第十一話 彼らの正義
幽鬼姫として胡群の村に来た今この瞬間、負の感情に包まれている村人たちを見て、華鈴ははじめて気付く。
(あぁ、これが怒りなのね)
華鈴の世界は、目の前で負の感情をぶつけてくる村人たちがすべてだった。
しかし今は違う。
遠い昔、両親にもらったような愛情とは少し違う、誰かが側にいてくれるあたたかさを知った。
心から笑うことが許される居場所ができた。
その居場所を害する者が現れたなら、きっと華鈴は必死で抵抗するだろう。
何者にも奪われたくない、大切なものだから。
村人たちも、きっと自分の居場所を守るために必死だったのだ。
愛する者を守るため、害悪である華鈴を排除しようとした。
必死すぎて、真実も、現実も、常識も、人の心さえも見えていなかったけれど。
「やっぱりお前は鬼の子だったんだ!」
「さっさと殺しておくべきだった」
「散々この村に世話になっておいてなんて仕打ちだ!」
華鈴のことを殺すこともできなかったのに、強がりを言ってみせる村人たちは滑稽だった。
ここに、華鈴が村人たちを助けに来たという可能性には全く気付いていない。
華鈴は、今の状況を理解できていない村人たちに笑顔を向けた。
もう、強がらなくてもいいのだと。
怖くて、恐ろしくて、この場からすぐにでも逃げ出したいなら逃げればいいのに。
それは、彼らのおかしな矜持が許さないのだろう。
村を見捨てた、などと思われたくはないから。
「何笑ってるんだ? 村をめちゃくちゃにして満足か!」
雄清は、自分こそが正義であるかのように自信満々に華鈴を責める。
いつ何が原因で変わってしまったのか、もう笑いかけてくれることはないかつての友人に、華鈴は言葉を返す。
胡群の村との決別の言葉を。
「そうかもしれない。だって、私にはいい思い出なんてひとつもないもの。私には、幽鬼を従える力がある。だから、みんなに私の力を思い知らせるためにこの村に戻ってきたの」
華鈴は、にっこりと村人たちに笑ってみせた。
不幸を呼ぶ、と言われた笑顔で。
村人全員が口々に華鈴に向かって「死ね!」と叫ぶ。
そして、それぞれが持つ武器を華鈴に向かって振り上げた。
「っ殺さないで……!」
それは、村人たちには命乞いに聞こえたことだろう。
しかし華鈴は村人たちに言ったのではない。
村人たちを今にも襲いかかりそうだった幽鬼たちに言ったのだ。
幽鬼の動きはピタリと止まったが、村人たちは狂気じみていて止まる気配はない。
鎌や鉈、包丁など様々な武器を持った村人たちが目前に迫る。
華鈴を殺さなければ、自分が死ぬ。そんな鬼気迫った表情で、武器を構える。
ここで華鈴が死んでは、山神様を救えない。
だから、死ぬつもりはなかった。
しかし、避けるつもりもなかった。
「……お前は馬鹿か!」
蓮の怒鳴り声が耳元で聞こえる。
颯爽と現れた蓮は、華鈴の身体を抱きかかえたまま村人の攻撃を大きな鎌で受け、はじく。
美しい龍が描かれた鎌は美しく、蓮が現れたその一瞬、村人たちは金縛りにでもあったように皆動けずにいた。
「ごめんなさい。でも、こうでもしないと蓮様は山神様を滅していたでしょう……?」
蓮は、黒い霧で華鈴の声が聞こえなかった訳ではなかった。
聞こえていないふりをしたのだ。
華鈴の力がどれほどか分からない状況で、堕神の相手は無理だと思っていた。
それでも、戦いながら華鈴を視界に入れていてくれたことに、華鈴は気づいていた。
華鈴は山神様を滅したくない。
でも、蓮は滅するしかないと思っていた。
だから無理矢理にでも蓮を山神様から引きはがしたかった。
わざと村人を焚きつけたのも、そのため。
信じていた通り、蓮は助けに来てくれた。
「はぁ……お前、俺をうまく使うようになったな」
蓮はそう言ってふっと笑った。
その笑顔に、こんな状況なのに胸がとくんと跳ねた。
「一応、幽鬼姫ですから」
華鈴は蓮の笑顔につられるようにして笑って言った。
そして、あまりに強い邪気を放つ山神様を振り返る。
闇を映すその瞳には、凄まじい怒りと悲しみが入り混じっていた。
華鈴は、じっとその瞳を見つめる。
「山神様、一体急にどうしたというのですか?」
低い唸り声が、黒い霧の中響く。
その憎しみを宿した暗い瞳は、集まってきた村人たちをじっと睨んでいる。
今の山神様には、人間はただの力を得るための餌でしかないのだろうか。
あんなに優しい神様だったのに。




