第十二話 届かない言葉
「やはり、説得は無駄ではないか?」
今にも村人に襲いかかりそうな山神様の様子に、黙って見ていた蓮が口を挟む。
再び大鎌を山神様に向け、警戒している。
周囲には、どんどん黒い霧が立ち込める。
「華鈴! お前、これ以上何をするつもりだ!」
雄清の声がした。
この霧が華鈴の仕業だと思ったのだろう。
おそらく、濃い霧のせいで山神様の姿は見えていない。
もし見えていたのなら、山神様から村人たちを守るように立っている華鈴に気づいてくれたはずだ。
しかし、たとえそうだとしても村人たちの華鈴を見る目が変わることはないだろう。
だったら、華鈴は村人たちにとって疫病神でも悪者でもなんでも構わない。
「ごめんなさい。みんな、邪魔しないで……」
今ここで雄清たちに騒がれては山神様に意識を集中できない。
《みんなをここから遠ざけて!》
言霊を使い、華鈴を守るように取り囲んでいた幽鬼たちに命じた。
ぞろぞろと恐ろしい形相の幽鬼たちが、華鈴の側から村人たちの方へ近づく。
「華鈴、俺は村を襲ったお前のこと、絶対に許さねぇ……!」
雄清の憎しみの込もった眼差しに、胸が苦しくなる。
幼い頃、雄清が向けてくれた笑顔がちらつく。
村を襲うつもりはない、傷つけたくないのだと、雄清には信じてほしかった。
しかし、どんな言葉を並べたとしても、華鈴の言葉が届くことはないだろう。
華鈴は黙ってその視線に耐えていた。
「お前ら馬鹿ばっかりだな……」
ふいに、蓮が華鈴と村人の前に立ちはだかった。
「なんだと!」
雄清は蓮に敵意を向ける。
「だったら聞くが、こいつが来てから幽鬼に一人でも傷つけられた奴がいるか? お前らに何と言われようと、お前らとこの村を守りたいっていうこいつの気持ちには全く気づかねぇ。それを馬鹿と言わずに何と言う?」
雄清は、誰か傷ついた者がいないか聞いたが、誰も声をあげない。
蓮の言葉に、雄清の他に反論する者はいなかった。
ただ、蓮の鋭い碧の瞳に威圧されただけかもしれないが。
華鈴は、目の前の広い背中を見つめるうち、知らず視界が涙で滲んだ。
「こいつを責める暇があったら、自分たちの罪を自覚しろ。ここにいる幽鬼はお前らのくだらない儀式のせいで犠牲になった者たちの亡霊だ。幽鬼が増えたのも、お前らが自ら招いたこと……ったく、人を責めることばかりで反省することを知らねぇんだな。幽鬼に殺されたって仕方ねぇ……」
「蓮様! 言い過ぎです……でも、ありがとうございます」
華鈴は、蓮の背中にしがみつく。
「ま、どこまであいつらが聞いてたか知らねぇがな」
「……え?」
蓮の背中から向こう側を覗くと、そこにはもう村人の姿はなかった。
幽鬼たちが華鈴の言葉に従ってくれたのだろう。
その姿はなくても、あの雄清の責めるような鋭い瞳が忘れられない。
でも、華鈴にはこうしてかばってくれる蓮がいる。
ちゃんと分かってくれる人がいる。
それだけで、華鈴の心の靄は晴れていく。
「……おい、山神の様子がおかしいぞ」
緊迫した蓮の声に、華鈴ははっと後ろを振り返る。
確かに、山神様の様子がおかしい。
じっと虚空を見つめ、立ち尽くしている。
「山神様……?」
一体どこを見ているのだろう。
華鈴がその視線の先を辿った時、はっとした。
『もっと、もっと私のために魂を捧げて……そうすれば、私とあなたはまた幸せに暮らせるわ……』
淀んだ空気に響いた、美しい声。
その声は、いつの間にか空中に浮かんでいたどす黒い影から聞こえてきた。
その声に答えるように、山神様が叫び声を上げた。
空気が振動する。
木々がざわつく。
身体に圧力がかかり、まともに立っていられなくなる。
崩れそうになる華鈴の体を、蓮が支えてくれた。
「あの声は、先代の幽鬼姫……? いや、そんなはずは……」
誰に言うでもなく、蓮は呟く。
蓮があからさまに動揺を見せたのは、はじめてのことだ。
「……蓮様、何かご存知なのでしたら、私にも教えてください」
「俺にも、よく分からない。ただ、あの声は先代の幽鬼姫……俺の母のものだ」
「蓮様の、お母様?」
それは、信じられない告白だった。