神の下で修業し、神力を高める。
そして、師となる神直属の部下になるのだ。
神は人間のことに深く干渉しない。
幽鬼が溢れていても、この世界が滅ぶほどの緊急事態でなければ動かない。
だから、神力を持って生まれた人間の駒を使って人ならざる者から地上を守らせる。
つまり、鬼狩師は神の代理。
神に認められなければ、鬼狩師になることはできない。
幽鬼姫である母を狩った蓮は、その強さを蒼華大神に認められて修行し、鬼狩師になる道を得た。
しかし、日比那の神力はまだそこまで強くなく、神の目に止まることはなかったのだ。
すべてを失い、絶望していた日比那の心が壊れずにいたのは、おそらく凛鳴と蓮の存在があったからだろう。
それなのに、凛鳴は死に、蓮は鬼狩師として神の下へ行ってしまった。
一人残された日比那はどんな思いで過ごしていたのだろう。
「正式に鬼狩師となった俺は、すぐにあいつに会いに行った。だが、その時にはもう屋敷にあいつはいなかった。風の噂で鬼狩師になったことを聞き、探し出した時にはあいつの心はますます固く閉ざされていた……」
二人が共に過ごした時間よりも、離れて過ごしていた時間の方が長い。
いくらお互いに家族同然だと思っていたとしても、小さな誤解がいつしか大きなすれ違いとなることもある。
「俺のせいだ。あいつは自分以外何も信じていないし、頼ることもない。何かあったとしても、あいつはあの笑顔を崩しはしない」
「……幽鬼姫なら」
ぽつりとこぼした華鈴の小さな呟きに、蓮の瞳が少し揺れた。
「日比那さんが信じていた幽鬼姫になら、心を開いてくれるかもしれません」
かつて、幽鬼姫に希望を持っていたという日比那。
だからこそ、華鈴では物足りなくて冷たくするのかもしれない。
「私が日比那さんに幽鬼姫として認めてもらえたなら、きっとその真意を話してくださいます。日比那さんのことは私に任せてください。蓮様は、この蘇陵のことをお願いします」
「…………分かった」
かなり長い沈黙の後、蓮は頷いた。
蓮が口を開けば日比那の言動に怒鳴ってしまうので、話し合いにはならない。
それに、日比那も蓮相手にはふざけてばかりなので、どちらにせよ真面目な話し合いは期待できない。
となれば、華鈴に任せるしかないと判断してくれたのだろう。
蓮にとっては不本意なことだろうが。




