第五回 亡者の貌
目が覚めた。
夜。闇が濃い。横では、父が寝息を立てている。払暁までに、まだかなりの時が掛かるだろう。
旅籠全体が寝静まっていた。階下も、誰かが起きている気配は無い。外で虫が鳴いている以外は、静寂である。
昨夜は、鏑木と遅くまで話し込んでいた。と言っても、話していたのは父と鏑木で、自分は話を聞いていただけだ。
三人で、賊徒の巣窟を攻める。相手は三十人余りらしいが、小弥太は気乗りしなかった。
確かに、民を守るのが武士の責務だ。人助けと思えば、剣の奮い甲斐もあるだろうし、拒みもしない。だが、今はお役目がある。利景公から仰せつかった、重大な密命があるのだ。
(道草を喰う時間は無いはず)
だが、父は鏑木の話に乗った。
冷たいようだが、無視をして宇美津を目指すべきではないのか? そもそも相手は三十余人。それを三人でとは、みすみす死にに行くようなものである。いくら鏑木に一計があろうとも、それに命を賭ける事は出来ない。
父が、何を考えているのか、その意図が読めない。父に理由を訊けば、叱りはしないだろうが意外に思う事だろう。それは、今まで父が為す事の理由を、自ら訊ねた事はないからだ。ただ父の後ろを歩き、言われるがままに動く。そうして過ぎていく春秋の日々である。
(つまり、俺には意思というものがない)
人殺しとて、自らの意思ではない。父が命じるから斬る。勿論、斬る意味は噛みしめているが、それは父の考えを聞いたに過ぎない。そうした自分に疑問や嫌悪感も湧くが、その一方で、これが暗い星の下に生まれた自らの宿星だと諦めてもいた。
(兎も角、成り行きを見守るしかない)
そう物思いに耽っていると、些かの尿意を覚えた。
(厠へ行くか)
目も闇に慣れてきた所だ。身を起こそうとした時、小弥太は自らの異変に気付いた。
(おかしい……)
身体が動かないのだ。目は動く。だが、身体は動かない。声も出なかった。何かに全身を押さえ付けられている感覚だった。
毒。まず、それが浮かんだ。ならば、鏑木が仕込んだのか。いや、違う。こんな精巧な毒があるものか。違うなら、何だ。目は動く。だが顔を動かせない。
(そうか。これが)
父から、何度か聞かされた事がある。夜目が覚めると、身体が動かなく事があると。
その時にどうするべきか。勿論、その術も授けられていた。
「不動真言を一心に唱えよ」
父の言葉が耳に蘇った。
小弥太は目を閉じ、不動明王の真言を唱えた。
ノウマク・サンマンダ・バザラダンカン。
ノウマク・サンマンダ・バザラダンカン。
何度か繰り返した後、小弥太は目を見開いた。
そこに、貌があった。
七つ。蒼白い顔の男達が小弥太を取り囲み、ただじっと見下ろしている。
見た顔である。
(俺が殺した男達だ)
七人の亡者は、さも当然そこに居るように佇んでいる。心臓が止まる心地がした。恐怖で、声が出ない。
初めて人を斬って以来、悪夢に苛まれてきた。だが、これは違う。夢でない。現実の事なのだ。
「恨めしい」
脳裏に、その言葉が響いた。それが続く。ただ恨めしいと、何度も何度も。
「やめろ」
叫んだ。それが声になったかは判らない。
七人の亡者は暫し顔を見合わせ、そして小弥太に目を向けた。その形相が、怒りと憎しみに満ちたものに、みるみる変わっていく。
小弥太は、固く目を閉じた。そして、亡者の嘆きと恐怖心をかき消すように、何度も不動真言を唱えた。
唱えれば唱えるほど、嘆きの声は小さくなり、そして身体が熱くなった。そして、瞼の裏には、眩いばかりの光明。
(これが不動明王のご加護なのか)
意を決して目を明けると、そこには不動明王ではなく、父の顔があった。窓からは、陽の光。いつの間にか、夜が明けていた。
「大丈夫か?」
清記が、心配した表情を向けた。
「酷く魘されていたぞ」
「悪い夢を見ました」
身を起こしながら、小弥太は返事をした。
「見たのか」
清記が、小弥太の額に手拭いを当てた。汗が酷かった。夜着は汗でじっくりと濡れている。
「……はい」
「そうか、お前も」
「父上も、亡者を見るのですか?」
そう訊くと、清記は深く頷いた。
「そうだ。この父もお前と同じ長い夜を過ごしている。だから気にするな。相手にせずともよいぞ」