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廃墟の中の亡霊

作者: 田中竜

 霊感持ちの浩太郎(こうたろう)は、今日もまたオカルト好きの浦子(うらこ)に付き合わされて、心霊スポットに向かうドライブの真っ最中であった。


 行き先は山道の終点、廃墟の山荘。デートと呼ぶには、いささか重苦しい雰囲気であった。


 幼少から怪異に悩まされ、またそれに対する力も持っていた彼にとって、廃墟の探索は慣れたものだった。


 仲間内に留まらず、どこから聞きつけたのか彼の不思議な力に興味を持った集団――おおよそ彼らは、根暗で痩せ型の浩太郎が普段接することのないヤンチャで(たくま)しい人種であったが――に連れ回された過去があるからだ。

 そういうのは、大半は噂話の(たぐ)いでちょうどいい肝試しになったが、中には本物の悪霊もいて大変な目に遭ったこともある。


 幽霊と対話ができ、時には除霊できるほどの能力を厄介に思ったことはあったが、十八ともなればこの個性的すぎるほどの力と共存する(すべ)は十分身に着けていた。


 今年から大学生となり、オカルト研究会でできた一コ上の可愛い彼女――浦子先輩と出会えたのもこの力あってのものだ。

 デートという(てい)で心霊スポットを巡るのも、意外と嫌いではなかった。


 助手席の浩太郎は、ちらりと外を見やる。

 先ほどから妙な気だるさを感じていた。

 胸の中で暴れている吐き気は、単なる車酔いか、それとも、これから先に待ち構える廃墟の霊障なのだろうか。


 先輩からもらったお茶を片手に、ごくりと喉を潤し、気を紛らわせようと流れゆく景色を眺めた。


 紫がかった薄暮の空に、秋風に吹かれてちぎれた雲が浮かんでいる。

 夕闇が迫りつつあった。

 はるか遠く、眼下に広がる田畑や市街地を包み込む漆黒の海は、真っ赤な夕日を半分ほど飲み込んでぼんやり明るい。

 一時間もしないうちに、この町も飲み込まれてしまうのだろう。


 目の前の棚田(たなだ)には、丸みを帯びた茶畑がうねりを打って一面に広がっていた。

 山の傾斜に合わせ、段々に寸分たがわず並べられた暗緑色の階段は、人を寄りつかせないように沈黙している。

 それだけなのに、一種の芸術作品のごとく壮観で、美しかった。


 山頂に近づくにつれて頭痛がひどくなった。

 これはいよいよまずい。よほどの心霊物件らしい、と思った。


 同時に、冷たい秋風が浩太郎の頬を叩いた。

 彼の左手が、思いがけなく窓を開けていたのだ。

 隙間から、びゅうびゅうと風が吹き込む。

 ひんやりした空気が顔の前で炸裂し、浩太郎の気分は幾分マシになったが、車内に流れ込む冷気に反応して、運転中の浦子がそっけなく声をかけた。


「ちょっと。寒いわよ」

「すみません。なんだか、気分が悪くなっちゃって」

「あら、それは霊的なものかしら?」


 浩太郎の気分とは対照的に、彼女の声色が途端に明るくなった。頬を歪めて、笑っているようだった。

 呆れるほどのオカルトオタクを前に、あれこれ文句を言う元気はすでになくなっていた。


「だめだ。ちょっと、無理かも。少し、休みます。山頂に着いたら、起こして、ください」

 

 消え入るような声でなんとか言い残して、限界まで倒された背もたれに疲れ切った体を沈めるのだった。



*


「……こんなことになるなんてね」


 浩太郎がその女の声で目を覚ました時、すでにそこは異様な雰囲気であった。


 先ほどまでの不快感は嘘のように消え去り、むしろふわふわとした不思議な高揚感すら覚えていた。


 かすむ視界の中、二、三メートル先に誰かを捉えた。


 長い黒髪に、死人のような白い肌。

 それは、呆然とたたずむ浦子だった。

 その目は虚ろで、見慣れた顔は恐ろしくも神秘的であり、別人のように綺麗に思えた。


 どうやら二人は、どこか古びた建物の一室にいるようで、浦子が持ち込んだであろうランプ――彼女の左側の机らしき台に置かれていた――が弱い光を放って、その周辺を怪しく照らしていた。

 そばの壁の色鮮やかな落書きが、光に照らされて存在感を放っている。


 浩太郎は、いまだぐらつく視界を気にせず彼女に問いかけた。


「僕たちはあれからどうしたんだ?」

「コーちゃんのこと、本当に愛してるわ」


 彼女は心ここにあらず、といった風に答えた。

 

 要領を得ない彼女に少し苛立ちを覚えながらも、優しい口調で質問を変えて投げかけた。


「ここはどこなの? なんだか怖いよ」

「こんな(さび)れた山荘に、二人っきりだもん」

 

 やはりここは(くだん)の山荘か、と浩太郎は合点がいった。

 彼女は何かに怯えるように体を震わせている。


「これからも、ずっと一緒にいようね」

「浦子さん、落ち着いて。どういうわけか僕の質問に答えられないという状況はわかったよ」


 浩太郎は必死に記憶をたどる。

 この山荘に入った記憶は、おぼろげであるが確かにあるのだ。

 それが夢か幻かはわからない。


 ぽたり、ぽたりと(したた)る音が複雑な思考を邪魔した。

 外では雨が降っているのだろうか。

 こんな古びた山荘では当然、雨漏りもするだろう。


 正直言って、何が起こっているのかわからなかった。

 これが、この廃墟の怪奇現象なのだとしたら相当まずい。

 やはり、具合が悪くなった時に引き返すべきだったのだ。


「私たちの出会い、覚えてる?」


 なぜそんなことを聞くのか、疑問に思っても口に出すことはしない。


「もちろん覚えてるよ。先輩たちがあんな危険な場所に行くなんて見過ごすわけにはいかなかったからね」

「旧講堂に潜む怪奇現象の正体を調査するんだって、オカルト研究会のみんなが騒いでた時に、奈緒(なお)ちゃんの付き添いで来たんだっけ」 


 浩太郎は、ドキリと妙な胸騒ぎを覚えた。

 それを悟られないよう、こちらも会話を続ける。


「今は少し疲れて、まだ力を出せないけど、もう少ししたら体力も回復するし、この怪奇現象も僕が解決するからね。それまでーー」

「懐かしいなぁ。映画にカラオケ、ショッピングやディナー、なんてことのないデートも楽しかった。TDLに行ったり、海や、こうして山にも、たくさん遊びに行ったの覚えてるかしら」


 言葉を(さえぎ)られた浩太郎も、素直に思いを()せる。

 ああ、楽しい思い出だ。大学に入ってからたくさんの人に出会って、いろんな経験をした。

 その中でも、彼女との思い出はどれもこれも忘れられない記憶だ。


 目の前の浦子は、しみじみと言葉を繋いでいく。


「昨日のことのように思い出せるわ。私、幸せだったもの」

「僕も、幸せだったよ。そして、これからも幸せにするつもりだよ」

「だからこそ、憎い」


 それは確かに、おどろおどろしい感情がこもった一言であった。

 会話の流れからすれば、あまりにも不自然で、突然な自身への口撃に思わず鼓動が速くなる。


「憎いって、なにが?」

「あんな、メス犬に、奈緒なんかに手を出すから」


 ぼやけた視界がぐにゃりと歪んで、頭の中では奈緒という言葉がぐるぐる駆け回っていた。

 怪奇現象のことなど、すでに頭にはなかった。


「ごめん」

 

 思わず、謝罪の言葉が口をついて出る。


「謝っても、遅いからね」

「本当に、本当にごめん」

「こんなにも愛してるのに、どうしてわからないかなぁ」 


 彼女の近くで、がちゃんと物音がした。


 当たり前であるが相当怒っているようで、その言葉の節々に恨みが込められているようだった。


 浩太郎は誠意を見せる他なかった。

 謝って、謝って、謝り通すしかなかった。

 最愛の彼女を裏切ってしまったことに、深く後悔する暇もなく。


「ほんの出来心だったんだ。今はもう、奈緒とは連絡も取ってないよ」

「コーちゃんは私だけのモノ」

「もし、浦子さんが許してくれるなら、もう一度やり直させてください」

「これで、私たちの『愛のかたち』は完成するの」


 その言葉には鬼気迫るものがあった。


 浩太郎は精一杯、頭を下げて懇願する。


 しかし彼女は、そんな自分を気にも留めず、どこから取り出したのか大量の錠剤を口にほおばると、ペットボトルの液体で一気に流し込んだ。


「おい、なにしてるんだ!」


 浩太郎はそれを見て、制止しようと咄嗟(とっさ)に飛び込んだ。


 その時――彼は、気づいてしまった。


「そうか、そういうことだったのか……」



*


 浦子が決意したのは、今日より一週間ほど前のことだった。

 

 彼女も、その手段に出るかどうかは最後の最後まで悩んだ。

 しかし、自身の内に(くす)ぶる熱情に嘘はつけなかった。


 薄暗がりの中、ランプ片手にたどり着いたのは、山荘一階の廊下を抜けた先にある応接間だった。

 応接間といっても家具はほとんどなく、長い間放置されていたせいで床や壁はぼろぼろ、さらには肝試しのいたずらか、至る所に落書きまでされている始末だ。 


 薬によって昏睡した浩太郎を、車から背負ってきてその汚い地面に寝かせた。

 

 ここに来るまでに、車中で彼には用意したお茶をたっぷり飲んでもらった。

 多量の睡眠薬が仕込まれているとはつゆ知らず、ごくごく飲むその姿を横目で確認していた。


 やがて薬が効いてくるのがわかると、思い通りに進む計画に興奮を隠せず、笑いをこらえるのに苦労したものだ。


 浩太郎の寝顔は安らかだった。

 彼は知らない。これから自分の身に何が起きるのか。


 そう、理解できぬまま――。



*


 女が一人、立ち尽くしていた。


 彼女の左側にはうっすらと光源があるだけで、その室内の大部分は闇に覆われ、静寂に包まれていた。


 女はなにか、うわごとのようにぶつぶつと独り言を繰り返すだけで、正気を保っているとは思われなかった。


 時折ぽたり、ぽたりと響く音が、一人つぶやく彼女の言葉に色を添えた。

 右手に持つ、大きなサバイバルナイフは真っ赤に濡れていた。

 その先端から床に向かって、血が滴っているのだ。


 女は感情が高ぶったのか、右手のナイフを勢いよく床に投げ捨てた。

 がちゃんとぶつかる音がして、暗闇の中に飲み込まれていった。


 そうして、大きな声で何かを叫ぶやいなや、あっという間にポケットから大量の睡眠薬を取り出し、見事、服毒自殺を成し遂げた。


 倒れた彼女の横には、おびただしいほど血まみれになりながらも穏やかな表情で眠る、男の姿があった。

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