第二十三話 笑顔の男
「何を拗ねている?」
どうにか馬を宥めてきたらしい蓮が戻って来て、華鈴を一人にしたことを謝ってはくれたのだが、一人の方が動きやすそうな蓮に無理矢理ついて来てしまったのはやはり足手まといにしかなっていないのだろうかと思ってしまう。どうすれば……と考え込んでいる華鈴の顔を、蓮の美しい顔が覗き込む。
「わ……あの、拗ねている、訳ではない……んですけど……」
「どういう訳だ?」
自分の非力さを思い知っているのです、とも言えず、華鈴は蓮の視線から逃れるように下を向く。
しかし、俯いていても追及の視線からは逃れられそうになかったので、華鈴は諦めて顔を上げた。
そして、かなり強引に話題を変える。
「そ、そういえば、あの馬がどうして暴れていたのか分かりましたか?」
明らかに誤魔化そうとしている華鈴をじっと見たが、蓮はそれ以上何も言わずに話に乗ってくれた。
話を逸らすために祝い馬のことについて尋ねたが、華鈴が気になっていたことも本当だ。
「あの馬は、突然何かに脅えたように馬屋を飛び出したらしい」
祝い馬の世話をしていた男に、その時の状況や様子までしっかり聞いて来たらしい蓮は、淡々と話す。
「その脅えた原因はまだ……?」
「あぁ。だが、この祭りの時期は幽鬼を刺激するものが多い。あの馬も、その影響を受けているのかもしれない」
蒼龍祭は、蒼華大神の加護を祈るもの。
それは、幽鬼から守って欲しいという願いでもある。
蒼華大神の力で幽鬼を払うのであれば、幽鬼に影響しない訳がない。
蒼龍祭が開催される街は守られているが、他はどうなのだろう。
蒼龍祭による加護の力に拒まれ、さ迷う幽鬼はどこへ向かうのか。
蒼龍祭の開催地以外の街や村で人を襲うのではないだろうか。
だとすれば、幽鬼姫である華鈴が蘇陵にいていいのだろうか。
しかし、これは蒼華大神からの命でもある。
何かあるのかもしれない。
もし仮に、これだけの人が集まる場所に万が一にも幽鬼の侵入を許せば、その被害は大きい。
鬼狩師は各地にいるというし、蓮一人ではない。
おそらく、開催地以外の場所にも鬼狩師が配置されているのだろう。
それならば、華鈴は目の前のことに集中するべきだ。
「ですが、この街に来てまだ幽鬼の気配は感じません」
山神様の一件で、幽鬼と直接関わり、華鈴は幽鬼の気配を感じることができるようになっていた。
まだ、華鈴の中にある幽鬼姫の力は、危険を示してはいない。
「そうか。まぁ、すべてを幽鬼のせいと決めつけない方がいいか。蒼華大神が言っていた妙な力とやらも気になるしな」
「はい」
「とりあえず休むか。はじめての山道で疲れただろう」
優しくかけられた蓮の言葉で、華鈴は自分の身体の疲労に気付く。
確かに、蓮の屋敷から蘇陵の街までかなりの距離を歩いた気がする。
途中で休憩も挟んだが、やはり慣れない疲れは身体に重くのしかかるらしい。
華鈴は蓮の気遣いに甘えることにする。
そして、蓮が蘇陵に来る時に馴染みにしているという、西の大通りから外れた小さな宿に向かった。
* * *
「やぁ蓮、君が来るのを待っていたよ」
その言葉を聞くが早いか、蓮は目の前の青年をブッ飛ばしていた。
「あの、蓮様……?」
何故か宿に入ると、宿の亭主よりも先に迎えてくれた青年がいた。
その青年は、煌びやかな装飾品を耳や腕、腰などにこれでもかと身に着けているため、歩けばジャラジャラと装飾品どうしがぶつかる音がする。
蓮を招き入れるように両腕を広げれば、赤い長袍の袖に刺繍された銀の虎が顔を出す。
その身に纏う赤い衣や派手な装飾品に目を奪われているうちに、彼は蓮に蹴り飛ばされてしまった。
蒼龍祭の間、赤い色を身に着けてはいけないはずでは……? と華鈴が不思議に思っていたところで、蓮が行動に出てしまったのでそれどころではなくなってしまった。
華鈴がじっと見つめていると、うずくまっていた赤い塊はもごもごと動き、その腕に何重にもつけられた腕輪がじゃらりと音を立てた。
起き上がったその人は、装飾品や赤い衣にばかり目がいって気が付かなかったが、よく見ると均整のとれた引き締まった体つきをしていた。
柔らかそうな金茶色の髪ははねているがだらしなく感じさせない。
たれ目気味の目には、蓮の一撃をくらったせいか少し涙が浮かんでいる。
吹き飛ばされたことで顔にかかっていた前髪を横に流せば、彼がかなりの色男であることが見てとれる。
その茶色の瞳は蓮だけを捉え、蓮の後ろに控えている華鈴の存在は認識していないようだった。
「ふ、ふふ。さすが、蓮だね。久しぶりに会う親友に対しての挨拶がこれとは……」
おそらく蓮に思いきり蹴られたであろう腹部を抑えながらも、嬉しそうににやけている。
華鈴には、何故か蹴られて喜んでいるように見えてしまったが、きっと勘違いだ。
「何が親友だ! なんでお前がここにいるんだ。彩都はどうした!」
彩都といえば、蒼龍祭の中心地、皇帝陛下のおわす都だ。
きっと彼は彩都の見回りを担当している鬼狩師なのだろうと華鈴は勝手に推測する。
だんだんと、蓮の怒鳴り声に宿の亭主がおろおろし始める。
他の客もちらほらこちらを見ている。
気が小さそうな中年の亭主は、蓮に恐れをなして止めることもできない。
ここは、華鈴が蓮を止めなければ。
「あの、蓮様。ここでは迷惑になりますので、少し、あの……怒りを、収めてください」
後ろから、蓮の着物の袖を軽く引いて、蓮にだけ聞こえる声で華鈴は言った。
「あぁ、別に怒ってはいない。ただ、こいつの薄ら笑いを消したいだけだ」
幾分冷静さを取り戻した声で蓮は言ったが、華鈴は心の中で絶叫した。
(いや、それはそれで怖すぎます――――!)
「まぁ、こんな所で立ち話もなんだから、オレの部屋においでよ。そこで震えている幽鬼姫ちゃんも、さ」
人の緊張を和らげるような笑顔を浮かべていたのに、「幽鬼姫」と言って華鈴を見た時だけはひんやりと冷たい感じがした。
でも、すぐに蓮に笑顔を向け、「こっちだよ~」と部屋に案内していたので、きっと華鈴の気のせいだろう。