第十七話 鬼となった理由
何故、彼女が幽鬼となったのか。
大切な何かを奪われそうになった時、人は鬼と化す。
凛鳴が守りたかったのは、ただ一人の自分の息子。
愛する息子から引き離されたまま、無残にも殺された凛鳴は、息子を助けるために幽鬼となったのだ。
蓮の無事を、凛鳴はまだ知らない。
幽鬼となった彼女の意識は、人間への恨みだけに支配されてしまったから。
そして、ようやく華鈴の言葉によって息子のことを思い出した。
何のために自分が醜い姿になったのかも。
少し、張り詰めていた空気が緩んだ。
華鈴は今のうちに、と凛鳴に語りかける。
「蓮様は、無事です。目つきが怖くて、無口で、何を考えているのか分からなくて、時々泣きたくなりますけど、えっと、あなたの息子さんは元気です……!」
どうにか今の蓮の様子を伝えようと頑張ったのだが、余計なことを言ってしまったような、半分は愚痴のような……。
弱気な華鈴にしては、心の中に抑えていた思いを口に出すことは大変勇気のいることで、自分がこんなにも成長できたことに自分で拍手を送りたい。
しかし、後ろにいる蓮を見ることができない。
目の前の凛鳴がどうにか宥めてくれないだろうか。
(あぁ、早く正気に戻ってください! 凛鳴様ぁぁ!)
やはり、幽鬼姫としての自覚が生まれても、華鈴として臆病なところはそう簡単には変われないらしい。
山神様が大きな手で背中をポンポンと叩いてくれている。
励ましてくれているのだろうか。
なんの声も聞こえないが、黒い影はもう白に覆われつつあった。
「華鈴、お前そんな風に思っていたのか?」
案の定、蓮はご立腹のようだ。
しかし、蓮は華鈴と同じ位置に立ち、自らの母の怨念をじっと見て、先ほどまでの怒りをすべて消して言った。
「母上、そういう訳で俺は鬼のような性格に育ってしまいましたが、心配には及びません。鬼は、幽鬼姫の側にいれば無害となりますから」
ぽす、と華鈴の頭に乗せられた蓮の手に気づけば、意識は全て頭に集中した。
乱暴な手つきでわしゃわしゃと髪を乱されるのに、何故か優しく感じて振りほどく気は起きなかった。
それに、今の言葉は幽鬼姫として認められたということだろうか。
そうだったらいい。自然と華鈴の口元は緩んでいた。
そして、蓮も……。
(蓮様、どこか吹っ切れた顔をしてる……)
隣に立つ彼を見上げると、憑き物が落ちたような、すっきりした顔の蓮と目が合う。
鋭い碧の瞳は、射抜くようにこちらをじっと見る。怖い。
先ほど自分が放った言葉のせいで、余計にビクビクしてしまう。
『…ふ、ふふふっ…蓮ったら、女の子を怖がらせてはいけないって言ったでしょう?』
「怖がらせてねぇよっ……て、母上っ?」
珍しく素っ頓狂な声をあげた蓮の見つめる先には、白い布を身体に巻きつけただけの、美しい女性が立っていた。
いや、浮かんでいた。
その身体は薄く光り、向こうの景色が透けて見える。
「凛鳴様、はじめまして。華鈴と申します」
軽く頭を下げる。
ついさっきまで頭の上に乗っていた蓮の手は、凛鳴様の登場ですぐに離れてしまった。
華鈴は、何故か分からないけれど、少し残念だと感じていた。
『あなたが、私を救ってくれた幽鬼姫ね。ありがとう……そして、ごめんなさい。たくさん迷惑をかけてしまったわ』
何の穢れも知らないような、美しい顔が申し訳なさそうに歪む。
「いえ、凛鳴様も苦しんでいましたから」
『可愛い幽鬼姫、ありがとう。蓮、ちゃんと守ってあげるのよ』
凛鳴は、その姿が消えゆく最後の一瞬まで、蓮を愛おしそうに見つめていた。
その息子である蓮は、静かに母が消えていくのを見ていた。
思わず、華鈴はその手を取った。
華鈴の細い手なんか比べものにならないぐらいしっかりした男の人の手。
でも、その手は微かに震えていた。
「華鈴、ありがとう。お前のおかげで、俺は二度も母を手にかけずに済んだ。それに、父も。お前みたいなひ弱な小娘に何が出来るんだと侮っていたが、存外弱虫も捨てたもんじゃねぇな……」
蓮に、初めて名を呼ばれたことにどきっとしたが、後半何やら引っかかる言葉があった。
先ほどの華鈴の蓮に対する言葉への仕返しだろうか。
絶対そうだ。なんだか、蓮がにやついている。
「もう、蓮様!」
「華鈴も俺のこと散々言ってくれたじゃねぇか」
「そ、それは……事実なんだからしょうがないじゃないですか!」
「俺も事実しか口にしていないと思うが?」
他愛もない言い合いをしながら、二人で思わずぷっと笑い出す。
空にはもうなんの陰りもなく、明るい青空が広がっていた。
「……蓮様、本当に、あ、ありがとうございま、したぁ、うぅっ」
「おい、泣くなって言っただろうが!」
「なんだか、いっきに、ゔっ、緊張がとれ、て……うぁ、蓮様怖い、でず」
顔を上げ、涙を拭けば、蓮の仏頂面が目の前にあったので、華鈴は腰を抜かしてしまった。
自力で立てない。華鈴の精神はもう限界だった。
手を繋いだままの蓮が、こちらを睨むように見てくるので華鈴の嗚咽はますます大きくなる。
「はぁ? 何もしてねぇだろーが。ったく、めんどくせぇな」
「ひぃっ……」
毎度の事で、蓮は心底だるそうに華鈴をその腕に抱えた。
しかし、その手つきはとても優しいものだった。




