第十話 幽鬼姫の力
――ぎぃゃあぁぁぁあ……!
――――やめてぇえええっ!
凄まじい叫び声と、悲鳴と、轟音。
誰もが混乱し、正気を失っていた。
「これも、山神様の影響なのですか?」
「あぁ。山神の神堕ちで幽鬼たちの力が増している」
華鈴は、先ほどまで恐怖に身がすくんでいたのが嘘のように落ち着いていた。
華鈴にとって胡群の人達は、いつも正しくて自分とは違うよく出来た人間なのだと信じていた。みんなが華鈴だけを異質だとして蔑んでいたから、それを華鈴も受け入れていた。
でも、今目の前に広がる光景を見ていると、みんな華鈴と同じように恐怖し、怯えている。自分だけがおかしい訳ではなかったのだ。そう思うと、自然と恐怖は引いていた。
なんだか、村の人々が憐れにすら思えてくる。
(私が、助けてあげないと……)
初めて、自分が優位に立った気がした。
本当は、ずっとこうやって自分の力を見せつけたかったのかもしれない。
自分の気持ちではなく、村人の顔色ばかり窺っていたから。
今なら、やれそうな気がした。
「……おい!」
後ろから蓮が呼び止めるのも構わずに、幽鬼が溢れる村の中へ足を踏み入れる。
恐ろしい形相の幽鬼が近づいてきても、何も怖くなかった。
鋭い爪で、華鈴を襲おうとする。
それでも、華鈴は構わず歩き続ける。
ただ、視線はその幽鬼に向けたまま。
『殺シてやル……コろス……』
そんな殺意の塊に、華鈴は笑いかけた。
「私のこと、守ってくれませんか?」
今まさに幽鬼に襲われようとしているのに、華鈴はその幽鬼に自分を守れという。
幽鬼はピタリと動きを止め、ぎこちなく頭を下げた。
「ありがとうございます」
華鈴の柔らかな微笑みに、少しだけ黒い霧が薄まった気がした。
歩いて行けば行くほど幽鬼が集まり、華鈴の後ろについて来る幽鬼の数はどんどん増えた。
もう三十体以上はいるだろう。
これだけの数の幽鬼が村を襲い続けていたら、胡群は滅んでいただろう。
村は家や畑が滅茶苦茶になっていて、怪我人も多いがきっとまた生活できるようになる。
全てが壊される前に来られてよかった。
それにしても…………。
(こんなに大勢の誰かと歩くのは初めてだわ)
一緒に歩いているのが人間離れした幽鬼でも、もう慣れた華鈴にとっては人間といるよりも居心地がよかった。
幽鬼たちの後ろから、蓮が警戒しながらついて来てくれているからかもしれない。
時々、幽鬼に襲われていた村人を助けたりもしたが、叫び声を上げて逃げられた。
華鈴が幽鬼を従えているから、恐ろしかったのだろう。
ついて来てくれている幽鬼の中に山神様の居場所を教えてくれる幽鬼がいて、今はその幽鬼に案内を任せている。
昔、華鈴が両親と過ごした家がある方向だ。
同じ方向には、祖父が村長だった頃に住んでいた屋敷がある。
懐かしい屋敷が見えた時、空気がさらに重くなるのを感じた。
「山神様……」
屋敷よりも大きな背丈で、黒い霧を身体に纏い、目は澱み、何もかもを破壊しかねない様子の山神様がそこに立っていた。
近くにいる幽鬼を喰らい、人間まで襲っている。そうしてさらに力を増しているのだ。
「下がってろ……一旦力を奪わねぇと言霊も効かねぇ」
隣に来た蓮が、鎌を構える。目は、鋭く山神様を睨んでいた。
「やめてください……私が、なんとかします」
「無茶言うな。お前がいくら幽鬼姫だとしても限界がある。今の山神がお前を認識できる状態だと思うのか?」
「でも……」
蓮は華鈴の言葉を遮って素早く動いた。
「幽鬼をどれだけ喰らったか知らねぇが、随分とデカくなったじゃねぇか! 人の忠告聞かねぇからだ」
自分の背丈以上もある鎌を軽々と持ち上げ、蓮は山神様の足に向かって振りかぶる。
鎌に彫られた美しい龍は、まるで本物の龍を閉じ込めたかのような威圧感で、蓮が振るうと尚更その力は増していた。
シュッという音と共に山神様の足から黒いドロドロとしたモノが流れ落ちる。
血、だろうか。華鈴は息をのんで見つめていた。
まだ、自分が動くべきではないのだ。
不安そうに見ている華鈴を心配して、幽鬼たちが華鈴を取り囲む。
『ダぃ丈ブ?』
「うん、大丈夫……」
目の前では、蓮と山神様の攻防が続いている。
最初は蓮の存在にすら気づいていなかった山神様も、力を削られるうちに蓮が煩わしくなってきたのだろう。
今では蓮を喰らおうとしている。
蓮は山神様の放つ黒い霧で視界が悪いにも関わらず、一度も攻撃をその身に受けていない。
(やっぱり、蓮様は強い……でも、このままじゃ駄目)
華鈴は足を前に踏み出した。幽鬼たちが騒ぎ始めたのだ。何か大きなものが来る、と。
「蓮様っ! ここにいてはいけません!」
叫ぶ華鈴の声は、霧の中にいる蓮には聞こえていない。
何度も叫んでいるうちに、後ろから多くの足音が聞こえてきた。
カチャカチャと金属音もする。
振り返ると、手に武器を持った村の男たちが集まり、華鈴を憎悪の目で睨んでいた。
「華鈴、お前生贄にされたことで村に復讐か?」
その言葉を放ったのは、現村長の孫、雄清だった。
村長の屋敷で過ごしていた華鈴は、雄清のことを良く知っている。
茶色の瞳と髪を持つ、活発な好青年。
村長の孫ということもあり、村人に大切に大切に育てられ、自己中心的な性格になってしまった。
それでも村のことを大切に思い、村のためによく働いていた。
そして、華鈴を責めることが雄清の信じた正義だった。
幼い頃は、華鈴が呪われた子、疫病神、不幸を呼ぶ娘、そんな風に呼ばれていても、村長の屋敷で暮らす華鈴に笑いかけてくれたのに。
他の大人達は華鈴に自分の子を近づけようとはしなかったから、雄清は華鈴にとってただ一人の友人だった。
それも華鈴が都合よく思っていただけだったのかもしれない。
結局は雄清も村の大人や子どもたちと同じように華鈴に冷たい仕打ちをするようになったのだから。
何がきっかけになったのかは分からない。
ただ、雄清の目には優しさはまるでなく、無慈悲な冷たい色だけが支配していた。
華鈴が雄清と友人として過ごした期間は約一年……それから今まで、雄清は華鈴の存在を否定し続けた。
何も知らないまま、何も分からないまま、華鈴の側から人が離れていく。
華鈴が何をしたというのだろう。
何が原因で、村人から冷たくされなければいけなかったのだろう。
華鈴が笑えば、何を企んでいるのだと殴られた。
華鈴が何をしても、村人は暴力を返してきた。
悲しくない日はなかった。一人泣かない日はなかった。
華鈴の存在自体が許されないのだとすれば、華鈴にできることは消えることしかない。
何度も死ぬことを考えた。
しかし、華鈴のために死んだ両親を思うと、自分を殺すことはどうしてもできなかった。
それでも、いつか村人に殺される日がくるかもしれない。
そうすれば、両親に会える。
むしろ殺して欲しいとさえ思っていた。
しかし誰も華鈴を殺さなかった。
華鈴を殺して、自分が不幸になることを恐れていたから。
死ぬよりも辛く、悲しい毎日の中、華鈴は一度たりとも村人を恨んだりはしなかった。
みなを不幸にしてしまう自分が生きているのが悪いのだから、と。
そんな存在を忌み嫌いながらも生かしてくれているなんて、なんと心の広い人たちだろうとさえ思った。
生きる価値のない自分に、誰かを恨んだり、愛しく思う資格なんてないのだと。
華鈴の中には、普通の人間なら抱くであろう怒りや憎しみの感情がなかった。
――すべてを、諦めていたから。