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狼の裔~念真流血風譚~  作者: 筑前助広
最終章 天暗の仔
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第三回 人材(後編)

 五日後、利重は騎馬で地蔵台開墾の視察に出向いた。

 護衛は、平山孫一率いる逸死隊と小姓組だ。先月、孫一は平山家の名跡を引き継ぐという形で、皆藤左馬から名を変えている。一応内住代官と逸死隊取締役に任じ、建花寺村の屋敷は与えたが、それも郡政の見直しまでの僅かな期間となるだろう。

 久し振りの馬だ。身体を打つ風が心地よい。昔は気軽に馬で遠乗りをしていたが、藩主となるとそうはいかない。

 なってみれば、思った以上に不自由なものだ。それでいて、責任も重い。当然それは想定していたが、いざ藩主になってみると、自分の見通しが甘かった事を痛感した。


(利景は、見事な藩主だった)


 迷いも悩みもしただろうが、それをおくびにも出さなかった。やはり為政者としては、出色の存在だったのだ。

 馬を北へ北へ走らせると、道々で百姓が野良仕事に励む姿を見掛けた。

 皆、懸命に働いている。夜須の百姓は豊かではない。かと言って、貧しくもない。それは利景の施策によるもので、怠惰にも飢餓にもならない、絶妙な具合を保っているのだ。

 利景は民を慈しむ名君である事には疑いないが、決して無条件に甘えさせる統治者でもなかった。どうしたら、より多く年貢を徴収し、藩を富ませるか。それがまず第一にあり、その手段として民を守ったのだ。ただ優しいだけでは駄目だという事を、利重は弟から学んだ。


「見事な手綱捌きだな」


 途中、休憩で立ち寄った村の庄屋屋敷で、利重は孫一に言った。


「おぬしだけではない。逸死隊の面々もな」

「お褒めの言葉を頂戴し、恐悦至極。逸死隊の中でも、馬術に秀でた者を選び申した。残りは城下の馬場で稽古させております」


 逸死隊は現在二十八名。今回随行しているのは、その内の十名だった。元々、逸死隊は五十名いたが、去年の謀叛で半数以上が清記と帯刀に討たれてしまった。使い手を集めたつもりだったが、清記と帯刀の腕前が想像以上だった。


「あと、どれ程で仕上がる?」


 利重は、出された水を飲み干して訊いた。


「護衛だけなら、既に十分でございます。しかし、あの平山雷蔵が相手となると」

「まだ掛かるか?」

「いえ、時間の問題ではございませぬ。集団で抗する術は叩き込んでおりますが、斃すとなると難しいものと存じます」

「ほう。逸死隊は木偶なのか?」

「相手が悪いのでございます。あの雷蔵は、父親以上の境地にあると思ってよろしいかと」

「何? 父親以上だと」


 利重は、肌の粟立ちを微かに覚えた。

 目を閉じれば浮かんでくる、あの日の光景。身体を貫かれようとも、向かって来る清記の姿。間違いなく、あの時の清記は修羅であった。雷蔵がそれ以上というのは、俄かに信じ難い。


「ですが、殿。逸死隊は少なくとも、殿を守る盾にはなりましょう。そして雷蔵めの足止めも。その間に、拙者が仕留める所存でございます」

「あの時のようにか」


 すると、孫一は自信たっぷりに頷いたので、利景はふっと顔を背けた。

 どうも、この男は好きにはなれない。孫一のような曲者は嫌いではないが、この男だけは合わなかった。理由は自分では判らない。だからとて、遠ざける真似はするつもりはない。能力はあるのだ。それに好かぬ男を使えてこそ、為政者たる資格があるのだとも思う。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 地蔵台が見えてきた。奉行の指揮の下、人足達が景気のいい掛け声を挙げて、木を伐り山を切り拓いている。

 相賀の発案で始まったこの事業は、今の所は滞りなく進んでいる。藩政を統括しなければならないので、その指揮を相賀の手からは離したが、どうやら上手く運んでいるようだ。


「お奉行も、ああやって褌一丁になって働いておりますので、おら達も怠けられねぇでごぜいやす」


 捕まえて話を訊いた人足がそう言った。


(ほう、これは面白い)


 だが、泥だらけになっているので、遠目では誰が誰だか見分けがつかない。すると小姓の一人が、掘り出した石を運んでいる男を指さした。


「あれか」


 確かに、見た顔であった。明らかな武士が褌姿になり、泥だらけになって働いている。


(奉行は、真部直記さなべ なおきとかいったな)


 今年で三十になったばかりか。かつては利景の祐筆を務め、今は相賀の世話になっているという。身分は馬廻組で、そう高くはない。


「呼んで来い」


 小姓にそう命じると、暫くして真部が駆けてきた。


「励んでいるようだな」

「はっ。御見苦しい恰好で、まことに申し訳ございませぬ」

「ふふ、構わぬ。そうするには理由があるのだろう?」

「奉行が踏んぞり返っては、人足共は並みにしか働きませぬ。地蔵台開墾は我が藩の財政、百姓の暮らしを変えるかもしれぬ、重要な事業。まず奉行以下、武士がその意気を見せる事が肝要だと思い、こうして働いている次第」

「なるほどのう。で、どうだ?」

「共に汗を流し、共に悩み、共に喜ぶ。こうする事で、作業は順調に進んでおります」

「それは意図しての事か?」


 すると、真部は深く頷いた。


「それでよい」


 この真部も、利景と同じだった。ただ人足に優しいだけで、しているわけではない。そうする事が、最も成果を出す。だから、共に汗を流しているのだ。

 真部は、利景を見て学んだのだろう。思わぬ掘り出し物かもしれない。

 他にも話をした。藩庁から十分な資金を与えられ、人足や狩り出された近郷の百姓達は、不満なく働いているそうだ。

 一通り話を聞き、そこで昼餉を摂る事にした。


「同じものでいいぞ」


 そう命じたので、出されたものは、麦の握り飯と濃い味噌汁という粗末なものだった。

 だが、味は悪くない。夜には、魚か獣肉が付くという。調理は百姓の女衆が行い、そこにも銭を出している。だから、喜んで手伝っているようだ。


「励めよ、真部。地蔵台開墾の如何では、お前の前途も開けよう」


 すると、突然の事に真部は口に含んだ麦の握り飯を吹き出した。

 その様子に、方々から笑い声が挙がる。


(文之進が陰ならば、こやつは陽。表と裏で使い分けられよう)


 笑みを浮かべながら、利重はそう思った。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 地蔵台の帰り、先頭の孫一が波瀬川の河川敷で馬を止めた。


「どうした?」

「殿、あれを」


 孫一の指の先。そこには斉木利三郎率いる、浪人衆が控えていた。


「ほう」


 浪人衆は、十四名。誰もが不敵な面構えをしている。それは斉木も同じで、以前の好青年から人が変わったような、鋭い目つきになっている。


「殿が此処をお通りになられると聞き及びましたので」

「そうか」


 恐らく、八十太夫からの情報だろう。


「もう少し多いと、八十太夫に聞いていたが?」

「精鋭だけを厳選しました。力量無き者は、足を引っ張るだけですので」

「余程の自信と見える」

「それだけの実力はあります。その力、御覧いたしましょう」


 と、斉木が目配せをすると、同じ十四名の浪人が引き立てられた。


「この者達は?」

「私が外した力量無き者共です。今から、この二組で殺し合いをさせます。生き残った組を召し抱えると伝えております」


 利重は頷いた。過酷だが、精鋭を揃えるには必要な事だ。


「どう思う、平山」

「斉木殿の言、理に適っているかと」

「そうだな」


 すぐに十四名が向かい合い、凄惨な殺し合いが始まった。勝負は一方的で、斉木が選んだ十四名が圧倒し、一方の組は逃げ出す者もいたが、それも捕まえられ、無残に殺された。

 酷い血臭で、波瀬川は赤く染まった。


「お目汚し、失礼いたしました」

「いや。これ以上のものを、私は昨年目にした」

「ここまでせぬと、平山には勝てませぬ」

「平山一族はお前の仇か?」


 すると、斉木は頷いた。


「昨年の一件で、弟と徒弟それと友人が二名殺されました」

「私はお前の親友を撃ち殺したが」

「あの一件については、丑之助の自業自得でございます。ですが、丑之助を人斬りに仕立てたのは、平山清記。あの者がいなければ丑之助も、と思っております」


 利重は頷いた。丑之助の一件については、一度だけ調べさせた。やはり、執政府の命令を受けて、清記が人斬りに仕立てたそうだ。しかし、それは命令を受けての事で、清記を恨むのは筋違いかもしれない。


「すぐにでも働けるか?」


 利重は話を変えた。


「ええ。ですが、この者達には十分なものを与えて下さりますよう」

「何故?」

「飢えた狼でございます故。忠義より、金・酒・女でございます」

「身分は?」

「それは働きに応じて考えていただければ」


 利重は頷いた。


「ただ一つ、名を賜りとうございます」

「浪人衆のか?」

「如何にも。いつまでも、浪人衆とは呼べませぬ故」

「もっともだな。そうだな……」


 利重は暫く黙考し、


夜吼党やこうとう


 と、言った。


「夜に吼える、と書いて夜吼党だ」

「なるほど。確かに、この者共は夜は煩うございます」


 斉木の顔が綻ぶ。後ろに控える浪人衆もまた同じだった。


「夜吼党には、衣食住、それに銭と女に関しては十分なものを与えよう。その代わりに、よう働けよ」

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