第二十二話 初めての街
冥零国の北、渼陽地区にその街はある。
第二の都と謳われる街、蘇陵。
碁盤の目のように敷かれた通りは、太い大通りによって十字に区切られている。
東西南北へのびる大通りには繁華街が多く、商売人が多く店を構えている。大通りから離れたところには民家が立ち並び、その人口はおよそ三十万人。
人口が百人程度の胡群の村とは大違いだ。
それだけに蘇陵の土地は広く、住宅地区と商業地区はしっかりと整備されている。
蘇陵の街は、形も人口も皇帝の住まう彩都と似ている。それは、この地が皇族と縁の深い場所だからである。
冥零国の中心にある大きな山、深紅山。
その名の通り、紅一色の山だ。霊山としても知られており、蒼華大神が初めて地上に降り立った場所と伝えられる神聖な山だ。
そして、深紅山には皇族の陵墓がある。皇族は蒼華大神の力が残る深紅山にて安らかに眠りにつくのだ。
そのため、深紅山に立ち入れるのは限られた者のみ。許されざる者は深紅山に張られた結界によってはじかれる。
深紅山に近づこうとしただけでも罪に問われるので、誰も近づこうとはしない。
深紅山は四地区どこからでも見ることができるが、陵墓への入り口があるのは蘇陵に面するところだけだ。
そのため、皇族が墓参りをする際に必ず蘇陵を通る。
皇族が訪れる地ということで、蘇陵の街は彩都と同じように整備されているのだ。
しかし、彩都ほど完璧に整備されている訳ではない。
皇族の訪問がなければ、蘇陵の警備は薄い。
彩都と違って、蘇陵の街はある程度までなら自由が許されるのだ。彩都では皇帝の許可なく商売をすることはできないが、蘇陵では別だ。様々な商人たちが店を出し、人々の興味を引く。
そうして蘇陵を中心とした流行が生まれるのだ。
だから、蘇陵には人口以上に多くの人が集まり、いつも活気に溢れている。
その上、もうすぐあの季節がやってくる。人の出入りはいつも以上に増え、街の華やかさも通常の比ではない。
「うわぁ……すごいですね!」
華やかさの増した蘇陵に一歩足を踏み入れた華鈴は、周囲がきらきらと輝きすぎてめまいがしそうだった。
蒼華大神の嫌がらせはほんの一瞬だったので、今は先程まで雨が降っていたのが嘘のように晴天となっている。
雲一つない空に浮かぶ太陽が眩しい。
華鈴は初めて見る深紅山の紅い色に見惚れ、着飾った人々に目を奪われ、街のあちこちからかおる食べ物の匂いに食欲をそそられ、一歩を踏み出す度に見たことのないものに引き寄せられる。
深紅山の紅に近い色の提灯や花飾りが街のあちこちに飾られているのを見ながら歩いていると、蓮がふいに華鈴の肩を掴んで引き寄せた。
「……っえ?」
「きょろきょろするな」
抱き寄せてくれた蓮の腕に意識をとられ、何を見ていたのかも忘れていたが、華鈴は周囲を見て納得する。
人々は何かを避けるようにして、大通りの両端に悲鳴を上げながら避けていた。
あのままぼうっと歩いていれば、確実に前から来ている馬に気付かなかった。
「暴れているのは祝い馬だな。何故こんなところに」
馬自体は珍しくないが、その馬が体に着けている紅と蒼のしめ縄は、特別な意味を持つものだ。
「あの馬も蒼龍祭の……?」
「あぁ。毎年、蒼龍祭が開始される時に踊り子が乗る馬が祝い馬だ。まだ蒼龍祭が始まってもいないのに、祝い馬が民の前に出るとは……何かあったのかもしれない」
深刻な表情の蓮を見て、華鈴も気を引き締める。初めての街に浮かれている場合ではなかったのだ。
蘇陵の街に来る前に、蓮から街のことと蒼華大神がいっていた「あれの季節」について教えてもらった。
「あれ」とは、年の暮れに冥零国内全土で行われる〈蒼龍祭〉のこと。
一年の終わりに、一年間の蒼華大神の守護があったことを感謝し、新しい年もその守護を願う祭りだ。
蒼龍祭では、皇帝に選ばれた踊り子たちが五日間かけて冥零国内を回る。
踊り子たちは冥零国の四地区――渼陽、緋雅、翆圄、洵保を訪れ、龍の舞を披露する。
蒼華大神の守護によって魔が払われ、無事に新年を迎えられることを祈っている。
蒼龍祭の期間中、人々は赤と青の物を身に着けてはならない。
赤は皇帝を象徴し、青は蒼華大神を象徴する色だからだ。
禁色となっているのは紅と蒼だが、祭りの間は厳しい取り締まりがある。
蒼華大神の目に止まって怒りを買わないように、ということらしいが、その本人を実際に見てしまった華鈴はそこまでしなくてもいいのではないかと思ってしまう。
人々が身につけることは禁止されていても、皇帝の威厳を示すために街の飾りつけはすべて紅色だ。
蒼龍祭の期間、冥零国中が紅い色に彩られ、冥零国全土に皇帝の権威があることを示す。
そして、それとは対照的な蒼華大神を表す青色を踊り子たちが身に着け、踊り子たちが通った道には蒼の提灯を飾って行く。
彩都から各地へと回り、再び踊り子たちが彩都に帰る頃には赤一色だったものが蒼一色に変わるという訳だ。
しかし、冥零国中を回る、といっても、祭りの期間が五日間のためそれぞれの地区の中心地にしか踊り子は来ない。
だから実際、冥零国中が紅一色になりはしないのだが、街が紅色から蒼色に変わる様はさぞ美しいだろう。
だからこそ、多くの見物人が集まってくるのだ。
そして、渼陽地区の中心はもちろん蘇陵。
蓮に聞いていた通り、街が赤い色に包まれているのは圧巻だった。山奥に暮らしていた華鈴にとって、皇帝は全く関わりのない存在だったが、皇帝色に染まった街に足を踏み入れると、嫌でもその存在の影響力を感じすにはいられない。
何千年もの間受け継がれる皇帝の血、その血筋の強さを表した赤い色。
華鈴は無意識に、自分の中に流れる血を意識していた。
幽鬼姫は、血筋で受け継がれるものではないのだろう。
それは自分の両親にこの力がないことからして明らかだった。だとすれば、この力は何故華鈴を選んだのだろう。
(今はそんなことを考えている場合ではないわよね)
蒼龍祭の踊り子を連れてくるはずの祝い馬が、祭りの前に姿を現した。
それも、かなり荒れた状態で大通りを駆け抜けていた。
蒼龍祭の見回りが仕事である蓮が、あの馬を放っておくはずがない。
「ここでじっとしていろ」
その言葉が耳に届く頃には、蓮の姿は馬から逃げ惑う人々の中に消えていた。
華鈴の足元には蓮が持っていた軽い荷物。
華鈴が馬の速さに追いつける訳がないし、ここで蓮の荷物を持って待っている方がよっぽど役に立つのかもしれないが、早速置いてけぼりをくらってしまった華鈴は大きく肩を落とし、溜息を吐いた。




