第八回 情欲(前編)
冷水を三度浴びても、血の滾りは静まりそうになかった。
旅籠の裏庭。斬り合いを終えた雷蔵は、旅籠の主人に頼み込んで、井戸の水で行水をしているのである。
四杯目を浴びた。肌を切り裂くような冷たさは消えていた。身体から立ち込める湯気。血の滾りは、身体も熱くさせている。
一日に、十三もの人を斬った。相手は浪人である。心に何の痛痒も覚えないのは、利景の命に従い正義を為しているからだ。それに法を犯す浪人は、夜須にとって害毒でしかない。
(それにしても、あの男……)
浪人の群れを前にしても、怖気づく事はなかった。十五人。そのうち七人を雷蔵が、八人を男が斬った。一人多いのは、罪滅ぼしだと男は笑った。
男の剣は、その物言いに反して端正なものだった。一人ずつ、確実に丁寧に斬っていく。決して、暴れるような粗暴さは無い。
流派は判らないが、地に足が着いた技術と、多勢で囲まれても動じない経験があるのは確かだ。
全てを斬り伏せると、男は風のように立ち去った。結局名前どころか、その面貌すら確かめられなかった。これでは、父に報告しようがない。
(まぁ、いずれ判るだろう)
行水を斬り上げた雷蔵は、飯盛女を呼んで抱く事にした。
綱分宿には、旅籠が十五軒ある。その内、平旅籠が五軒で、三分の二の店が飯盛女を置いている。城下から女を抱きに来る男も多いという。
現れたのは、二十歳過ぎの婀娜っぽい女だった。
瓜実顔の美形と言っていい。ただ若干目が離れ過ぎているようにも見える。身体つきは見た目に反して豊満で、雷蔵は女を一目見ただけで疼きを覚えた。
「あら、子どもじゃない?」
女は無邪気に笑った。言った女の方が、子どものように見えた。意外と童顔で、笑うと婀娜っぽさが消えるのだ。
「元服したばかりなので……」
普通は怒る所だろう。しかし、元服したとは言え自分は子どもだという自覚はあるので、雷蔵は何も言わず値段を訊いた。
「そうねぇ……」
言われた額が高いのか、安いのか判らない。相場というものを未だに知らないのだ。そもそも人に値段を付けるという行為がおかしいと思うが、それを買う自分に言える義理でもない。
雷蔵は女に飛びつき、滾りを鎮めるような執拗な情事を終えると、女は更にお金を要求してきた。何度も激しく抱いたのがいけなかったようだ。
「これじゃ、暫く働けないよ」
そう言われたので、雷蔵は素直に謝罪し請求された額を支払った。
それに女は驚き、
「別にお客さんを騙すつもりはないんだよ。でも、あんまり激しいんでね。観音さんが痛んじゃ、商売にならなくてねぇ」
と、女は取り繕うように、媚びた声色で言った。
(激しいのは駄目なのか)
そういえば、同じ事を不夜楼でも言われた。ゆふも、それが嫌で自分を避けているのかもしれない。初めての時も、女の身体を労わるという気持ちが欠けていた気がする。
「それにしても、お客さんは想い人でもいるのかい?」
「何故?」
「何故って、わたしを抱いちゃいるが、目は別のものを見ているようでね。あたしの顔に別の誰かの顔を当てはめているような。それに、『まつる殿』って呟いていたような」
雷蔵は、顔の紅潮を隠すように顔を伏せた。
「へへ。ほんと子どもだねぇ、お客さんは」
女が一笑して雷蔵の背中を叩くと、スッと身を寄せた。
「いいんだよ。あたしら女郎はその為にあるのさ。想いを遂げられない女の代わり。惚れた男なら悲しいけどね、こちとら商売だから」
「……」
「よっぽど好きなんだねぇ。でも、あんな抱き方をしちゃいけないよ。善い男ってのは、女には優しくするもんさ。身体も心もね」
「気を付けます。私は何も知らないので」
「ふふふ。でも、お客さん。『まつる殿』って誰なんです? その口振りじゃ年上でしょう? もしかして、嫂? いや、まさか継母とか」
◆◇◆◇◆◇◆◇
飯盛女に言われて以来、眞鶴の顔がちらついて仕方なかった。
最後に会ったのは十二日前。会いたいが、今はお役目の最中である。
それも夜須の治安を回復するという、利景にとっても領民にとっても重要なものだ。それなのに、女の事を考えるなど。我ながら腑抜けているとしか言いようがない。
しかし、このままではどうにかなりそうな気分だった。気が散って、命を落とす事もありえる。
(せめて、この伊岐須を片付けてからだ)
伊岐須郡は、夜須藩内でも特に浪人の数が多いという話だった。そして、その話は本当だった。浪人だけではない。渡世人や乞食の数も多く、やくざが幅を利かせているようにも見える。
(代官は何をしているのだ……)
内住郡では考えられない事だ。統治の箍が緩んでいる証拠であろう。それは怠慢ではないのか。
(潰してしまえばいい)
そう思うが、伊岐須代官である権藤治部衛は、夜須藩内でも五指に入る権門の一族だった。一族内には執政府入りした者もいて、その名声は藩内でも高い。そして、あの相賀は、その権藤一門から嫁を貰っているという。いくら利景とは言え、名門で執政府とも繋がりがある者を容易く処分は出来ないのかもしれない。だから、秘密裏に自分を送り込んだ。
翌日から、雷蔵は伊岐須郡の北部を歩き四人の浪人を斬った。南部に移動してからは五人。郡内から浪人の姿がめっきり減ったのは、伊岐須に来て七日目の事だ。
「雷蔵」
歩いていると、風のように小忠太が現れた。武士ではなく、渡世人の格好をしている。
「斬りも斬ったりだな」
「役目ですから」
雷蔵は歩き出し、小忠太がその後を追った。
「もう伊岐須に浪人は殆どいねぇよ」
「そうですか」
「どうやら、お前さんに恐れをなして逃げ出したそうだ」
雷蔵は頷いた。
浪人達が次々と逃げだしているという話は、既に確認していた。領民は、厄災を運ぶ浪人がいなくなった事を喜ぶ者もいれば、
「何もここまでしなくとも」
と、次々と発見される斬殺死体を見て、眉を顰める者もいるという。
そうした反応を、雷蔵は気にしなかった。
(誰かが汚れ役をしなければならぬ……)
それを為すのが、御手先役なのだという信念があるからだ。利景から与えられた、関舜水八虎もある。それだけでいい。本当の正義は何なのか、万民が理解する必要はないのだ。
今日も、斬殺死体が一つ見つかっていた。藩庁からの役人が出張って、連日捜査に駆けまわっている。
「まぁ、動かねぇわけにもいかねぇからな。形ばかりでもやっておかなきゃ、領民の信用を失ってしまう」
と、小忠太が言った。
しかし、何らかの圧力もあるようだ。役人達の動きは鈍く、お役目を果たす事に何ら支障はない。
「それよりも、黒河の事だ」
「動きがありましたか?」
「まぁな。血眼で探しているようだぜ、お前と俺を」
「小忠太殿もですか?」
「俺も、あの夜に手を出してしまったからなぁ。まぁ、来るなら来いって気でいるが」
「狙われるのは私だけのはずでしょう。黒河の野望を挫いたのは私です」
「それを決めるのは、奴さんだ」
「小忠太殿、建花寺の屋敷に来ませぬか?」
「はぁ? 何言ってんだお前」
小忠太が、思わず声を挙げた。初めて聞くような声色で、驚きのあまり素の小忠太が出たという感じだった。
「私の屋敷なら安全ですから」
すると、小忠太は鼻を鳴らした。
「気持ちは有り難いが、遠慮しておく。叔父貴にも身辺に注意しろと重々言われているが、そいつは俺の柄じゃねぇ。それに、俺の腕はお前も知っているだろう?」
「確かに、小忠太殿の腕前は、並ではありません」
「逆に俺が奴らを狩ってやろうと思っているぐらいさ。当然、その時にはお前さんにも手伝ってもらうがな」
「その時は、駆けつけますよ。二人でやりましょう」
「おう。その意気だ」
小忠太が破顔した。その顔は、自分ほどではないにしろ、まだ幼さが残っている。
「じゃぁな、雷蔵。女も程々にしておけ」
女と言った小忠太に、雷蔵は何か言い返そうとしたが、もうその姿は消えていた。




