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狼の裔~念真流血風譚~  作者: 筑前助広
最終章 天暗の仔
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第七回 恩義(前編)

 深江藩は夜須藩と、築城ついき国を約半国を分ける隣藩である。

 幕府開闢依頼、隣藩同士というものは、仲が悪いと相場が決まっている。

 それは夜須と深江とて、例外ではない。そもそも夜須藩の役目は、東北の外様大名から江戸を守ると同時に、かの松永久秀の血を引く深江藩主松永家の監視もあるのだ。つまり藩創設以来、互いに敵対するよう宿命づけられていると言っていい。だからか、深江藩から救いの手が差し向けられた時、雷蔵はさして驚かなかった。〔敵の敵は味方〕の理屈である。

 平山雷蔵が、深江藩領の大入村だいにゅうむらに留め置かれて、今日で十日目になる。貞助は毎日決まった時間に出て行くが、雷蔵は宿所となっている庄屋屋敷に留め置かれたままだった。

 庄屋の喜兵衛ぜんべえは善良な男で、百姓も表情も明るい。貞助によれば、かつて室谷慶堂むろや けいどうという男がいて、この村を勤王思想の策源地としていたそうだ。しかし、夜須藩の暗躍で瓦解。その時いた百姓はそっくり何処かへ移されたらしく、今では名は同じなれど、全く別の村になっている。

 だからか、そうした経歴がると思えないほど、穏やかな村だった。雷蔵も修羅のような日々を一時忘れ、久し振りの休息を取った。時には村の子ども相手に、〔やっとう〕の真似事をした。どうやら誰かが、剣術の達人だと吹き込んだようだ。どことなく、建花寺村も事を思い出す。

 だが、夜になると何ら進展しない状況に、焦りを覚える。


「お前に呼ばれて深江に来たのはいいが、話は進んでいるのか?」


 そう訊くと、貞助は


「まぁまぁ、急がば回れって奴ですよ」


 と、煙に巻くだけで、何も答えようとはしない。

 深江藩へは、貞助が先行した。そして、その後に呼び出されたのだ。呼ばれたのだから話が整ったと思ったが、どうやらそうでもないらしい。


「薊も伴えばよろしかったのに」

「何故?」

「雷蔵さんの無聊をお慰め出来たでしょうにとね。何なら村の娘を手配しますが、どうしやす?」

「余計な事だ」


 そう言うと、貞助が歯を剥き出して笑った。

 薊は夜須に残してきた。本人は拒んだが、命令だと押し通した。薊には、夜須で何か変事があれば、知らせる役目がある。その程度には、あの女を信用している。


松永久臣まつなが ひさおみとはどんな男なのだ?」

「松永の殿様ですか? まぁ、傀儡ですねぇ」

「では、家老の外記は?」

「ありゃ、相当な曲者ですね。裏切りも暗殺も朝飯前って感じです。実際に藩政を動かしているのも、この男」

「御家柄かな」

「かつての犬山梅岳と重なりやす」

「俺は梅岳をよく知らんが、話は度々聞いている。気を付けねばならないな」


 貞助が頷く。


「油断すると、こちらが喰われますよ、ありゃ」


 十二日目。貞助が、村を出るように伝えてきた。


「どうした、急に」

「手配が整ったのですよ。迎えが来ておりやす」

「そうか。やっと会えるのか」


 使者の一団は、村から少し離れた野辺で待っていた。その数は六名ほどで、全員が騎馬だった。

 雷蔵の姿を認めると、一斉に下馬をして頭下げた。


「平山雷蔵です」


 そう名乗ると、男が一人前に進み出た。

 中肉中背。外見的には特徴のない、小役人という風がある。


「あなたが、平山清記殿の」

「嫡男です」

「なるほど」


 男は、何の感慨も見せずに、軽く頷いた。


「父をご存知で?」

「ええ。敵として対峙し、味方としても轡を並べました。その悲報を耳にした時は、俄かに信じる事は出来ませんでした」

「では、あなたが山背久蔵やましろ きゅうぞう殿ですか」


 その名は、父に聞いていた。何かあれば、この男を頼れと。そして、それまでの経緯は、貞助が教えてくれた。勤王思想を玩具に、乱を起こそうとしていた男である。


「如何にも。松永外記の祐筆を務めております」

「やはり。で、山背殿。何故、斯様な場所で待ち合わせを?」


 すると、久蔵は一瞬だけ真顔になり、そして苦笑した。


「これは、申し訳ない。大入村は、私が生まれ育った場所なのですよ。村を飛び出して迷惑をかけた手前、どうも戻りづらくて」


 そう言ったものの、久蔵の表情は変わらず、その視線は雷蔵に注がれた


(外記が曲者なら側近も然るべきだな)


 抜け目のない目をしている。一見朴訥としているのは、己の能力や野心を隠す為なのかもしれない。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 久蔵の案内で、雷蔵は外記の待つ天霊禅寺へ向かった。

 この寺は松永家の菩提寺であり、外記が厚く保護しているという。それ故に、秘密が漏れる事も無い。

 境内の村は枯山水。凝った砂紋や築山、苔生こけむした巨石があるが、雷蔵はそれらには目もくれず、久蔵に続いた。

 離れの茶室。その前で、久蔵と別れた。この先は一人という事だろう。

 幅二尺一寸ほどの躙り口を潜ると、男が待っていた。

 十徳に茶人帽。茶室の亭主と思ったが、鷲鼻に尖った顎、団栗のような目とへの字口は、話に聞いた通りの風貌だった。


「似てないな、平山雷蔵」


 挨拶もなしに、外記は口を開いた。


「母似とよく言われます」

「父親は、精悍とした男だったが、息子は正反対だ」


 外記は鼻を鳴らし、茶碗を差し出した。濃緑の茶が泡立っている。


「女のような顔で損する事もあれば、得する事もあります」

「森羅万象、全てに於いて同じ事が言えるぞ、小僧。儂も松永家の一員として、得する事もあれば、損した事もあった」

「左様ですか」


 雷蔵は、茶を一気に飲み干した。苦い。ただただ、それだけの茶だった。


「では、私を助けて得する事、損する事を教えてくださいませぬか」

「これは恩義だ。損得を越えておる」

「外記様とは思えぬお言葉ですね。今、私を助けるのは、損よりも得が大きいからなのでは?」


 すると、外記が一笑した。


「とんだ言われようだ」

「父が外記殿の人となりについて、そう申しておりました」

「まぁ、ある意味で外れではないな。夜須の力を削ぐ事は、深江にとって好都合だ。夜須は譜代。外様の監視役であるし、夜須とは三か所で領土問題を抱えている」

「損は?」

「利重を討つ事に協力している事が暴かれたら、松永家は改易となる。当然、儂は腹を切る羽目になるだろうな」

「それでは損が大きゅうございませぬか」

「小僧、だから恩義と言ったであろう。損得は当然ある。だが、恩義もあるのよ。あの男にはな」

「……」

「無駄に死におって」


 外記はそう言い放つと、遠い目をした。その先には、父の姿があるのだろうか。


「雷蔵。栄生利重が、我が殿との会談の申し出を受けた。場所は、藩境に設けた陣屋だ」

「なんと」

「我が殿は、江戸で清流派に近しい。しかし、最近は田沼様の御威光から濁流派に流れつつあるのだ」

「なるほど。つまり、利重に久臣様の濁流派転向の口利きを頼んだという事でしょうか」

「左様。利重は今回の件で、大きな失態を犯した。それを巻き返すに、まずまずの手柄ではないかな?」

「長らく待たされたのは、その為だったのですか」


 すると、外記が首肯した。


「これから久蔵を夜須にやって、細かい所を詰めさせるつもりだ。しかし、雷蔵。我らが出来るのは、利重を城から引きずり出すまでだ。加勢は出来ぬぞ」

「それだけで十分です」

「礼なら、父親の墓前で言う事だな」


 雷蔵は深く平伏した、貞助が父の遺産と言っていたが、まさにその通りである。


「雷蔵」


 辞去しようすると、名を呼ばれた。


「一度だけ訊くか、復讐など止めて深江藩に仕えぬか?」

「外記様の御声掛けは嬉しいのですが、城勤めは御免被ります。父を見て学びました」


 そう答えると、外記がらしくない闊達さで笑った。

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