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人は何故生きるのか…

作者: 風唄

ある知人が私に問いた


「人は何故生きるのだろうか」、と


私は答えることが出来なかった

私は別の知人に同じことを問いた

「人は何故生きるのか」、と


知人は答えた

「死にたくないから生きるのだ」、と


それも一つの真理だろうとは思うものの、死にたくないから生きる、という答えは何故生きる、という問いの答えに適合していないように思う


それに死にたくないから生きる、なんてただの本能

獣と変わらないではないか、と思う


もっと人間は獣にはない崇高な生きる意味を持っていないのだろうか


私は色々な人に問いた

返ってくる答えは様々であった


家族、金、名誉etc…


しかし、私は人々に問いているうちにある仮説に達した


「人は惰性で生きているのではないか」、と


沢山の宗教家や哲学者は多種多様な結論を出したとは思うが私は確信した


「人は惰性で生きている」、と


よくよく考えてみれば地球も惰性で回っているのだ


「私は惰性で生きている」、と高らかに宣言してもなんら恥ずべきことはあるまい


つまり結局のところ生きる意味など大して無いわけだ


将来の為になにかをする、生きる為になにかをする


そういうのは後付けの理由に過ぎないのだろう


必要最低限生きるためには刑務所にでも入れば最低限の衣食住は保証される

道徳的問題など生きることに比べれば瑣事ではないだろうか


実際は皆、どこかの誰かが作ったレールの上を流されているだけなのだろう

そこに自分の意志など殆ど存在しない筈だ


そんな惰性で出来ている人生など必要なのだろうか

それで生きていると言えるのだろうか


私は敢えて、そのレールから離れ人生について考えてみたいと思う

レールの上で流されるだけで人は生きている、と言えるのか、と




あるニートの言い訳

お読みいただき感謝です。とりあえずジャンル間違えた気がします…何となーくノリで書いた作品でした(苦笑)

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