第二十八話 踏み込む覚悟
蒼龍祭一日目は、踊り子が街を祝い馬で回り、祭りの開始を宣言する。
蒼龍祭開始の宣言を終えた踊り子たちは、街に運び入れた青い布地や青い提灯を人々に配る。
皇帝に選ばれた五人の踊り子たちに手渡されたそれらは、蒼龍祭を彩る大切なもの。
自分たちの手に冥零国の守護が託されている、そう人々に実感させるだけの力を持っていた。
そして、国を守ってくれている蒼華大神と皇帝陛下に感謝と尊敬の念を抱くのだ。
華鈴も人々と同じように踊り子の列に並び、青い布地と青い提灯をもらう。
長い行列だったため、受け取った時にはもう日が暮れかけていた。
街の様子を見てくる、と言ったきり蓮は帰ってこない。
一人で動き回っても迷子になるだけだ。
華鈴は広場のはずれにあった木に寄りかかり、蓮を待つことにする。
(踊り子さん、とても綺麗だったなぁ……)
背が高く、線が細いのに筋肉がしっかりついた引き締まった身体つき。
その上、どの踊り子も皆、物語の中の天女のように美しかった。
男性だけでなく、その美しさには女性までもが魅了され、見惚れていた。
もちろん華鈴も例外ではなく、美しい踊り子をぼうっと見つめてしまった。
今もまだ、広場には多くの人が溢れ、踊り子たちの列に並んでいる。
この広場は、普段は旅の商人が店を出す場所として使われているらしい。
東西南北を十字に区切っている大通りの中心にある。
道が交差する部分だけあって、人の出入りが激しい。
集まった人々の顔には笑顔が浮かび、蒼龍祭が始まったことを喜んでいる。
きっと新しい年を無事に迎えられる、そう信じて笑っている。
子ども達はよく分からないままに親に青い提灯を持たされて、それでも得意げににっこり笑っている。
その光景を見て、華鈴も自然と笑顔を浮かべていた。
(何もなくてよかった)
昨日のように祝い馬が暴れ出すことも、幽鬼の影がちらつくことも、蒼龍祭が危険にさらされることは何もなかった。
無事に一日目を終えられる、そのことに華鈴はほっとしていた。
まだ蒼龍祭は始まったばかりだが、このまま何もなければいいと祈るばかりである。
(いいえ、きっと無事に終わらせてみせる……!)
そのために、華鈴は蓮とともに来たのだから。
「何かいいことでもあったか」
一人気合を入れて拳を握りしめた華鈴の耳に、よく知る声が聞こえてきた。
「蓮様っ!」
華鈴は蓮の姿を見つけて走り寄る。
蒼龍祭を楽しむ人々の姿を見ていて、華鈴も胸が躍ったし、ますます守りたいと思ったが、やはり一人は心細かった。
「一人にしてすまない」
そう言って、蓮は華鈴の頭にぽんと手を乗せた。
蓮が謝る必要はない、と首を横に振っていた華鈴の動きはその手に封じられてしまった。
優しくて、大きな蓮の手。
多くの悲しみを、苦しみを、恨みを、その手で滅してきた――蓮自身の感情は殺して。
今、蓮が押し殺している感情は、おそらく日比那に対するものだろう。
友人である日比那の言動に、蓮はどうすればいいのか迷っているように見えた。
日比那の事情を知っている者だからこそ、どうにかしたい。
それなのに、笑顔ですべてを拒絶する日比那に蓮の思いは届かない。
華鈴を一人残し、蓮が一人で街の見回りに行ったのは、おそらく日比那を探し、二人だけで話をするため。
日比那の真意を探るためだったのだろう。
そして、おそらく日比那の心を開くことはできなかった。
だから、こんなにも蓮は傷ついたような顔をしているのだ。
蓮を知らない他人から見れば、ただの仏頂面で愛想のない顔に見えるだろうが、華鈴はこの一か月で少しは蓮の表情を読めるようになっていた。
(日比那さんとの間に一体何が……?)
心配になって、華鈴が蓮の顔を見上げると、頭を撫でていた手がゆっくり耳元に下りてくる。
そして、いつも華鈴を守ってくれる優しいその手は何かを求めるように華鈴の漆黒の髪を解き、指を絡めた。
(えっ……)
夜の闇の中、月明かりに照らし出された蓮の姿に、思わず華鈴は息を呑む。
着物を着崩したその姿は色気を増し、その鋭い碧の瞳に熱く見つめられれば、華鈴の心臓は正常な鼓動を刻むことができなくなる。
その上、そのまま蓮の整った顔が近づいてくるものだから、華鈴の心臓は破裂しそうだ。
いつもとはまるで違う、妖艶な雰囲気の蓮に華鈴は戸惑い、思わず目を瞑った。
(う、うわぁ~~……!)
吐息がかかるほどの距離に蓮を感じ、目を開けることができなくなる。
「……帰るぞ」
という言葉が耳元で聞こえたかと思うと、華鈴の肌に触れることなく蓮の気配が離れていった。
すぐに離れたその気配を残念に思い、華鈴の顔は自然と熱くなる。
自分は蓮からの口づけを期待していたのだ、と。
なんだか恥ずかしくなり、その思いを誤魔化そうと華鈴は解かれた髪に触れる。
(あれ? 髪……解いたはずじゃ)
いつの間にか元のように結われた髪に触れ、華鈴は慌てて蓮を追いかける。
蓮のことで頭がいっぱいで髪が結い直されていることに全く気付いていなかった。
そして、そこに新たに増えている物にも。
「蓮様、あの、これは……?」
「一人にさせた詫びだ」
「あ、ありがとうございますっ!」
華鈴はこみ上げてくる嬉しさを抑えきれず、満面の笑みで礼を言った。
しゃらり、と華鈴の髪で花を咲かせていたのは、翡翠の簪。
蓮からの贈り物がまた増えた。
物をもらったことではなく、蓮が華鈴のためにと考え、選んでくれたことが嬉しい。
「大切にします……!」
華鈴は、一度外した簪を再び髪に挿し、蓮に笑顔を向けた。
蓮は、日比那のことで頭が混乱していただろうに、華鈴のことも気遣ってくれていた。
(蓮様には、もらってばかりだわ)
誰かと笑っていられる居場所、生きていてもいいという存在価値、大切にされる喜び、人肌のぬくもり……それらはすべて蓮が華鈴に与えてくれたもの。
華鈴に前向きに生きる強さを、自信を与えてくれた。
今度は、華鈴の番だ。
蓮の抱える苦しみを、華鈴が取り除く。
蓮と日比那の間に踏み込んでいいものか、と躊躇して訊くことができなかったが、覚悟を決めよう。
(私は、幽鬼姫。鬼狩師の問題は私の問題でもあるもの)
何も知らない第三者だからできることもあるはずだ。
例え蓮に関係ないと拒絶されたとしても、その心に踏み込んでいく。
蓮と宿へ戻りながら、華鈴は何があっても引かない覚悟を決めた。




